糸瓜へちま)” の例文
旧字:絲瓜
道也先生は親指のくぼんで、前緒まえおのゆるんだ下駄を立派な沓脱くつぬぎへ残して、ひょろ長い糸瓜へちまのようなからだを下女の後ろから運んで行く。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
愛の糸瓜へちまのと云つたところで、結局、女が重荷になつてはかなはん。こつちが必要な時だけそこにゐるといふ風な女房で沢山だ……。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
なるほど門人種員の話した通り打水うちみず清き飛石とびいしづたい、日をける夕顔棚からは大きな糸瓜へちまの三つ四つもぶら下っている中庭を隔てて
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし糸瓜へちまのように巨大な胡瓜きうり、雪達磨だるまのような化物の西瓜すいか南瓜かぼちゃ、さては今にも破裂しそうな風船玉を思わせる茄子なす——そういった
火星の魔術師 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
いったん暇になれば阿Qも糸瓜へちまもないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
「失態も糸瓜へちまもない。世間のやつらが何と言ったって……二人の幸福は二人で作る、二人の幸福は二人で作る、他人ひとの世話にはならない」
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
糸瓜へちまは大きくなっている。その下で、たらいの湯にかっている駄菓子屋の女房が、家の中の物音に、戸板の蔭から白い肌を出していった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美艶香びえんかうには小町紅こまちべに松金油まつがねあぶらの匂ひこまやかにして髪はつくもがみのむさむさとたばね、顔は糸瓜へちまの皮のあらあらしく、旅客をとめては……
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「あのね、ひとつあいつにこう聞いて御覧、おまえはぼろぼろになった風呂場の糸瓜へちまが好きかって、ね、そう言って聞くんですよ」
八「誠に困りやすが、何もサ見えも糸瓜へちまもない、唯おめえの心持が如何にも感心だから出すのだから、マア真実の心から上げるのだ」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「だっても糸瓜へちまもあるものか、あの小屋の中には、妙に気に入らねえところがあるよ。とにかく、江戸っ子の見るものじゃねえ」
ねえ、どうしてもこれは水滸伝すいこでんにある図だらう。おもふに、およそ国利をまもり、国権を保つには、国際公法などは実は糸瓜へちまの皮、要は兵力よ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
茄子の紫がかつた苗、南瓜かぼちや糸瓜へちまのうす白く粉をふいたやうな苗が楕円形の二葉をそよがせてるのを朝晩ふたりして如露で水をかけてやる。
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
かの寒い国でどこからも日の射さないような、昼でもほとんど真っ闇黒くらがりというような中に入れられて居るので衛生も糸瓜へちまもありゃあしない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「これは驚いた。糸瓜へちまの奴め、いかにもぶらりと下っていますね。のびのびと何の屈託もなさそうなあの姿を見ると、全くもって羨ましい。」
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
わざわざ瓢箪ひょうたん型や糸瓜へちま型にこしらえた梳き毛の固まりを、耳の前にブラブラと釣るして歩くので、ドンタクでもあまり見かけない新型である。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
枝も撓わわにりたる、糸瓜へちまの蔓の日も漏さぬまでに這い広がり、蔭涼しそうなるも有り、車行しゃこう早きだけ、送迎にいそがわし。
大利根の大物釣 (新字新仮名) / 石井研堂(著)
鈍痴漢とんちんかんの、薄鈍うすのろ奴等やつらくすり糸瓜へちまもあるものか、馬鹿ばかな、軽挙かるはずみな!』ハバトフと郵便局長ゆうびんきょくちょうとは、この権幕けんまく辟易へきえきして戸口とぐちほう狼狽まごまごく。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
花はないが、すすきも好きで、例の百日紅の下に傲然とはびこっている。真夏には糸瓜へちま棚が出来て、その下で、実が長くなるのをよろこんでいられた。
解説 趣味を通じての先生 (新字新仮名) / 額田六福(著)
勿論これは未だ小身であった時の事で有ろうが、訓諭も糸瓜へちまも入ったものではない、人を使うのはこれで無ければ嘘だ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
任意に識神しきじんを使役すると信ぜられたものの様に、その個人限りが有する一種の不可思議力であったならば、そこに系統も糸瓜へちまもあったものではない。
湯殿の西の窓の細い障子しょうじが少し開けてあって、廂へからんだ糸瓜へちまの黄な花と青黒い葉とつるとの間から真赤な夕焼雲の端と、鼠色の暮空とが透いて見える。
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ナニ縁をッてしまえば赤の他人、他人に遠慮も糸瓜へちまもいらぬ事だ……糞ッ、面宛つらあて半分に下宿をしてくれよう……
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
お前こそ汚い性慾の塊ぢやないか! 人殺しの半鐘泥棒だ! お前こそブラブラぶら下つたら、裏なりの糸瓜へちまみたいに長く細くつて良く恰好が取れてらあ。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
苦り切って糸瓜へちまほど長い黒い顔をした大番頭さんが、金箱のへりへ手を掛け少し傾けるようにして中を見せた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「主人も糸瓜へちまもあるものか、おれは、何でも重隆様のいいつけ通りにきっと勤めりゃそれでいのだ。お前様めえさまが何と謂ったって耳にも入れるものじゃねえ。」
琵琶伝 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
だってそうだろうじゃないか。どう張抜いたって日本紙にっぽんし糸瓜へちま。二刻前に殺されたものだとしたら、梨の木坂を
取替行るゝ事故請取も糸瓜へちまも入ぬ譯なれど深切づくのあづかり物生若なまわかい衆の御出に付ねんの爲とらずともい請取までサア御覽じろと差出すを各々取上げひらき見るに
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
糸瓜へちまさへ仏になるぞおくるるな」などいうあわれな句が書いてあるようになって、その廿三日のくだりに
呉秀三先生 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
さらぬだに世間の毀誉褒貶きよほうへんを何の糸瓜へちまとも思わぬ放縦な性分に江戸の通人を一串いっかんした風流情事の慾望と
「領主とは何んだ、篦棒べらぼうめ! そっちが領主ならこっちも領主だ! 俺は『獣人』の酋長だからな。……麗人も糸瓜へちまもあるものか。同じ駒ヶ岳の住民じゃねえか」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
したがって陰嚢の垂れた人は気が長いという。これは本当で、かく申す熊楠のは何時いつ糸瓜へちまのごとし。
そんなつまらぬ俳句の作りやうを知らうより糸瓜へちまの作り方でも研究したがましなるべし。(六月四日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
幸いここに革細工をするやつがいるからそれにさせろと言われるのと少しも変わったことはない、それに遠慮会釈も糸瓜へちまるものか、さっさとちこわしてやれ
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
首をさし込むために洋服掛けの扁平な肩のようなざっとしたわくが作ってあって、その端に糸瓜へちまが張ってある。首の棒を握る人形使いの左手がそれをささえるのである。
文楽座の人形芝居 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
衛生も糸瓜へちまもあったものではないが、こんな蛮勇には病魔の方から御免を蒙るのだから、途中腹を下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
一本の糸瓜へちまのまわりに埋めておくと、瓜の蔓は一晩に天に届くから、それに伝わって行けというので喜んでその通りにすると、九十九足しか出来ぬうちに日が暮れた。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「しっかりおしよ、与の公! なんだい、ばかみたいな顔をしてさ。夕涼みの糸瓜へちまじゃあるまいし」
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
半助は五十がらみで、髪は青年のように黒ぐろと濃いが、躯はしなびた糸瓜へちまのようにせていた。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ソレに遠慮会釈も糸瓜へちまるものか、颯々さっさ打毀ぶちこわしてれ。ただ此処で困るのは、たれこれを打毀すか、ソレに当惑して居る。乃公等おれらは自分でその先棒さきぼうになろうとは思わぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
常にうぐいすを飼っていてふんぬかぜて使いまた糸瓜へちまの水を珍重ちんちょうし顔や手足がつるつるすべるようでなければ気持を悪がり地肌のれるのを最もんだべて絃楽器を弾く者は絃を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「青ペン」と言うのは亜鉛とたん屋根に青ペンキを塗った達磨茶屋だるまぢゃやです。当時は今ほど東京風にならず、のきには糸瓜へちまなども下っていたそうですから、女も皆田舎いなかじみていたことでしょう。
温泉だより (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
庭の垣根から棚のうえにいあがった朝顔と糸瓜へちまの長いつるや大きい葉がもつれ合って、雨風にざわざわと乱れてそよいでいるのも、やがて襲ってくる暴風雨を予報するようにも見えて
火に追われて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お蔦 やけの深酒ふかざけは毒と知りながら、ぐいぐいあおって暮すあたしに、一文なしも糸瓜へちまもあるもんか。お前さん大ぐらいだろうから、それじゃ足りない、これもあげるから持ってお行き。
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
「三ごく干渉かんしょう遼東りょうとう還附かんぷ以来いらいうら骨髄こつずいてっしているんだ。理窟も糸瓜へちまもあるものか?」
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
けれども掘り返され掘り返されする内に、此の土地に投ぜられた資本及び労働に対する報酬は減って来た。播かれた種が皆な烏にさらって行かれたり、唐茄子に糸瓜へちまが実ったりして来た。
第四階級の文学 (新字新仮名) / 中野秀人(著)
おもんちゃんの家は表はせまくって、紙屑で一ぱいだったが——紙屑やといっても問屋だったのだ——裏には空地があって、糸瓜へちまの棚が田舎めかしかった。その後に空瓶の小屋があった。
窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀よしずが三枚ばかり載せてあって、その東側から登りかけて居る糸瓜へちまは十本ほどのやつが皆痩せてしもうて、まだ棚の上までは得取りつかずに居る。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ぎっしりと詰った旅客たちの間にはさまれ、彼も岸の方へ進んで行くのだが、彼の旅行鞄りょこうかばんには小さな袋に入れた糸瓜へちまの種が這入っていて、その白い種の姿がはっきりと目にちらついてならない。
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
「勘忍も糸瓜へちまもあるかえ。南へ行きやがれ南へ。」
南北 (新字新仮名) / 横光利一(著)