おそ)” の例文
飯縄山のすぐ北にならんでいる黒姫山の蒼翠は、このおそれ入った雲の群集を他所よそにして、空の色と共に目もさむるばかり鮮かであった。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
子之助は父をおそれて、湊屋の下座敷から庭に飛び下り、海岸の浅瀬をわたって逃げようとしたが、使のものに見附けられてとらえられた。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
また、あるいはそなたも知らぬであろうが、おそれ多いことながら、いまの御所ごしょのお模様もようは、その貧しい人々よりもまさるものがある。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもうゆえに、遠野の女どもはそのねたみおそれて今もこの山には遊ばずといえり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そは霊性の中に織り込まれたる綾であり、模様であり、両者を切り離すことは、到底不可能である。就中なかんずくおそるべきは習癖しゅうへきの惰力である。
その意味で、それがおそれを滲ませているかぎり、画布はいのちの中にひたり、いのちの中に濡れているともいえよう。ハイデッガーはいう。
絵画の不安 (新字新仮名) / 中井正一(著)
かくてまた三年みとせ過ぎぬ。幸助十二歳の時、子供らと海に遊び、誤りておぼれしを、見てありし子供ら、おそれ逃げてこの事を人に告げざりき。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ですがとどろく雷鳴に神の威光を感じたり、吹きすさぶ嵐にその怒りをおそれたりする気持ちは、素朴な人たちの感情とも見られます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
余りの軽薄さに腹を立てて一喝いっかつを喰わせることもあるが、大体において、後世おそるべしという感じを子路はこの青年に対して抱いている。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
かくの如き人は主人としてはおそろしくもあれば頼もしくもある人で、敵としては所謂いわゆる手強てごわい敵、味方としては堅城鉄壁のようなものである。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
猛獣でない限りの畜類の常識では、人間のおそるべきをわきまえている。人間からされると杖の影を見ただけでたいてい退却する。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
仕方がないから牝牛を買って三月末三日を余すまで無事に飼ったが、前にも懲りず三月も済んだからおそるるに足らぬと嘲った。
既に馬車の車輪となる。あに半夜人をいざなつて、煙火城中に去らんとする自動車の車輪とならざらんや。おそる可く、戒む可し。(五月二十八日)
浅薄な心をもって聴く者は浅薄に、深いおそれをもって聴く者は深く悟る。教えを聴く者はまず第一に自分の心の誠実を保たねばなりません。
昼は昼で、君のうわさをし、君の仕事のことを話題にし、君をわれわれの誇りとし、君の名をおそつつしんで口にのぼせていたものだ。
nonchalant な diabolic な男の姿を今さらのように一種のおそれとなつかしさとをこめて打ちながめた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
大塚さんは、安楽椅子にりながら、種々いろいろなことを思出した。若い妻が訳もなく夫をおそれるような眼付して、自分の方を見たことを思出した。
刺繍 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「お前様めえさまならタダで上げます。」と言つて、うしてもおあしを請取らなかつただらう、などと、取留とりとめもない事を考へて、おそおそる叔父を見た。
刑余の叔父 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ばしの夢にやすんでられるかと思へば、君、其の細きランプの光が僕の胸中の悪念を一字々々に読み揚げる様におそれるのだ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
我れ神をおそるる事に依頼たのみ、我れ神の道を守る事にのぞみを置く、わが敬虔わが徳行これわが依頼む処わが望のかかる所なりと。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
されどもせきへず流るるは恩愛の涙なり。彼をはばかりし父と彼をおそれし母とは、決して共に子として彼をいつくしむを忘れざりけり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
威武遠く富士に迫れども、大霊のあつまるところ、へりくだりて之を凌がず、万山富士にはその徳を敬し、鎗ヶ嶽には其威をおそる。
一時、わすれていたのですが、こんど、あなたから、「エホバをおそるるは知識の本なり。」という箴言しんげんを教えていただいて愕然がくぜんとしたのでした。
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
彼女は初めから運命ならおそれないという宗教心を、自分一人で持って生れた女らしかった。その代りひとの運命も畏れないという性質たちにも見えた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
定家ていか糟粕そうはくをしゃぶるでもなく自己の本領屹然きつぜんとして山岳と高きを争い日月と光を競うところ実におそるべく尊むべく覚えずひざを屈するの思い有之これあり候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
そして、黒門を尊崇しおそれている村人たちは、その「役」に当った者はもちろん、うすうす感づいた者も、決してこの秘密にはふれないのであった。
似而非物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かりそめの世評には気も転倒せんばかりの我々も、古典の無言の峻厳さには、ついおそれを忘れて甘えがちなのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
これに反して女の運命をおそれているときの心には最も性欲が生じがたい、愛の純粋な喜悦のときは涙と感謝とがみちて、性欲は最も遠ざかっている。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
何処やら武骨ぶこつな点もあって、真面目な時は頗る厳格げんかく沈欝ちんうつな、一寸おそろしい様な人であったが、子供の眼からも親切な、笑えば愛嬌の多い先生だった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
我輩は国家に対し、おそれながら陛下に対して、死に至るまで政治を止めはしない(ヒヤヒヤ)。政治は我輩の生命である(大隈伯万歳と呼ぶ者あり)。
〔憲政本党〕総理退任の辞 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
しかしてまた布告書等に奉勅ほうちょく云々うんぬんの語を付し、おそれ多くも 天皇陛下に罪状を附せんとするは、そもまた何事ぞや。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
木下尚江きのしたしょうこうさんという先生は、日本にすぐれた女性が三人ある、おそれ多いが神功じんぐう皇后様を始め奉り、紫式部、それから九女八だと仰しゃったそうだが——
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
死を待つは寄客の去るがごとし、大会いたるがごとし。多くの福徳を集めるがゆえに、命を捨つるときはおそれなし。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
おそおおくもわたくしとして、天照大御神様あまてらすおおみかみさままた皇孫命様こうそんのみことさまとうと御神姿おすがたはいたてまつったのはじつにそのとき最初さいしょでございました。
それだけに、相手にとっては幡随院長兵衛などより危険性が多いわけだ。侠客が世におそれられるのはそこにある。
女侠伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
流転の力汝に迫らず、無常のちから汝をおそはず。「自由」汝と共にあり、国家汝とともてり、何をかおそれとせむ。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
「いいんですか。」裕佐はおそれるようにモジモジと口ごもった。「僕は上がるつもりではなかったんですが。」
余りおそれ多いからどうかお引取り下さいといって頼みましたけれども、わざわざ下の方まで来られて「私は名誉ある日本人のあなたに遇うた事を非常に喜ぶ」
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「君は見たね」と、この人の性質とはまったく似合わないような、低いおそれたような調子で、彼は訊いた。
南洲も亦曰ふ、天下しんおそる可き者なし、たゞ畏る可き者は東湖一人のみと。二子の言、夢寐むびかんずる者か。
とてもおそれ多くてできません。けれども、たってと言われたので、一席願いましたことは願いましたが、——妙なもので、初手から少しもお分りになりません。
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
僕は一方鬼神力に対しては大なるおそれをっている。けれどもまた一方観音力の絶大なる加護を信ずる。
まあ一種の語呂合せみたいなものであり、それを一概に「飜訳者は裏切り者」と心得ておそつつしんだのでは、この名句の発案者の折角の笑いが消し飛んでしまう。
翻訳のむずかしさ (新字新仮名) / 神西清(著)
天皇を兵庫の御道筋おみちすじまで御迎え申し上げたその時の有様を形にしたもので、おそれ多くも鳳輦ほうれんの方に向い、右手めて手綱たづなたたいて、勢い切ったこま足掻あがきを留めつつ
お爺さんは六人の小供を従えて、寝台ねだいの前に来て叮嚀にお辞儀をした。そうしておそる畏る口を開いた——
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
彼は自己の体験を顧みて、この真理性に驚き、かつこの真理性をおそれずにはいられなかったであろう。
親鸞 (新字新仮名) / 三木清(著)
もしこの季節が「亡霊もおそれて迷い出ない」ときでなかったら、わたしは真夜中に部屋から忍び出て
その暗合あんがふは話したり論じたりするにはあまりにおそろしく、説明しがたいやうに私を打つたからである。
おそれと、つつしみと、感謝と、それに自然を敬重する知恵が要望されること、今日より切なるはない。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
さん豺狼さいろう麋鹿びろくおそれ従はぬものとてなかりしかば、虎はますます猛威をたくましうして、自ら金眸きんぼう大王と名乗り、数多あまた獣類けものを眼下に見下みくだして、一山万獣ばんじゅうの君とはなりけり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)