武蔵野むさしの)” の例文
旧字:武藏野
認めあれはと問えば今が若手の売出し秋子とあるをさりげなくはらにたたみすぐその翌晩月の出際でぎわすみ武蔵野むさしのから名も因縁づくの秋子を
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
丘のすそをめぐるかやの穂は白銀しろかねのごとくひかり、その間から武蔵野むさしのにはあまり多くないはじの野生がその真紅の葉を点出てんしゅつしている。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
この季節に、底青く開けた空を望み得るということも、めずらしい。私の側へ来てささやいているのは確かに武蔵野むさしのの『冬』だ。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
特に武蔵野むさしのの平野を縦横に貫通している、様々な私設線の電車に乗って、沿線の新開町を見に行くのが、不思議に物珍らしく楽しみである。
秋と漫歩 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
新らしく対った南の窓からは、武蔵野むさしのの一郭を蓋う空がゆるやかな弧を描いて、彼方の街路の端れに消えていた。まず視界の八分は空であった。
(新字新仮名) / 鷹野つぎ(著)
都会の雑沓ざっとうから遠く離れた武蔵野むさしのの深夜は、冥府めいふのように暗く静まり返っていた。音といっては空吹く風、光といってはまたたく星のほかにはない。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
五時半起床というのが、二月の武蔵野むさしのでは、ちょっとつらそうにも思えたが、それも青年たちにとっては、決しておどろくほどのことではなかった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
武蔵野むさしのではまだ百舌鳥もずがなき、ひよどりがなき、畑の玉蜀黍とうもろこしの穂が出て、薄紫の豆の花が葉のかげにほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで
日光小品 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しばらく田舎にいたせいかイエにはその血筋らしい武蔵野むさしの少女の匂いが感ぜられた。制服姿の私を見て、「まあ、清さん、大きくなって。」と云った。
前途なお (新字新仮名) / 小山清(著)
小規模のいわゆる「塵旋風ちりせんぷう」は武蔵野むさしののような平野に多いらしいから、この事も全く無根ではないかもしれない。
化け物の進化 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
寄宿舎の二階の窓近く大きな花を豊かに開いた木蘭もくらんにおいまでがそこいらに漂っているようだった。国分寺こくぶんじ跡の、武蔵野むさしのの一角らしいくぬぎの林も現われた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「お上はたいそう冬の武蔵野むさしのをお好みあそばしますので」と角屋金右衛門が云った、「およそこういうものをと、私から古渓先生にお願い申したのでございます」
扇野 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ところが今から三十年まえ、まだ東京の郊外が武蔵野むさしのであったころに、今の多摩墓地たまぼちのすこし東のほうに、たった一軒だけこの萱葺きの家を新築した人があった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
新らしく出来あがった武蔵野むさしの映画館へそっと入ったりしているうちに、また逗子へも行くことになった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
懐かしさ、恋しさの余り、かすかに残ったその人の面影おもかげしのぼうと思ったのである。武蔵野むさしのの寒い風のさかんに吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音がすさまじく聞えた。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
道を少し左へ切れて武蔵野むさしの特有の疎林に囲まれながらわびしく営まれていた幽光院というお寺を見つけると、さもわが家のごとく、すうと奥へはいってまいりました。
現在のこの武蔵野むさしのの一角に、八畳、六畳、四畳半、三畳の新築の文化住宅みたいなものを買い、自分は親戚しんせきの者の手引きで三鷹みたか町の役場に勤める事になったのである。
家庭の幸福 (新字新仮名) / 太宰治(著)
晩秋の日は甲州こうしゅうの山に傾き、膚寒い武蔵野むさしのの夕風がさ/\尾花をする野路を、夫婦は疲れ足曳きずって甲州街道を指して歩いた。何処どこやらで夕鴉ゆうがらすが唖々と鳴き出した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
美妙斎の名が初めて世間を騒がしたは『読売新聞』で発表した短篇「武蔵野むさしの」であった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
ひろびろとした武蔵野むさしのを、江戸の方へむかつて、五人のさむらひをのせた五頭の馬が、風のやうにかけて行きます。通りがかりの人人は、あきれたやうにそのあとを見おくりました。
鬼カゲさま (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
武蔵野むさしのなどを散歩していますと、よく路傍の石碑いしにきざんである、この仏のおすがたを見うけるのですが、とにかく、仏さまなら、もう阿弥陀如来にょらいだけでよい、大日如来だけでよい
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
侠党きょうとうの人々が、御岳みたけのすそ、北多摩きたたまのふもとから青毛あおげ月毛つきげ黒鹿毛くろかげ馬首ばしゅをならべて、ぎんのすすきのなみをうつ秋の武蔵野むさしのを西へさしてったのは、その翌々日よくよくじつのことであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宗右衛門の父祖は北国ほっこくある藩の重職にあつた。が、その藩が一不祥事の為め瓦解がかいふや、草深い武蔵野むさしのの貧農となつて身をくらました。宗右衛門の両親は、その不遇の為めに早世した。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
ムラサキと武蔵野むさしのはつきものであるが、今日こんにち武蔵野にはムラサキは生じていない。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
武蔵野むさしのの原に大江戸の町が開かれたことを思えば、このくらいの変遷は何でも無いことかも知れないが、目前もくぜんにその変遷をよく知っている私たちに取っては、一種の感慨がないでもない。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その時、初秋に近い武蔵野むさしのは、すすきが白く空が北国までも見通せるくらいに澄み切っていて、妙にしんかんとして、その有様が来るべき冬のやり切れない物悲しさを想像させたのである。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
M君の霜柱の研究というのは、武蔵野むさしのの赤土に立つ唯の霜柱のことである。
葦垣あしがきのまぢかきほどにはべらひながら、今まで影踏むばかりのしるしも侍らぬは、なこその関をやゑさせ給ひつらんとなん。知らねども武蔵野むさしのといへばかしこけれど、あなかしこやかしこや。
源氏物語:26 常夏 (新字新仮名) / 紫式部(著)
戸山の原は東京の近郊に珍らしい広開こうかいしたである。目白めじろの奥から巣鴨すがもたきがわへかけての平野は、さらに広い武蔵野むさしのの趣を残したものであろう。しかしその平野はすべ耒耜らいしが加えられている。
ああ今の東京とうけい、昔の武蔵野むさしの。今はきりも立てられぬほどのにぎわしさ、昔は関も立てられぬほどの広さ。今なかちょう遊客うかれおにらみつけられるからすも昔は海辺うみばた四五町の漁師町でわずかに活計くらしを立てていた。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
津村は何日に大阪を立って、奈良ならは若草山のふもと武蔵野むさしのと云うのに宿を取っている、———と、そう云う約束やくそくだったから、こちらは東京を夜汽車で立ち、途中とちゅう京都に一泊して二日目の朝奈良に着いた。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
夕闇ゆうやみがせまる武蔵野むさしののかれあしの中をふたりは帰る。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
代り合って武蔵野むさしの平野が開ける。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
いまか市場いちば武蔵野むさしの
全都覚醒賦 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
試みに君が武蔵野むさしの辺の緑を見た眼で、ここの礫地いしじに繁茂する赤松の林なぞを望んだなら、色相の相違だけにも驚くであろう。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
こうして、ついに約束やくそくの土曜日が来た。天気は快晴というほどではなかったが、この季節の武蔵野むさしのにしては、風も静かで、割合あたたかい日だった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
武蔵野むさしのの西から流れて来た小川が、そこで滝になって、昔は桜の名所であった江戸川となり、大曲おおまがりを曲って、飯田橋いいだばしの所で外堀に流れ込んでいるのだ。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
昼食後に研究所の屋上へ上がって武蔵野むさしのの秋をながめながら、それにしてももう一ぺん金曜日の不思議をよく考え直してみなければならぬと思うのである。
時事雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
春先とはいえ、寒い寒いみぞれまじりの風が広い武蔵野むさしのを荒れに荒れて終夜よもすがらくら溝口みぞのくちの町の上をほえ狂った。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
赤裸な雑木林のこずえから真白まっしろな富士を見て居た武蔵野むさしのは、裸から若葉、若葉から青葉、青葉から五彩美しい秋の錦となり、移り変る自然の面影は、其日〻〻其月〻〻の趣を
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
よいはこのときに及んでようやく春情を加え、桜田御門のあたり春意ますます募り、うしふち武蔵野むさしのながらの大濠おおほりに水鳥鳴く沈黙しじまをたたえて、そこから駕籠は左へ番町に曲がると
おきぬは武蔵野むさしの市のはずれにある、アパートの女中である。ことし十九になる。小柄でまるまるとふとっていて、お団子のような感じがする。油気のない髪をしていて、器量もまずい。
早春 (新字新仮名) / 小山清(著)
以上いじょう縄取なわどりによれば、多摩たま長流ちょうりゅう唯一ゆいつのたのみとし、武蔵野むさしの平地へいちと上流のてきにのみそなえをおかるるお考えのようにぞんずるが、かりに、御岳みたけうらにあたる御前山おんまえさん奇兵きへいをさし向け
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
班女はんじょといい、業平なりひらという、武蔵野むさしのの昔は知らず、遠くは多くの江戸浄瑠璃じょうるり作者、近くは河竹黙阿弥もくあみおうが、浅草寺せんそうじの鐘の音とともに、その殺し場のシュチンムングを、最も力強く表わすために
大川の水 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
冬枯の雑草に夕陽ゆうひのさす景色はのあたり武蔵野むさしのを見るようであった。
汽車が新緑の憂鬱ゆううつ武蔵野むさしのを離れて、ようやく明るい山岳地帯へ差しかかって来るにつれて、頭脳あたまさわやかになり、自然にかつえていた均平の目をたのしましめたが、銀子も煩わしい商売をしばし離れて
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
三日養ってねこに食われてそれでも格別くやしそうな顔もせずまたこの店へ来て買うのであろうな、いかさま武蔵野むさしのは広い、はじめて江戸を見直したわい、などと口々に勝手な事を言って単純に興奮し
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ねは見ねど哀れとぞ思ふ武蔵野むさしのの露分けわぶる草のゆかりを
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
私はこの春の遅い山の上を見た眼で、武蔵野むさしの名残なごりを汽車の窓から眺めて来ると、「アア柔かい雨が降るナア」とそう思わない訳には行かない。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
こうしてわが大東京はだらしなく無設計に横に広がって、美しい武蔵野むさしのをどこまでもと蚕食して行くのである。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)