あぜ)” の例文
掛稲かけいね、嫁菜の、あぜに倒れて、この五尺の松にすがって立った、山代の小春を、近江屋へ連戻った事は、すぐにうなずかれよう。芸妓げいしゃである。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わしは林檎りんごの樹の下へ行っているから、お前もたばねが済んだら彼処あすこへ来てくれないか。あぜを歩くんだぞ、麦を倒すとけないからな
麦畑 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
女たちのけまわる範囲が、野か、山の中に限られて、里つづきの野道・田のあぜなどを廻らぬところから、伝えなかったまでであろう。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
石塊いしくれの多い山合ひの畑での労苦や、長いあぜの列や、それらのいつしよくたになつた重々しい雰囲気を再現してゐるやうに思はれた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
振返って見ると、一方のあぜの上には菅笠すげがさ、下駄、弁当の包らしい物なぞが置いてあって、そこで男の燻す煙草の煙が日の光に青く見えた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いずれ変を知った近郷のさむらいが、家の子をともなって、戦場へいそぐものと独りぎめして、四郎次郎は身をあぜの横へ避けていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あぜを渡り、小徑こみちを拔けて、少しでも近い方を行くのであるが、其の煑賣屋の前だけは、どうしても通らなければならなかつた。
石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
見ると荒れた庭の半畝位は皆菊のあぜになって小舎の外には空地がなかった。抜き取った跡には別の枝を折って揷してあった。
黄英 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その時丁度嘉ッコのお母さんがあぜの向ふの方から豆を抜きながらだんだんこっちへ来ましたので、嘉ッコは高く叫びました。
十月の末 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
村境の土橋のあぜで圭一郎が窓から顏を出すと、敏雄は門前の石段を老人のやうに小腰を曲げ、龜の子のやうに首を縮こめて
業苦 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
あぜ玉蜀黍とうもろこしの一列で小さく仕切られている畑地畑地からは甘い糖性のにおいがして、前菜の卓のように蔬菜そさいを盛りあつめている。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
短い脚を、目に見えないくらい早くかわして逃げて行く乱れた隊列の中から、そのたびに一人また一人、草ッ原や、あぜの上にころりころり倒れた。
パルチザン・ウォルコフ (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
さいぜん、古畑のあぜで、あの案山子殿かかしどのをがちゃつかせていたものがある、多分、あれをそっと借用したものに違いない。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼は、ちょっと唇を噛むようにして眼をみはったが、ぺっと道路につばをした。菊枝は顔を赤らめて、下水を越え、田圃のあぜを川べりの方へやって行った。
駈落 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
雪子の顔と美穂子の顔が重なって一つになる……。田のあぜに蛙の声がして、町の病院の二階のあかりが窓からもれた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
あたかも牛が田のあぜくときの歩みのように書くことをいい、よほど古い書き方であるということである。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
と、うめいて、のけぞって、体が崩れて、そのまま、苅田かりたあぜの中に、溜り水をねかして倒れてゆく侍——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
あぜの上に腰をおろして盛俊と猪俣は肩をならべて一息入れていた。しばらくすると、緋縅の鎧を着て、月毛の馬に乗った武者が一騎、馬を急がせてやって来た。
ふる里のふりたる家のあはれなる秋のまがきは人ありてむかし植ゑにししらぎくのさかりすぎたりあれまさる桑のはたけは人ゆかぬあぜのかたみち釣鐘の花かれにけり
佐藤春夫詩集 (旧字旧仮名) / 佐藤春夫(著)
右の方は崩れかかった藁葺わらぶきの農家が二、三軒あるだけで、あとは遠くまで畠や田圃たんぼが続き、処々のあぜには下枝をさすられたはんの木が、ひょろひょろと立っています。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
かうした石斧せきふなどをさがすのには、はたけころがつてゐるいし片端かたはしから調しらべてるとか、はたけそば小溝こみぞなか石塊いしころとか、あぜまれたいしなか熱心ねつしんさがすにかぎります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
お高は畑のあぜに雑草のはえている道を通って、御鷹おたか部屋御用屋敷のある一囲いのほうへ歩いて行った。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
晶子は葡萄畑のあぜめぐつて色色いろいろの草花を摘んで歩いた。百姓の庭は薔薇ばらの花と桜実さくらんぼとの真盛まざかりである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
さう云ひながら、小母さんは赤い夕焼空のうす明りの中を、あぜづたひに道まで出て来てくれました。
栗ひろひ週間 (新字旧仮名) / 槙本楠郎(著)
何にね、その村から、近道しようと、あぜを出てきたら、こらっと、やられて、猫の子みたいに、首筋を掴まれて——何うも、相馬大作も、いろいろたたりをしますわい。
三人の相馬大作 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
留吉とめきちは稲田のあぜに腰かけて遠い山を見ていました。いつも留吉の考えることでありましたが、あの山の向うに、留吉が長いこと行って見たいと思っている都があるのでした。
都の眼 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
また、それからはなれて、あぜのたくさんの並木なみきあいだにまじって、はんの木立こだちが、かすんでえました。そこで、かれらの父鳥ちちどりは、狡猾こうかつ人間にんげんのためにらえられたのでした。
平原の木と鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ライラックがそのろうたけた紫の花房と香とで畑のあぜを飾り、林檎が田舎娘のような可憐な薄紅色の蕾を武骨な枝に処せまきまで装い、すみれ蒲公英たんぽぽが荒土を玉座のようにし
フランセスの顔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
だから、まがったあぜを持った耕地はなくなり、また妙な複雑な形をした耕地もなくなった。
超人間X号 (新字新仮名) / 海野十三(著)
悪洒落の続きを切るために、小野さんは一歩橋の真中まんなかへ踏み出した。浅井君のひじは欄干を離れる。右左地を抜く麦に、日は空から寄って来る。暖かき緑は穂をかすめてあぜのぼる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私が眼をつぶると、田のあぜ一本一本、畑の土くれの一つ一つもはっきり浮かんで来ます。
家貧にしてもっぱら農業をつとめたり、然もその読書をたしなむの深き、米く時はスガリ木に棚をし、これに書を載せて米をき舂きこれを読み、畑に出でてもあぜの草の上に置きて
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
戒師は誰であったか、の書にも見えぬが、保胤ほどの善信の人に取っては、道のかたえの杉の樹でも、田のあぜ立杭たちぐいでも、戒師たるに足るであろうから、誰でも宜かったのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しのの細道け行けば、虫のこえごえ面白や降りそむる、やれ降りそむる、けさだにもけさだにも所はあともなかりけり西は田のあぜあぶないさ、谷みねしどろに越え行け
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
三人はあぜ道の枯草をふんで急いだ。行きつくまでには五分とはかからなかった。
次郎物語:03 第三部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
この間の夕ぐれも、私が亡き姉の生前中のことなど思いながら、田圃みちを散歩していますと、向こうのあぜのようなところを乳母が和枝を抱いて、おのが家に帰って行くのを見かけました。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
実はあの時分王様のお猟にゆきあひまして、その時たかに羽をいためられましたが、やう/\あすこまで逃げて、田の中のあぜへ降りますと、若い者に見付かつて、あぶなく殺されるところでした。
竜宮の犬 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
つまりは麦が成長して容易に小児の姿を隠し、また山の獣などのあぜづたいに、里に近よるものも実際に多かったのである。高麦のころに隠れん坊をすると、狸にだまされると豊後ぶんごの奥ではいうそうだ。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
元来彼は拙劣な児童教育家であって、畑の草を抜いてあぜを掘ることよりも、いい種をつかんで手当たりしだいにき散らすほうが得手だった。——クリストフがいるためにいっそう当惑をきたした。
都大路みやこおほぢに世の榮華をつくすも、しづ伏屋ふせやあぜ落穗おちぼひろふも、暮らすは同じ五十年の夢の朝夕。妻子珍寶及王位さいしちんぱうおよびわうゐ命終いのちをはる時に隨ふものはなく、野邊のべより那方あなたの友とては、結脈けちみやく一つに珠數じゆず一聯のみ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
それが下駄を片手にぶらさげて跣足はだしで田のあぜを逃げ廻るのを、村のアマゾン達が巧妙な戦陣を張ってあらゆるみちを遮断しながらだんだんに十六むさしの罫線のような畦を伝って攻め寄せて行った。
五月の唯物観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼女は小鳥かなぞのようにおじけてちらりと見た眼を胸のへんにつけながらおずおずとすぎていった。田のあぜや湖ぎわに枸杞くこもまじって赤い実が沢山なってるのをよくみればひとつひとつ木がちがう。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
芹青む小田の田べりのちよろろ水けさ見に来ればあぜを越えつつ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
鳴きながらあぜくぼみに互いに呼び交しているように。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
すなあぜくろ、穴に穿ち、續いて歩むともがらは
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
此村を出でばやと思ふあぜを焼く
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
あぜの穴からひよつこりと
小さな鶯 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
あぜをゆくまだらの牛と
(新字旧仮名) / 末吉安持(著)
あぜを踏分けて跡をつけては、先へ立って、はたけを切れて、夜は虫が鳴く土手をあがったが、ここらはまだつまを取るほどのしずくじゃなかった。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
霜解しもどけの千束村のあぜを、梅の枝を持って通る人や、のろのろと歩む空駕からかごの人影がいかにも春先の点景らしく、うららかに動いて見えます。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)