渺茫びょうぼう)” の例文
ただ波頭なみがしらしろえるかとおもうとえたりして、渺茫びょうぼうとした海原うなばらいくまんしろいうさぎのれがけまわっているようにおもわれました。
黒い旗物語 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかして中央アジアの平原大野は渺茫びょうぼうとして限りなくはるかにゲルマン、オランダの中腹に連なり、浩乎こうことしてその津涯しんがいを知らず。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
こう思いながら、鞍馬くらまの竹童は、野末にうすづく夕陽ゆうひをあびて、見わたすかぎり渺茫びょうぼうとした曠野こうやの夕ぐれをトボトボと歩いていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女はまた、自分の頭の上に大きく拡がっている、眼に泌みるような青い空と、渺茫びょうぼうたる碧い碧い海原とをしばらく眺めていた。
初雪 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
寺と海とが離れたように、を抜いてお話しましょう。が、桃のうつる白妙しろたえの合歓の浜のようでなく、途中は渺茫びょうぼうたる沙漠のようで。……
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
丘の突角は次第に左の方へ遠退とおのいて行って、私は知らずらずの間に、ほとんど不意に林の中から渺茫びょうぼうたる海の前景のほとりに立たされてしまった。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
経費なんかはどうでもなれという気になって、東奔西走しているうちに妙なものだね。到る処の漁村の背後に青々せいせい渺茫びょうぼうたる水田が拡がって行った。
爆弾太平記 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その渺茫びょうぼうたる海の上で、美智子さんと僕のふたりは海亀の群れに包囲されて、どうしていいかわからなくなった。
海亀 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
東京でこそ外へさえ出れば、向うから眼の中へ飛び込んでくる図だが、渺茫びょうぼうたる草原くさはらのいずくを物色したって、斯様かよう文采ぶんさいひとみに落ちるべきはずでない。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それよりもむしろ自分の一生のうち二度と来ない夢の世界の恍惚こうこつひたつてゐるやうな渺茫びょうぼうとした気持ちだつた。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
或る人類学者は渺茫びょうぼうたる太平洋上に点在するこれらの遺址(ミクロネシヤのみならずポリネシヤにも相当に存在する。イースター島の如きは最も有名だが)
そして単に形容たるのみならず、おそらくは渺茫びょうぼうたる大洋わだつみの中に幾日かを送る航海者に取りては、ヨブ記のこの語が宛然さながらに事実なるが如く感ぜらるるであろう。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
船はいつか小名木川おなぎがわの堀割をで、渺茫びょうぼうたる大河の上にうかんでいる。対岸は土地がいかにも低いらしく、生茂おいしげあしより外には、樹木も屋根も電柱も見えない。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「藁積んで」の句は、冬枯の野にところどころ藁が積んであるが、そのほかには目に立った林もなく人家もなくただ渺茫びょうぼうとしてさびしく広い、というのであります。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
鬼界きかいが島の海岸。荒涼こうりょうとした砂浜すなはま。ところどころに芦荻ろてきなどとぼしくゆ。向こうは渺茫びょうぼうたる薩摩潟さつまがた。左手はるかに峡湾きょうわんをへだてて空際くうさい硫黄いおうたけそびゆ。いただきより煙をふく。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
見ゆる限り海波が渺茫びょうぼうとして、澎湃ほうはいとして、奔馬のごとくに盛り上がって、白波が砕けて奔騰し、も一度飛び散って、ざざーっとはるかの眼下のいわおに、飛沫しぶきをあげています。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
おおらかな微笑をたたえて地上を闊歩かつぽしそうな姿態である。神韻渺茫びょうぼうたる一の精神が、人間像に近接しながら、しかも離れて何処へとなくふらふらと歩いて行くような姿だ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
その一列一体の姿勢には、それが渺茫びょうぼうとしているだけに何やら空々たる趣きがあった。
彼は、影のような過去の夢の中になおさまよいながらも、やわらかい霊光の無我の境地に浸って、渺茫びょうぼうたるかなたに横たわる自由をあこがれる新たに目ざめた心境をおこそうと思った。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
いよいよ日本海にずれば、渺茫びょうぼうとして際涯なく黒い海面は天に連なり、遥か左方は親知らず子知らずのへんならん、海波を隔てて模糊もこの間に巉巌ざんがんの直ちに海に聳立そばだっている様が見える。
渺茫びょうぼうたる戦争の廃墟の中に立った者のみの知る、絶望を味わっているのであります。この絶望の中から、芸術を守ろうとするもがきが、かかる幽玄の世界を形づくっていくのであります。
日本の美 (新字新仮名) / 中井正一(著)
向山むかいやまに登り仙台全市街を俯瞰ふかんしては、わけのわからぬ溜息ためいきが出て、また右方はるかに煙波渺茫びょうぼうたる太平洋を望見しては、大声で何か叫びたくなり、若い頃には、もう何を見ても聞いても
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
湖海の渺茫びょうぼうたる、山嶽の巍峨ぎがたる、大空の無限なる、あるいは千軍万馬の曠野こうやに羅列せる、あるいは河漢星辰かかんせいしんの地平に垂接せるが如き、皆壮大ならざるはなし。勢力の多き者は雄渾なり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
み渡すかぎりの、三河島から尾久へかけての渺茫びょうぼうとうちつゞいた屋根々々の海。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
駄夫は往来へ突つ立つて、白い光の敷き詰めた路の最中さなかに踊るやうな様をしながら、二階の窓際に佇んで彼を見送る与里を見上げ、真上に拡がる莫大な渺茫びょうぼうとした蒼空を指し示してみせた。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
異邦の渺茫びょうぼうたる高原の一つ家で、空高い皎々こうこうたる秋の月を眺めた者のみの知る、あのたえ難いみだすような胸の疼痛とうつう、死の苦痛にも勝るあの恐ろしい郷愁にも似た苦悩に充満するのだった。
五階の窓:04 合作の四 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
さけび雲走り、怒濤澎湃どとうほうはいの間に立ちて、動かざることいわおの如き日蓮上人の意気は、壮なることは壮であるが、煙波渺茫びょうぼう、風しずかに波動かざる親鸞上人の胸懐はまた何となく奥床おくゆかしいではないか。
愚禿親鸞 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
これより、ようやくその心に精究すれば、ようやくその真相を開顕し、ついに心天渺茫びょうぼうたるところ、ただ理想一輪の明月を仰ぎ、一大世界ことごとく霊然たる神光の中に森立するを見るべし。
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
その代わりには渺茫びょうぼうたる海の色、日の光が際限もなく、幽艶の美を助けているようである。八重の薄桃色のバラにばかりなれた目には、古代な紅色の単弁たんべんが、何よりもなつかしく感じられる。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そこで、前途は渺茫びょうぼうたる海原うなばらへ船を乗り入れて行くような感じもしないではないが、翻って見ると、秩父の連峰、かりに名づけて武蔵アルプスの屏風びょうぶが、笑顔を以て送るが如くたたずんでいる。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ただ渺茫びょうぼうはてしもない、一枚の泥地。藻や水草を覆うている一寸ほどの水。陰惨な死の色をしたこの沼地のうえには、まばらな細茅サベジニヨスのなかから大蕨フェート・ジガンデが、ぬっくと奇妙なこぶしをあげくらい空を撫でている。
人外魔境:05 水棲人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
西方は渺茫びょうぼうたる大西洋にさえぎられ、その間僅に西班牙、仏蘭西、英吉利等あるのみであるが、東方に於ては欧洲の大部分を征服し、更に足一たび亜細亜アジアに向えばそこに茫漠たる大陸を占むるの余地あり
東西相触れて (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
それは渺茫びょうぼうとして歴史以前の雲の中に隠れている。
私娼の撲滅について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
難波の神崎川、中津川のあたりは、まだよしあしや所々の耕地や、塩気のある水がじめじめしている池などの多い——渺茫びょうぼうたる平野だった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれは、あめかぜくる渺茫びょうぼうたる海原うなばら想像そうぞうして感歎かんたんこえはなちました。龍夫たつお父親ちちおやは、南洋なんよう会社かいしゃつとめていて、その病死びょうししたのです。
台風の子 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そして首尾よく構えの外へ脱出すると、すぐその場で松明を捨て、五六丁走った後に被衣かつぎかぶって、見渡すかぎり渺茫びょうぼうとした月明げつめいの中へ溶け込んで行った。
しかもそれは殆ど何の用をさず、空しく渺茫びょうぼうたる海中に横わっているのである。
一日一筆 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鬱蒼うっそうたる熱帯林や渺茫びょうぼうたる南太平洋の眺望をもつ斯うした土地に、自分の力で一つ一つ生活の礎石を築いて行くのは、スティヴンスンにとって、子供の時の箱庭遊に似た純粋な歓びであった。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
海は渺茫びょうぼうとして、艦は相変らずヨタヨタと右に左に酔っぱらいのように揺れながら、千鳥足で進んでいるばかり! その不思議な物音は、艦のゆく手からとどろいてくるように思われるのであった。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
渺茫びょうぼうとして人煙を絶することは陸も海も同じようなる鹿島洋かしまなだ
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
渺茫びょうぼうたる広野ひろのの中をタタタタとひづめ音響ひびき
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
だが、渺茫びょうぼうたる大自然の下には、蟻が穴を穿うがったほどの工事の跡も見えない。多少、予定工事が進んだかと思えば、一日の豪雨で洗い消されてしまう。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
その洲の川下の方の端はつい眼の前で終っているのが分るのであるが、川上の方は渺茫びょうぼうとしたうすあかりの果てに没して何処までもつづいているように見える。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
渺茫びょうぼうたる曠野ひろのの中をタタタタとひづめ音響ひびき
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
渺茫びょうぼう千七百年、民国今日の健児たちに語を寄せていう者、あにひとり定軍山上の一きんのみならんやである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世間というものが途端に渺茫びょうぼうとして頼りない海騒うみさいのように思えた。経験のある社会といえば、郷里の宮本村と、関ヶ原の戦のあった範囲よりほか知らないのである。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉の作戦は、その設計どおり、全面積約百八十八町歩にわたる渺茫びょうぼう泥湖でいこを作りあげていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてめぐり廻る家や岡や林——それらの土郷どごう風物がすべて後ろに別れ去ると、もう、さして行く先は渺茫びょうぼうとして海のような武蔵野の原——行けども草原、行けども草原です。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渺茫びょうぼう三百余里が間、地をおおうものはただ黒煙くろけむりだった。天をこがすものは炎の柱だった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ザワザワとその茂りを分けて、上へ上がッて見ると、夜は深沈たる武蔵野の渺茫びょうぼうです。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)