ふく)” の例文
この楠先生もよくお愛想に出した葡萄酒の杯をふくんだりして、耳新しい医学上の新学説などを聞かせてくれたような記憶がある。
追憶の医師達 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
日比野の家の、何か物事をふくんで控え目に暮している空気がお涌にはなつかしまれた。それには豪華を消しているうすら冷たい感じがあった。
蝙蝠 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
卯平うへいは一ぱいをもくちふくまぬのに先刻さつきからたゞ凝然ぢつとして、さわぎをくでもなくかぬでもない容子ようすをして胡坐あぐらをかいてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
その頃イイダの君はとをばかりなりしが、あはれがりて物とらせつ。もてあそびの笛ありしを与へて、『これ吹いて見よ、』といへど、欠唇なればえふくまず。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
黒々と搦手からめてから市外を遠く迂回して、全軍ばいふくみ、必殺の意気をこらしつつ、矢田山の敵本営へ向って進んでいた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おもへ、彼等の逢初あひそめしゆふべ、互にこころ有りてふくみしもこの酒ならずや。更に両個ふたりの影に伴ひて、人のなさけの必ずこまやかなれば、必ずかうばしかりしもこの酒ならずや。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
また乾酪チーズを一口ふくんで吐き出すとしても、そこいらにペッと唾をするではなく、人にわからぬように、そうっとたなごころに受けて、人知れず棄てるところなぞ
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
遊人の舟は相ふくみて洞窟より出で、我等は前に渺茫べうばうたる大海を望み、しりへ琅玕洞らうかんどうの石門の漸くほそりゆくを見たり。
己はどんなざまに声をあげたらうか。凹凸に截られた、石畳の隅で、彼等街衢から出はづれ台地を降る者の、塩をふくんだ頤が獣のやうに緊るのを知つた時。
逸見猶吉詩集 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)
瞬く中に、百本の矢は一本の如くに相連り、的から一直線に續いた其の最後の括は猶弦をふくむが如くに見える。傍で見てゐた師の飛衞も思はず「善し!」と言つた。
名人伝 (旧字旧仮名) / 中島敦(著)
おすぎはトシに乳をふくませながら、最前順吉が観音さまのお守りを見せてくれたときのことを思い浮かべた。あのときおすぎは吐胸とむねをつかれるような感じをうけた。
夕張の宿 (新字新仮名) / 小山清(著)
と、とこなる一刀スラリと拔きて、青燈の光に差し付くれば、爛々たる氷の刃に水もしたゝらんず無反むそり切先きつさき、鍔をふくんで紫雲の如く立上たちのぼ燒刃やきばにほひ目もむるばかり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
三更後一黒虎観に入り一道士をふくみ出づるを射しがあたらず、翌日竭忠大いに太子陵東の石穴中に猟し数虎を格殺うちころした、その穴に道士の冠服遺髪甚だ多かったと見ゆ。
しこうして果然かぜん嘉永六年六月三日米国軍艦は、舳艫じくろふくみ、忽然こつぜんとして天外より江戸湾の咽吭いんこうなる浦賀に落ち来れり。六無斎子平ろくむさいしへいが、半世紀前に予言したる夢想は、今や実現せり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
黒ずんだ、ふくよかな瓶をほそい指でもたげて酌をする姿はいかにも美しい。酒は青み掛かつた軽い古風な杯に流れ入る。唇に触れて冷やかさを覚えさせる此杯を、己は楽んで口にふくむ。
復讐 (新字旧仮名) / アンリ・ド・レニエ(著)
と、かつて美術学校の学生時代に、そのお山へ抜参ぬけまいりをして、狼よりも旅費の不足で、したたか可恐こわい思いをした小村さんは、聞怯ききおじをして口を入れた……むがごとく杯をふくみながら
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
往きはまず無事、御評定所で御墨付を受取り、一応懐紙をふくんで改めた上、持参の文箱に移して御評定所を退き、東雲しののめまたがって、文箱を捧げ加減に、片手手綱たづなでやって来たのは牛込見附です。
盛庸等之を破る。帝都督ととく僉事せんじ陳瑄ちんせんを遣りて舟師しゅうしを率いて庸をたすけしむるに、瑄却かえって燕にくだり、舟をそなえて迎う。燕王乃ち江神こうじんを祭り、師を誓わしめて江を渡る。舳艫じくろあいふくみて、金鼓きんこおおいふるう。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ある時賈に従って洞庭に舟がかりをしていると、たまたま大きな猪婆龍ちょばりゅうが水の上に浮いた。賈はそれを見て弓で射た。矢はその背にあたった。他に小さな魚がいて龍のしっ尾をふくんで逃げなかった。
西湖主 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
かの蒼然さうぜんたる水靄すゐあいと、かの万点の紅燈と、而してかの隊々たいたいふくんで、尽くる所を知らざる画舫ぐわぼうの列と——嗚呼ああ、予は終生その夜、その半空はんくうに仰ぎたる煙火の明滅を記憶すると共に、右に大妓たいぎを擁し
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
すぐ又乳首をさしつけると、ちょいとふくんでまた離して泣いた。
童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
牡丹散るはいふくみていたまばや
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
日比野の家の、何か物事をふくんで控へ目に暮してゐる空気がお涌にはなつかしまれた。それには豪華を消してゐるうすら冷たい感じがあつた。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
四更、月光を見ながら、ばいふくみ、馬は鈴を収め、降る露を浴びながら、粛々と山の隠し道へすすんで行く。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
少女はが飲みほしけむ珈琲碗に添へたりし「コップ」を取りて、中なる水を口にふくむと見えしが、唯一噀ひとふき。「継子よ、継子よ、汝らたれか美術の継子ならざる。 ...
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
この女は赤子に乳房をふくませたるに、別に年稍〻長ぜる一兒の膝に枕したるさへありき。忽ち一道の雷火下り射ると共に、颶風は引き去らんと欲するさまをなせり。
瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括はなおげんふくむがごとくに見える。傍で見ていた師の飛衛も思わず「善し!」と言った。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
口に尾をふくみて、たがなりになり、いなずまほど迅く追い走ると言ったが、全くうそで少しも毒なし、しかし今も黒人など、この蛇時に数百万広野に群がり、眼から火花を散らして躍り舞う
乾酪チーズをあまり喜ばなかった。一口口にふくむと、ほろ苦い顔をして吐き出してしまった。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
所帯道具がふえたじゃないかと笑った人があるが、たとえば僕が一羽の燕であるとすれば、僕にとって七輪や鍋は燕がその巣を造るために口にふくんでくる泥や藁稭わらしべたぐいに相当するであろう。
落穂拾い (新字新仮名) / 小山清(著)
往きは先づ無事、御評定所で御墨附を受取り、一應懷紙をふくんで改めた上、持參の文箱に移して御評定所を退き、東雲しのゝめまたがつて、文箱を捧げ加減に、片手手綱たづなでやつて來たのは牛込見附です。
今にもひる小島こじまの頼朝にても、筑波つくばおろしに旗揚はたあげんには、源氏譜代の恩顧の士は言はずもあれ、いやしくも志を當代に得ず、怨みを平家へいけふくめる者、響の如く應じて關八州は日ならず平家のものに非ざらん。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
飛乘とびの瞬間しゆんかんかほは、あへくち海鼠なまこふくんだやうであつた。
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
武田兄弟は、走り帰ると、にわかに兵をまとめ、駒にばいふくませて、味方にも気づかれぬように、富士川の真夜半まよなかを、粛々と岸に沿って上流へ移動しはじめた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
池上は、怪訝けげんな顔をして盃を差出しましたが、わたくしに注がれた盃の縁を口にふくんで下に置くと
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
火の左右に身をよこたへたる二人は、たくましげに肥えたる農夫なるが、毛を表にしたる羊のかはごろもを纏ひ、太き長靴を穿き、聖母の圖をけたる尖帽を戴き、短き烟管きせるふくみてむかひあへり。
唐五行志に、乾符六年越州山陰家に豕あり、室内に入って器用をやぶり、椀缶わんふふくんで水次に置くと至極の怪奇らしく書き居るが、豕がつねに人の所為を見てその真似をしたのであろう。
娘の一人が口にふくんでいる丹波酸漿たんばほおずきふくらませて出して、泉の真中に投げた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
父親は美しい息子が紺飛白こんがすりの着物を着て盃をふくむのを見て陶然とする。他所よその女にちやほやされるのを見て手柄を感ずる。息子は十六七になったときには、結局いい道楽者になっていた。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
本能寺のほりに迫るまでは、ばいふくんで、喊声かんせいを発すな、旗竿も伏せてゆけ、馬もいななかすな——と軍令されていたが、ひとたび木戸を突破して、町なかへ駈け入るや否、明智の部下はすでに
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見物がその芋を竿さおさきに突き刺して檻の格子の前に出すと、猿の母と子との間に悲しい争奪が始まる。芋が来れば、母の乳房をふくんでいた子猿が、乳房を放して、珍らしい芋の方を取ろうとする。
牛鍋 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その間に亀その親族のある一亀を語らい当日川の此方こなたに居らしめ自分は川の彼方かなたに居り各々ラトマル花莟一つを口中にふくむ事とした、さて約束の日になって獅川辺に来り亀よ汝は用意調ととのうかと問うと
突き出された掌から逃げはしなかったが、「きゃっ!」とふくみ声で叫んだ。
唇草 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
このときそう鐵鉢てつぱつみづくちふくんで、突然とつぜんふつとりよあたまけた。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)