ふく)” の例文
四月の十四日——父の命日には、年々床の間に父の名の入つた石摺いしずりの大きなふくをかけて、机の上に位牌と御膳おぜんを据ゑて、お祭をした。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
雲林筆うんりんひつとなへる物は、文華殿ぶんくわでんにも三四ふくあつた。しかしその画帖の中の、雄剄ゆうけいな松の図に比べれば、はるかに画品の低いものである。
支那の画 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
星巌の室紅蘭こうらんの書も、扇面や屏風びょうぶなど数点を蔵していること、山陽の女弟子として名高い江馬細香えまさいこう筆蹟ひっせきも幾ふくかを所持していること
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
私が笑ひながら、少し殺風景過ぎることを云ふと、当主の母である、しつかり者らしい年寄りが、案外気安く大和絵のふくを掛けてくれた。
野の墓 (新字旧仮名) / 岩本素白(著)
足音を聞いて年長の侍僕ボオイが出て来たが、われ/\を見るなり、別に取りのけてあつたふくを出して壁に掛けた。見事な墨竹の図だ。
南京六月祭 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
梅にうぐいすやら、浦島が子やら、たかやら、どれもどれも小さいたけの短いふくなので、天井の高い壁にかけられたのが、しり端折はしょったように見える。
普請中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ことによると、ふくの紙質が古くても朱泥がどうでも、或は案外近世の無名の坊さんが、ひょっと書いたりしたものじゃないか。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ところで、私がくにしても、この位の密画やと四五年は懸るさかい、このふくはまあ持つてんで、懸けて置いて下さい。」
父は「お前の下宿の番地を書いて、御母さんに渡しておきな」と注意した。それから床のふくについていろいろな説明をした。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
このふくが立派に表装されたところで、書斎の床の間にかけて、一人で眺め入った。そしたら仙台の秋が近々とよみがえって来た。
南画を描く話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
奥の壁つきには六字名号みょうごうふくをかけ、御燈明おとうみょうの光ちら/\、真鍮しんちゅう金具かなぐがほのかに光って居る。みょうむねせまって来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
既に入りて畫を看れば、ふくごとに舊知なるごとく思はる。されど姫は却りてこれを知ること我より深かりき。
お兄様がまだ若くて、陸軍へ出られて間もない明治十五年頃でしたろうか、千住の家で書斎にお使いの北向の置床おきどこに、横物よこものの小さいふくを懸けて眺めておられました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
すでに十幾ふくかの絵が、頭のなかにはっきりと描かれている。それらの絵は、人に見せることもできないが、決して悪評されることもない。それでいいのだ、と甲斐は思った。
やがて茶を持つて來た女中が引き下つた部屋の中を見𢌞し、床の間の壁にかかつてゐるふくの七言絶句の最初の一句がどうにか讀めたと思つた時に、廊下に足音としはぶく聲とがした。
続生活の探求 (旧字旧仮名) / 島木健作(著)
北斎ほくさいの描いたという楊貴妃ようきひふくが気に入って、父にねだって手に入れた時、それにあう文字を額にほしいと思って、『文選もんぜん』や『卓氏藻林たくしそうりん』や、『白氏文集はくしもんじゅう』から経巻まで引摺ひきずりだして見たが
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
夏目先生は書のふくを見ると、独りごとのように「旭窓きょくそうだね」と云った。落款らっかんはなるほど旭窓外史きょくそうがいしだった。自分は先生にこう云った。
子供の病気:一游亭に (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
床はあるが、言訳いいわけばかりで、げんふくも何もかかっておらん。その代り累々るいるいと書物やら、原稿紙やら、手帳やらが積んである。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
日ごろは琵琶びわの祖神蝉丸せみまる像のふくが見える板かべのとこには、それがはずされて、稚拙ちせつな地蔵菩薩像のふくがかけられ、下には一位牌いはいがおかれていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
N氏の所から、震災では九谷焼も勿論駄目だったろうねといって、鳥窠禅のふくをくれたが、とこのない下宿の四畳半では、空しく行李こうりの中でねている。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
「そいぢや、おうちの床の間には、師匠のこの幅はかゝらんで、私のは懸る事になりますな、同じ大きさのふくでゐて。」と栖鳳氏は一寸窄口つぼぐちをして笑つた。
抽斎の述志の詩は、今わたくしが中村不折なかむらふせつさんに書いてもらって、居間に懸けている。わたくしはこの頃抽斎を敬慕する余りに、このふくを作らせたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
わたしの通されたへやは、奥の風通しのい二階であつた。八畳の座敷に六畳の副室があつた。衣桁えかうには手拭が一すぢ風に吹かれて、まづ山水さんすゐふくが床の間にけられてあつた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
「え、拙者にこの梁楷のふくを下さるというのですか。もっての外のことです、数日御厄介に甘えた上こんな御家宝を戴いてよいものではありませぬ」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このふくはその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
時雄はさる画家の描いた朝顔のふくを選んで床に懸け、懸花瓶けんかびんにはおくざき薔薇ばらの花をした。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
はなはだ勝手がましいおねがひでは御座るが、百ふく程御寄進が願へますまいか。」
げん李※りかん文湖州ぶんこしうの竹を見る数十ふくことごとく意に満たず。東坡とうば山谷等さんこくらの評を読むもまた思ふらく、その交親にわたくしするならんと。たまたま友人王子慶わうしけいと遇ひ、話次わじ文湖州の竹に及ぶ。子慶いはく、君いまだ真蹟を見ざるのみ。
箱は真物ほんものだね。とまだそんなことをいったかと思う。そしてふく一展いってんした。聯落れんおちぐらいな、そして紙中もめずらしく疲れのない、古びも程よい幅である。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この間ある雑誌をよんだら、こう云う詐欺師さぎしの小説があった。僕がまあここで書画骨董店こっとうてんを開くとする。で店頭に大家のふくや、名人の道具類を並べておく。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
父親は近在の新郷しんごうというところの豪家に二三日前書画のふくを五六品預けて置いて来た。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ふくはこの和尚のものにざらにあるやうに無落款だつた。
と、ひとりで哄笑しながら出て来たが、やがて説明していうには、その宮本武蔵の画像のふくは、生憎あいにくと今はない。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なるほどうめうぐいすだ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、このふくを自分の父からもらって、大得意で自分のへやへ持って来て見せたのである。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
きりの古い本箱が積み重ねられて、綱鑑易知録こうかんいちろく、史記、五経、唐宋八家文とうそうはっかぶんなどと書いた白い紙がそこに張られてあった、三尺の半床はんどこ草雲そううんの蘭のふくのかかっているのが洋燈らんぷの遠い光におぼろげに見える。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
半江はんかうふく3・24
それからそのうちで面白そうなものを四、五ふく裸にして行李こうりの底へ入れて来ました。私は移るやいなや、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
信長の乞いに委せて遠く博多からたずさえて来て鑑賞に供えた家伝来のふく牧谿もっけい遠浦帰帆之図えんぽきはんのずは、たちこめる煙の中にも、名画の気品をすこしもさわがしてはいなかった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼はと云う名のほとんどくだすべからざる達磨だるまふくを掛けて、ようできたなどと得意である。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
内庭の向うを覗くと、なるほど、斑竹はんちくのすだれ越しに、花瓶かびんの花、四ふく山水さんすい掛軸かけじく香卓こうたく椅子いすなどがいてみえる。——燕青えんせい禿かむろの女の子の手へ、そっとおかねを握らせた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とこは一間を申訳のために濃いあいの砂壁に塗り立てた奥には、先生が秘蔵の義董ぎとうふくが掛かっていた。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
清吉は、自分が惜しい眼でもしていないかとおそれて、床の間の懐月堂かいげつどうふくを見ていた。
春の雁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二月の初旬に偶然うま伝手つてができて、老人はこのふくを去る好事家こうずかに売った。老人はただち谷中やなかへ行って、亡妻のために立派な石碑をあつらえた。そうしてその余りを郵便貯金にした。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし——衣桁いこうにかかっているのは、常に彼の身につけている黒の衣服と一すじの白博多で、そのほかは、床のふくであり、乱ればこであり、これと言って変った品も目にとまりません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御祖母おばあさんは去る大名の御屋敷に奉公していた。さるの年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿にちなんだものを時々下さった。その中に崋山かざんいた手長猿てながざるふくがある。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そこで目をパチパチさせて、庭を見たり、窓から首をのばして見たり、天井を眺めたり、床の間のふくに向ってみたり、たまたま見つけた天陽虫てんとむしに頬杖をついて話しかけて見たくなったり……
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
虚子きょしが来てこのふくを見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。
子規の画 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もうひとつのふくには
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ハハハハ。和尚おしょうさんは、山陽がきらいだから、今日は山陽のふくを懸けえて置いた」
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
秘蔵の義董ぎとうふくそむいてよこたえた額際ひたいぎわを、小夜子が氷嚢ひょうのうで冷している。蹲踞うずくまる枕元に、泣きはらした眼を赤くして、氷嚢の括目くくりめに寄るしわを勘定しているかと思われる。容易に顔を上げない。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)