膏汗あぶらあせ)” の例文
熔炉の並んでゐる室に入ると、半裸の支那人が大して膏汗あぶらあせを流す様子も無く、高度の熱と烈烈たる火光の中に黙黙として動いてゐる。
だが、あたしの弱かつたのはお灸のせゐだといまでは思つてゐる。なぜならば、膏汗あぶらあせ精根せいこんを五ツ六ツのころからしぼりつくしてゐるのだ。
お灸 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
それから三年の間、膏汗あぶらあせを搾るようにして続けた禰宜様宮田の努力に対して、報われたものはただ徒にかさんで行く借金ばかりであった。
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ぶらりと宙に下っている木剣を睨んで、眼を剥きだし歯をくいしばって、それこそ膏汗あぶらあせをながして、一日じゅういきみ返っていた。
似而非物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
絶えず微風が面を撫でて、空気は爽やかではあったが、佇んでいても、ぽとぽとと膏汗あぶらあせのにじみ出てくるほどの暑さが感ぜられた。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
途端に引込ひっこめた、年紀としの若い半纏着はんてんぎの手ッ首を、即座の冷汗と取って置きの膏汗あぶらあせで、ぬらめいた手で、夢中にしっかと引掴ひッつかんだ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
主税は満身の力をめ、かけられている縄を千切ろうとした。土気色の顔にパッと朱が注し、額から膏汗あぶらあせが流れ出した。
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「うん」その友人は、鼻の頭に、膏汗あぶらあせにじませていた。「警備司令部なんてのが有るのは、始めて知ったよ。驚いたネ」
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
はまぐりの息の中に美しい龍宮城りゅうぐうじょうの浮んでいる、あの古風な絵を想像していた私は、本物の蜃気楼を見て、膏汗あぶらあせのにじむ様な、恐怖に近い驚きに撃たれた。
押絵と旅する男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
同時に火の消えた瞬間が露子の死を未練もなく拈出ねんしゅつした。ひたいでると膏汗あぶらあせと雨でずるずるする。余は夢中であるく。
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
事業本位で齷齪あくせく膏汗あぶらあせを流して生き、且つ死ぬる事が、与へられた束の間の生のうちに次から次と美しき幻を追ひ
妻がこれ位苦んで生死しょうじの境に膏汗あぶらあせをかいて、全身の骨という骨が砕けるほどの思いでうめいているのに、良人おっとは何の役にも助成たすけにもならないではありませんか。
産屋物語 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
藤次郎はがまがえるのように店さきの土に手を突いたまま身動きもしなかった。その顔色はあいのように染めかえられて、ひたいからは膏汗あぶらあせがにじみ出していた。
半七捕物帳:45 三つの声 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
みね「あいよ、どうしたえ、まア私は熱かったこと、膏汗あぶらあせがビッショリ流れる程出たが、我慢をして居たよ」
いつか、裾野すその文殊閣もんじゅかくでおちあった加賀見忍剣かがみにんけんも、この戒刀かいとうのはげしさには膏汗あぶらあせをしぼられたものだった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なるほど、弁士鬼頭海軍少佐の鼻の頭には膏汗あぶらあせが溜り、聴衆の唇はそれぞれ、笑ひたさをこらへてゐた。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
旗太郎はタラタラと膏汗あぶらあせを流し、全身を鞭索むちなわのようにくねらせて、激怒が声を波打たせていった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
膏汗あぶらあせを流してどうもこれはと逃げかかるのを、無理に頼んでようやく鞘当と弁天小僧が済む。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
見れば細君は稲扱いねこく手を休めた。音作の女房も振返つて、気の毒さうに省吾の顔を眺め乍ら、前掛を〆直しめなほしたり、身体の塵埃ほこりを掃つたりして、やがて顔に流れる膏汗あぶらあせを拭いた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
と、信造は見る/\額に膏汗あぶらあせを流して、フラ/\と刑事の肩にもたれかゝった。
青服の男 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
人の良いルバシュカは別に圭一郎を疑ぐる風もなかつたが、圭一郎は言ひあらはし難い淺間しさ、賤劣の性のやましさを覺えて、耳まで火のやうに眞赤になり、背筋や腋の下にぢり/\と膏汗あぶらあせが流れた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
昨日きのう私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、膏汗あぶらあせを流して漸々ようようすがり着いてあがったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
きょうはむしあつい膏汗あぶらあせのにじむ日です。こういう日になると苦しかった体を思いおこし閉口です。七十八度ほどです。
そんな風なので、お灸の時、あたしは滝にうたれたように、全身の膏汗あぶらあせにヘトヘトになってしまっているが、おまっちゃんは何処どこまでも反撥はんぱつした。
そこで今度は反対の女で、もう一度膏汗あぶらあせを絞らせるんだね。いかな強情でも参るだろう。フラフラするに相違ないよ。武者振り付いて行くだろう。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
徴兵官はくち惜しさのあまり膏汗あぶらあせをながし、「こういう人間をとらないでどんな人間をとるんだ」と云ったそうである。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
じっとすわっていてもタラタラと膏汗あぶらあせのにじみだしてくるような暑さのなかで、待っている人はなかなかくるけはいもなく、左近将監のおもてには
亡霊怪猫屋敷 (新字新仮名) / 橘外男(著)
池辺君が胸部に末期まつごの苦痛を感じて膏汗あぶらあせを流しながらもがいている間、余は池辺君に対して何らの顧慮も心配も払う事ができなかったのは、君の朋友ほうゆうとして
三山居士 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
無神経な蝦蟇でさえ、鏡に取りかこまれた恐怖には、全身からタラーリタラーリと膏汗あぶらあせを流すではないか。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
いつもに変らず根津ねづの清水のもとから駒下駄こまげたの音高くカランコロン/\とするから、新三郎は心のうちで、ソラ来たと小さくかたまり、ひたいからあごへかけて膏汗あぶらあせを流し
その間レヴェズは、タラタラと膏汗あぶらあせを流し、野獣のような血走った眼をして、法水の長広舌ちょうこうぜつに乗ずる隙もあらばと狙っていたが、ついにその整然たる理論に圧せられてしまった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
彼のひたいからは膏汗あぶらあせがたらたら流れた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
徴兵官はくち惜しさのあまり膏汗あぶらあせをながし、「こういう人間をとらないでどんな人間をとるんだ」と云ったそうである。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
自分ながらまた顔色の変っていくのがわかるような気持であった。そして手先がブルブルと震えて、冷たい膏汗あぶらあせが引っ切りなしににじみ出してくる。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
太刀先がしだいに顫えを加えて細かく細かく日の光を刻む。襟が開けて胸もとがのぞいて、青白い皮膚の肋骨あばらの窪みに、膏汗あぶらあせがにじみ出て光っている。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
飛騨国ひだのくに作人さくにん菊松きくまつは、其処そこあふたふれていまわるゆめうなされてるやうな——青年せいねん日向ひなたかほひたひ膏汗あぶらあせなやましげなさまを、どくげにみまもつた。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そうして毛穴からい出すような膏汗あぶらあせが、背中とわきの下を不意におそった。千代子は文庫をいて立ち上った。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「それが、また厳粛な問題なんですわ」伸子は口辺こうへんを歪めて、妙に思わせぶりな身振をしたが、額には膏汗あぶらあせを浮かせていて、そこから、内心の葛藤が透いて見えるように思われる。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
今夜はよもややアしめえと思っている所へ又来たア、今夜はおれが幽霊だと知っているから怖くッて口もきけず、膏汗あぶらあせを流して固まっていて、おさえつけられるように苦しかった
信吉は、丸まっちい鼻へ薄すり膏汗あぶらあせをにじませたまま、暫く勝負を見ていたが
ズラかった信吉 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
可哀相かわいそうな青年の額から、鼻の頭から、見る見る玉の膏汗あぶらあせがにじみ出して来た。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
両の掌にはじっとりと膏汗あぶらあせがにじみ出ていたのである、それからしずかに座を立っておのれの居間へはいっていった。
日本婦道記:笄堀 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
はじめ二目にもく三目さんもくより、本因坊ほんいんばう膏汗あぶらあせながし、ひたひ湯煙ゆけむりてながら、たる祕法ひはふこゝろむるに、僅少わづかに十餘子じふよしばんくや、たちまけたり。すなはひざまづいてをしへふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そう思った時、彼は人のいぬに使われる不名誉と不徳義を感じて、一種苦悶くもん膏汗あぶらあせわきの下に流した。彼は手紙を手にしたまま、じっとひとみえたなり固くなった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
背後うしろに聞いて十間飛ぶ、ここで初めて一休み、背伸びをすると長目の呼吸いき、さすがに流れる膏汗あぶらあせ、眼へ入れまいと首を振るとたんに切れたもとどりに、たけなす髪が顔へかかる。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
思い切って娘の選んだ道へこのまま赴かせようかと考えてみたり……さりげなく娘を抱いてはいましても、肚の中では膏汗あぶらあせを流さんばかりの気持で、千々ちぢに心が乱れておりました
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
何か書いているとき何度洗うでしょう、実際膏汗あぶらあせも出るのでしょう。
図書助は片手で腹を押え、なおこみあげる笑いのために膏汗あぶらあせを流した。……あまりの騒がしさに吃驚したのだろう、菊枝夫人が入って来て良人の側へ坐った。
半之助祝言 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
掻拂かきはらをぐる/\きに、二捲ふたまきいてぎり/\と咽喉のどめる、しめらるゝくるしさに、うむ、とうめいて、あしそらざまに仰反そりかへる、と、膏汗あぶらあせ身體からだしぼつて、さつかぜめた。
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
額からぽたぽた垂れる膏汗あぶらあせに対しても済まないよ。しかしこれは何でもないんだ。余裕が空間に吹き散らしてくれる浄財じょうざいだ。拾ったものが功徳くどくを受ければ受けるほど余裕は喜こぶだけなんだ。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)