もつぱ)” の例文
新字:
ときはたには刷毛はけさきでかすつたやうむぎ小麥こむぎほのか青味あをみたもつてる。それからふゆまた百姓ひやくしやうをしてさびしいそとからもつぱうちちからいたさせる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
四世本因坊ほんいんばうの名人道策だうさくが、日本の圍碁ゐごを黄金時代にみちびき、町方にももつぱら碁が行はれた頃、丁度今日の麻雀マージヤンなどのやうに一時に流行をきはめた時分です。
伊太利イタリーのさる繁華はんくわなるみなと宏大りつぱ商會しやうくわいてゝ、もつぱ貿易事業ぼうえきじげふゆだねてよし、おぼろながらにつたくのみ。
配分されしかば其金を懷中して所々を徘徊はいくわいなしもつぱら賭博に身を入又大酒を呑己が有に任せて女郎藝者げいしやかひ金銀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
けれども大昔おほむかしには、うたとづくべきものがおほかつたので、そのうち、一番いちばんあと出來できて、一番いちばん完全かんぜんになつたものが、うたといふもつぱらにしたのであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
わたしをついてかしこまると、先生せんせいにはお客分きやくぶん仔細しさいないのに、宙外ちうぐわいさんもけむかれて、かた四角しかくすわなほつて、さけのいきを、はあはあと、もつぱらピンとねたひげんだ。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
それで考古學こうこがくでは、遺物いぶつばかりで研究けんきゆうしなければならぬごくふる時代じだい、あるひは遺物いぶつおも使つかつて研究けんきゆうしなければならぬふる時代じだいのことをもつぱ調しらべてくのであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
なんとくしたがそのもつとおほい(五三)彰明しやうめい較著かうちよなる者也ものなり近世きんせいいたるがごとき、(五四)操行さうかう不軌ふきもつぱ(五五)忌諱ききをかし、しか終身しうしん逸樂いつらくし、富厚ふうこうかさねてえず。
その弟で四つになつたばかりの富太郎に、女中のお染と下男の六兵衞を附けて、根岸の寮に置き、もつぱら身體の弱い富太郎の養生をさせて居りました。
さかゆる事天のめぐみとは云乍いひながら一ツには大岡越前守殿の明智めいち英斷えいだんるものなりともつぱ當時たうじ人々ひと/″\うはさをなせしとぞ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
分別ふんべつをするから、つぶてつたり、煙管きせる雁首がんくび引拂ひつぱらふなど、いまやうな陣笠ぢんがさ勢子せこわざ振舞ふるまはぬ、大將たいしやうもつぱ寛仁大度くわんにんたいどことと、すなは黒猫くろねこを、ト御新造ごしんぞこゑ内證ないしよう眞似まね
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
この裝甲さうかう現今げんこんもつぱおこなはれてるハーベーしき堅硬法けんかうほふほどこしたる鋼板こうはんもしくは白銅鋼板等はくどうこうばんとうよりは、數層倍すうそうばい彈力性だんりよくせい抵抗力ていこうりよくいうするある新式裝甲板しんしきさうかうばんにて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ幾星霜いくせいさうあひだ
この大英博物館だいえいはくぶつかんもつぱ古代こだいのものを蒐集しゆうしゆうしてゐますのにたいして、今少いますこあたらしい時代じだい美術品びじゆつひん歴史れきしかんするものを陳列ちんれつしたものに、ビクトリア・アルバート博物館はくぶつかんといふのがロンドンにあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
「ところでもう一つ、金田屋は拔け荷を扱つて居ると、もつぱら世上の噂だ。此家こゝ南蠻なんばん物の鐵砲などはありやしないか」
右の通り出役しゆつやくの者取調とりしらべし上書付二通大岡越前守殿へ差出しけるによつて越州殿にはさてこそ推量すゐりやうたがはず外に惡賊あくぞく有ことと是よりもつぱら其本人を種々いろ/\詮議せんぎされけるとなん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この魚形水雷ぎよけいすいらいは、その全長ぜんちやうわずかに二ヒートインチ最大さいだい直徑ちよくけいインチぎず、これ今日こんにち海戰かいせんもつぱおこなはるゝ保氏魚形水雷ホルランドしぎよけいすいらいすると、そのおほいさは七ぶんの一にもらぬが、氣室きしつ浮室ふしつ尾片等びへんとう設備せつび整然せいぜんとして
普通ふつう圓塚まるづかもつぱおこなはれるようになりました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
咄嗟とつさの間の細工で、女や子供には出來ない藝と睨み、調べはもつぱら男に集中しましたが、それでも、東海坊をめぐる女の一群に關心を持たない平次ではありません。
「へツ、お靜姐さんが、若くて綺麗なせゐぢやありませんか。世間ではもつぱらそんな事を言つて居ます」
中年過ぎからはもつぱら江戸中から美しい素人娘をあさり、それを金の力で強引にめかけにして、一人々々閨房けいぼうの惡戯で殺して行つたといふ、恐ろしい噂が立つてゐたのです。
もつぱら五六歳から十歳に充たぬ幼童に一種の法をほどこして、その魂を『救はれた』とするのです。
その音の清濁せいだくをしらべるのが一番確かな方法とされ、明治の末頃までもつぱら硬貨の流通してゐた頃は、東京の店にも、砥石を据ゑて、五十錢銀貨を一つ/\叩いてから受取る店があつたものです。
銭形平次捕物控:274 贋金 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
世間ぢや、もつぱらそんな噂ですがね、小判の瓶なんてものは、さうピヨコピヨコ出て來るものぢやありませんね、それに主人の金兵衞は白梅の精に脅えて、梅の木の四方にしめ繩を張り、滅多に人を