)” の例文
渥美 そして、実がる頃には、樹登りの出来ない年になつてね、どつかの鼻垂小僧が、何時の間にか、ちぎつて持つて行くんです。
賢婦人の一例(一幕) (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
印度の古傳の如く、技藝天即ち藝術の神は六欲の圓滿を得た者の美睡の頭腦中よりおのづからにしてり出づる者であるかも知れぬ。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
「そちらは、家つきのお嬢様か何か知らないが、わたしと市十郎さんとは、可愛い子までした仲。よけいな水はささないでおくれ」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
満廷粛として水を打ちたるごとくなれば、その靴音くつおとは四壁に響き、天井にこたえて、一種の恐ろしき音をして、傍聴人の胸にとどろきぬ。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
妻の七夕の止めるのもかず、そこにっている瓜を食べようと思って、二つにたてに瓜を割ったら、それがたちまち天の川になった。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
右のくだり船戸ふなどの神より下、邊津甲斐辨羅の神より前、十二神とをまりふたはしらは、身にけたる物を脱ぎうてたまひしに因りて、りませる神なり。
けれども、よしんばさぬ仲にせよ、男親がすでに故人である以上、誰よりもまずこの席につらなっていなければならぬこのひとだ。
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
紫色に熟した桑の実が鈴生すずなりっていましたから、手を伸ばしてはそれを取って食べますと、ちょうど甘露のような味がします。
百合の花 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そして、椰子の梢を見上げた。すると、梢に大きい実が二つばかりっているのを見た。俊寛は、疲労を忘れて、猿のようによじ登った。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
酒呑童子しゅてんどうじ頼光らいこうたちがわるびれもしないで、のおさけでも、にくのおさかなでも、けてくれたので、るから上機嫌じょうきげんになって
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
しな照る 片岡山かたをかやまに いひて こやせる 旅人たびとあはれ 親無おやなしに なれりけめや 剌竹さすたけの きみはやき いひて こやせる 旅人たびとあはれ
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「そうです、私は東京から逃げだしました」竹中はまの篠竹しのだけで作った、手製の長い箸で、鍋の中の物を動かしながら云った
おごそかな渇き (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ならの枯枝にからみつく青々とした夕顔のつるの下には、二尺ばかりもあろうかと思われるのがいくつかさがって、白い花も咲き残っている。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ピシャリと、柿丘の頬に、まぬるいものが当ると、耳のうしろをかすめて、手帛ハンカチらしい一つかみほどのものがパッとひるがえって落ちた。
振動魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ここに、孔子において徳をし、孔子をして文王の文の担い手たらしめた、超越的なものが指示されていることは明白である。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
気は確かだ、酒もまだ飲まねえ——なア、お辰、手前はさぬ仲だからって、俺がお駒を可愛がりようが足りないような顔を
けれどもその頃のま意気書生などにおだてられてどうかして他に学費を得てそのまま修行を続けるつもりだといっていた。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
阿母おつかさん、柿はあゝやつて、自然ひとりでつてゐるんやおまへんか。人間に喰べさせようと思うて生つてゐるんやおますまい。
石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
飛び交ひなだれ堕ちる星晨や殺気のむらむらや、それら撃発する火のやうな寂しさのなかに、己は十字火に爛れたまをつき放さうとするのだ。
逸見猶吉詩集 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)
黒い速度のような鈍いうなりをあげて通る風に背を向け、炉端にひとり坐っていると、いつか読んだ、「まのままの真は、せよりも偽せだ。」
スミレはアノ通り美花を開いてもその目的の実がらず(中には生る事も無いでもなけれど)種子が出来んとして見ると
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
おいよ 柿の実ならば、おまえのお寺にも沢山にっているではないか。(疑うようにじっと見て。)ほんとうに柿の実をぬすみに来たのですか。
人狼 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
健吉くんが未亡人とさぬ仲であること、熱烈に恋する女との結婚をきっぱり拒絶されたということは、立派に殺人の動機とすることができます。
愚人の毒 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
しかしこの梅に一杯に梅がつたらどうするのだらう。それは一體誰のものになるのだらう。そんなことも考へながら彼はその土手の下を通つた。
続生活の探求 (旧字旧仮名) / 島木健作(著)
そのうちにお腹がきますと、ちょうど秋の事で、方々に栗だの柿だのしいだのかやだのいろんな木の実がっております。
豚吉とヒョロ子 (新字新仮名) / 夢野久作三鳥山人(著)
豌豆えんどう隠元いんげんは畑に数珠じゅずりでも、もいでて食うひまは無い。如才じょさいない東京場末の煮豆屋にまめやりんを鳴らして来る。飯の代りにきびの餅で済ます日もある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
秋になると、崖ぶちの恐ろしく高い木に、藤豆のような大きな平たいさやの実がった、簪玉かんざしだま位な真紅の美しい実のなる木もあった。クルミもあった。
四谷、赤坂 (新字新仮名) / 宮島資夫(著)
「さう。つてゐないの」と云ひながら、仰向いたかほもともどす、其拍子に三四郎を一目ひとめ見た。三四郎は慥かに女の黒眼くろめの動く刹那を意識した。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
江戸へ行けば、お前は人気の神様で、金のつるを持っているのに、なんだってこんなところに隠れてるんだい。さあ、叔父さんと一緒に帰らねえか
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
『ほれ、こんなにめんげのをした……』と、手の平に粉を吹くばかりに綺麗な、恰好のよい玉子を載せてゐた。
白い雌鷄の行方 (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
実家さと様のお母様がさぬ仲でいらっしゃいましょう? 綾子様は御自分は死ぬより行途ゆくみちはないと仰しゃっていらっしゃいました位でございますから——
蛇性の執念 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
それは「わたしの栽培している樹にったのよ。」と云う意味を十分匂わせたつもりだったが、他の事に思いふけっていた庸介にはそれが少しも通じなかった。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
二口三口味ふと食慾は次第に募つて、子供から貰つたのだけでは滿足出來なくなつて、自分のうちの山につてゐる柿の實がしきりに目先にちらつき出した。
避病院 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
小指の頭程の青きヒシとれるを、小鳥は上よりつゝき、何処どこも変わらぬ村の子供等下よりタヽき落してくらふ。
見れば、どんぐりの真青な珠が、しずかに湯の深みから浮きあがってくる。袴のとれたばかりの痕が、ま白い。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
る糸瓜も、生る糸瓜も、小指のように細い、おまけに寸の伸びない、まるで胡瓜のような奴ばかりなんです。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
それからフレップという紅い実やトリップという紫の実のいっぱいにった広い広い野っ原もあるそうです。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
われわれがつかっている皿鉢が当時からそのままこわれずにつたわったものではなくヒョウタンのように木にったものでもないことには思いいたらなかった。
その音は何故に起って来たかというと、この池の真ん中に大きな宝の樹があってその樹に実がって居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
崖の崩れたましい痕があらわになり渓流の中にも危岩がそびえ立って奔流を苛立いらだたせている処もある。
雨の上高地 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
公園道のなかばから左に折れて、裏町の間を少し行くと、やがていっぽう麦畑いっぽう垣根かきねになって、夏はくれないと白の木槿もくげが咲いたり、胡瓜きゅうり南瓜とうなすったりした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
莫大ばくだいに金がる、それは困ります、中々わし無禄むろくの浪人で金のる木を持たんから六七百両の金はない。
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
併し、伯母の所へ來たての時分は、高い所につてゐる青い林檎の實のやうに、惡くコツ/\と堅くて、私共の手の屆かぬ所へ始終逃げてるといふ、風がありました。
反古 (旧字旧仮名) / 小山内薫(著)
「すべて蜜柑みかんる土地は、気候温暖で住みよいというが、この和歌山など、よい例でござるよ」
猫の蚤とり武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
さぬ仲の父や母をはじめみなの者は異口同音に、どうしましょうと言うわけで、不消化と言われるたにしを、いろいろとなだめすかして私に食べさせようとしなかった。
田螺 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
この山にるものの肥えて豊なさまは部屋の中を見廻しただけでも翁にはすぐそれと知れた。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
葡萄の実は、今年はまだなかなかるまい。そして葡萄の葉は、もう裸体にしか使われない。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
夏は小さい庭の桃の実がった。桃の実は一昨年は五拾個で去年は四拾個で、今年は六拾個であった。うまかった。紫陽花あじさいは小さい茎を植えたのだが、四年に始めて花を開いた。
老人と鳩 (新字新仮名) / 小山清(著)
その人がまに自分の感じで触れたらしい歌には、『新古今集』には取られなかったが、新古今人が多く作っていた素直な叙景歌や抒情歌やに似たものが出ているはずである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
向うの人間にどれだけの恩義をているか、それは分らないにしても、またたとい、はたして彼女のいうことを信じて母親に対してさぬ仲の遠慮ということを認めるにしても
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)