徘徊はいかい)” の例文
次第に日はかたむいて、寺院のあたりを徘徊はいかいする人の遠い足音はいよいよれになってきた。美しい音色の鐘が夕べの祈祷きとうを告げた。
どこからかピストルの弾丸たまが風をきって飛んできそうな気がしてならぬ。わが友はその中を恐れもせず、三度みたびユダヤ横丁を徘徊はいかいした。
地獄街道 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ことしの三月四日、喜兵衛が同類四人とおとわを連れて品川の潮干狩に出てゆくと、かの怪しい男がそこらを徘徊はいかいしているのを見た。
半七捕物帳:32 海坊主 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「その時、貴公は、小次郎殿の名をかたり、にせ小次郎となって、所々、徘徊はいかいしておられたのを、拙者はまことの佐々木小次郎殿と信じ……」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれも何一つ持出すひまもなく、昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て○○人の放火者が徘徊はいかいするから注意しろと云ったそうだ。
震災日記より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
もうどこをさして往って見ようと云う所もないので、只むにまさる位の考で、神仏の加護を念じながら、日ごとに市中を徘徊はいかいしていた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
『最初狐きたりて、己が近傍を徘徊はいかいせしゆえ、これを追わんとして右へゆき左へゆきする間に、前後を覚えざるようになりたり』
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
「あなたは普通のお身体からだでないのですから、物怪もののけ徘徊はいかいする私の病室などにはおいでにならないで、早く御所へお帰りなさいね」
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
青年の書生いまだ学問も熟せずしてにわかに小官を求め、一生の間、等外に徘徊はいかいするは、半ば仕立てたる衣服を質に入れて流すがごとし。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
この二人は浅草公園を徘徊はいかいする不良ので、岩本は千束町に住んで活動写真の広告のビラをるのが商売、山西は馬道うまみち床屋とこやせがれであった。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「それならよろしゅう御座います。毎晩犬が吠えておやかましいでしょう。どう云うものか賊がこのへんばかり徘徊はいかいしますんで」
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「奉別の時、官吏坐に満ち、言発すべからず。一拝して去る。今やすなわち地を隔つる三百里、つね鶴唳かくれい雁語がんごを聞き、俯仰ふぎょう徘徊はいかい自からあたわず」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
松林を徘徊はいかいしたり野逕のみち逍遥しょうようしたり、くたびれると帰つて来て頻りに発句を考へる。試験の準備などは手もつけない有様だ。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
異様の風体で、山中を徘徊はいかいして居たものだから、てっきり官軍の間諜と目星を指されて、追究拷問ごうもん至らざるは無しである。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
人の懐中物を奪おうとするような性質たちのわるい女が江戸の市中に徘徊はいかいしているかと思えば、それが憤慨に堪えないのです。
ちょうどその秋の初めごろまさしくあの夜の前後に、彼が町を徘徊はいかいして三人ばかり追いはぎを働いた事実はまだ人の記憶に新しかったからである。
エマルソン言えることあり、最も冷淡なる哲学者といえども恋愛の猛勢に駆られて逍遙しょうよう徘徊はいかいせし少壮なりし時の霊魂が負うたるおいめすまあたわずと。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
樹の葉の上を徘徊はいかいする一種の蜘蛛くもは身体の色が全く鳥の糞のとおりで、足をちぢめて静止しているときには真の鳥の糞と区別することが困難である。
自然界の虚偽 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
何処どこなにして歩いたものか、それともじっとところ立止たちどまっていたものか、道にしたらわずかに三四ちょうのところだが、そこを徘徊はいかいしていたものらしい。
死神 (新字新仮名) / 岡崎雪声(著)
というのは、あのいまわしい黄金仮面の怪賊が、この二三日、邸の近くを徘徊はいかいするという噂。いや噂どころではない。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
身体中に薔薇とつたとをまとい、まるで痴呆か乞食としか思われぬ、異様な風体で徘徊はいかいしていたというそうなのです。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
うろうろ徘徊はいかいしている人相にんそうの悪い車夫しゃふがちょっと風采みなり小綺麗こぎれいな通行人のあとうるさく付きまとって乗車をすすめている。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
真夜中ごろ、オーアンの凹路おうろの方に当たって、一人の男が徘徊はいかいしていた、というよりも、むしろはい回っていた。
菊、茶山花の香を含んで酒の様に濃い空気を吸いつゝ、余はさながらあぶの様に、庭から園、園から畑と徘徊はいかいする。庭を歩く時、足下に落葉がかさと鳴る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そんな年寄りになるまで生きていて、人から老人扱いをされ、浅ましい醜態をさらして徘徊はいかいする位なら、今のうちに早く死んだ方がどんなにましかも知れない。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
この辺はもはやコンゴー南東部を北ローデシヤ国境方面へ限る大密林の連続地帯であったからもちろん類人猿ポンゴー徘徊はいかいすることになんの不思議もなかったが
令嬢エミーラの日記 (新字新仮名) / 橘外男(著)
江口や神崎がこの川下のちかいところにあったとすればさだめしちいさな葦分あしわぶねをあやつりながらここらあたりを徘徊はいかいした遊女も少くなかったであろう。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
うなだれて徘徊はいかいし、その短篇集の中の全部の作品を、はじめから一つ一つ、反すうしてみて、何か天の啓示のように、本当に、何だか肉体的な実感みたいに
『井伏鱒二選集』後記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
寡兵かへいをもって敵地に徘徊はいかいすることの危険を別としても、なお、指定されたこの数千里の行程は、騎馬を持たぬ軍隊にとってははなはだむずかしいものである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そのきびしい冬がぎますと、まずやなぎ温和おとなしく光り、沙漠さばくには砂糖水さとうみずのような陽炎かげろう徘徊はいかいいたしまする。
雁の童子 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
警察犯処罰令というのに「左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ三十日未満ノ拘留ニ処ス」ことができるとあって、「一定ノ住居又ハ生業ナクシテ諸方ニ徘徊はいかいスル者」
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
もう一度挨拶金を追加させ、特に目立って、吝嗇けちな大名は、その行列が通行する頃を見計らって、松平の御前みずから何ということなく門前のあたりを徘徊はいかいしながら
その夕方倉地がほこりにまぶれ汗にまぶれて紅葉坂をすたすたと登って帰って来るまでも葉子は旅館のしきいをまたがずに桜の並み木の下などを徘徊はいかいして待っていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
どこを徘徊はいかいしたりけむ、ふと今ここにきたれるが、早くもお通の姿を見て、まなこを細め舌なめずりし、恍惚こうこつたるもの久しかりし、乞食僧は美人臭しとでも思えるやらむ
妖僧記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
酒さえすすまぬ案山子かかしのような姿で夜ごと曙の里あたりを徘徊はいかいするのが見られたが、しゅを失った鉄斎道場の門は固くしまって弥生のゆくえはどことも知れなかった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
一同は驚愕きょうがく危懼きくの念にあおくなった。七人の凶暴無慚きょうぼうむざんの悪漢が、いまこの島を徘徊はいかいしている。かれらは人を殺すことは草をきるよりもよういに思う者どもである。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
一つの扉に記して言う、「青竜汲水、白虎負薪」と。心を引く妙句ではないか。だが徘徊はいかいする時も充分になかった。住持のもてなしをも辞して私たちは帰路を急いだ。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
仮令たとい朱鞘の浪人者が徘徊はいかいするにしても、空気は一変して春風駘蕩しゅんぷうたいとうの図とならざるを得ぬであろう。物凄い朱鞘の人物に調和するのは、やはり梅より外はあるまいと思う。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
と新太郎君は待ち切れなくて、その辺を徘徊はいかいしていたのだった。早速茶の間へ罷り出ると父親は
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
時というものが終わるまで、私たちの生活の舞台の上をわれわれ二人が徘徊はいかいするのであろうか。
それを紛らわそうと、そなたはよもや知るまいが、俺は夜闇にまぎれて毘沙門びしゃもん谷のあたりを両三度も徘徊はいかいしてみたぞ。姫があの寺へ移られたことは直きに耳に入ったからな。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
その席上での四方山語よもやまがたりに、さる仁が申すには、久しき前より花柳のちまたを、色香床しき若衆が一人徘徊はいかいいたし、ひと度この者に出逢うが最後、如何いかなる心しまった女子おなごなりとも
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
馬や牛の群がえたり、うめいたりしながら、徘徊はいかいしだした。やがて、路傍ろぼうの草が青い芽を吹きだした。と、向うの草原にも、こちらの丘にも、処々、青い草がちら/\しだした。
雪のシベリア (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
手前事、長年、播州ばんしゅう侯のお名を偽って遊里を徘徊はいかいしたが、まことにもって慚愧ざんきのいたり
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ところがある日葺屋町ふきやちょうの芝居小屋などを徘徊はいかいして、暮方宿へ帰って見ると、求馬は遺書をくわえたまま、もう火のはいった行燈あんどうの前に、刀を腹へ突き立てて、無残な最後を遂げていた。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
土手の上、松の木蔭、街道の曲り角、往来の人に怪まるるまで彼方此方あっちこっち徘徊はいかいした。もう九時、十時に近い。いかに夏の夜であるからと言って、そう遅くまで出歩いているはずが無い。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
稲穂が畔道に深々と垂れさがって、それが私の足もとにふれるさわやかな音をききながら幾たびもこの辺りを徘徊はいかいした。豊作というものがこんなに見事なものとは知らなかったのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
いざその時はと手にして来し六分鑿ろくぶのみの柄忘るるばかり引っ握んでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとわず塔の周囲めぐりを幾たびとなく徘徊はいかいする、怪しの男一人ありけり。
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
がなひまがな仰ぎていたが、これでもなお満足出来ず、折々伯の散歩場たるケーン・ウードを徘徊はいかいして、その威風に接するのを楽しみとし、何時いつか伯と言葉を交すべき機会もがなと
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
この目的のためにしばしばこの女の住居すまいの近所を徘徊はいかいして容子ようす瞥見べっけんし、或る晩は軒下のきしたに忍んで障子に映る姿を見たり、戸外にれる声をぬすいたりして、この女の態度から起居振舞たちいふるまい
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)