凝視ぎょうし)” の例文
そして凝視ぎょうししているすずしいには深いかなしみの色がやどっていた。その眼で若者はさっきから一対いっついのおしどりをあかずながめていた。
おしどり (新字新仮名) / 新美南吉(著)
時に唇をむすんだまま足もとの地上を凝視ぎょうししていたりした。直射する秋の日の下には、なおたくさんな蟻の穴に蟻が往来していた。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくばかり熱心に長浜の市街地方面をのみ凝視ぎょうししているところを以て見れば、その目指すところの目的は、あの長浜の町の辻にあるらしい。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
が、相手が少しの猜疑さいぎもなく、無邪気に自分を凝視ぎょうししているのを見ると、俊寛はそれに答えるように、軽い微笑を見せずにはいられなかった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
二人を眠らせたメリー嬢は、やがて己の椅子の前へ来て、ちょうど子供がにらめっくらをするように、じっと己のひとみの奥を凝視ぎょうしした。そうして
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
はっとおもって、その一てん凝視ぎょうしすると、一ぴきのとかげが、かえるをくわえて、すぐちかくの煉瓦れんがかべに、どこからかはいてきたのでした。
宇治は表情を微塵みじんも動かさず、じっとその動作を凝視ぎょうしした。しばらく沈黙がつづいた。日の光が背に熱かった。突然高城があえぐような声で叫んだ。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
だが、二瞬とたたない凝視ぎょうしだった。城主長国の声がおどろきとよろこびに打ちふるえ乍ら、月光の中の影に飛んでいった。
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
次郎は、声をあげてそれを仰いだが、その光が空に吸いこまれると、彼の眼は、いつの間にか北極星を凝視ぎょうししていた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
ふちのようなしずけさの底に、闇黒やみとともに這いよる夜寒の気を、お艶は薄着の肩にふせぐすべもなく、じっと動かないお藤の凝視ぎょうしに射すくめられた。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
彼の話を聞くと共に、ほとんど厳粛げんしゅくにも近い感情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。私は悚然しょうぜんとして再びこの沼地の画を凝視ぎょうしした。
沼地 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
道夫は芝生の上をはいながら、二人の方へ一センチでも近づこうと努力しながら雪子と川北先生のようすを凝視ぎょうしした。
四次元漂流 (新字新仮名) / 海野十三(著)
卜者ぼくしゃは羊の肝臓かんぞう凝視ぎょうしすることによってすべての事象を直観する。彼もこれにならって凝視と静観とによって真実を見出そうとしたのである。そのうちに、おかしな事が起った。
文字禍 (新字新仮名) / 中島敦(著)
駒をとどめて猫背ねこぜになり、川底までも射透さんと稲妻いなずまごとを光らせて川の面を凝視ぎょうししたが、潺湲せんかんたる清流は夕陽ゆうひを受けて照りかがやき、瞬時も休むことなく動き騒ぎ躍り
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
さいぜんの館員は、明智のことばの意味をさとったのか、ツカツカとその棚の前に近づいて、ガラスに顔をくっつけるようにして、中にかけならべた黒ずんだ仏画を凝視ぎょうししました。
怪人二十面相 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
作次は突き刺すような眼で、参太の顔を凝視ぎょうししてい、それから歯を見せて冷笑した。
おさん (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
まつろうは、きつねにつままれでもしたように、しばし三日月みかづきひかりいてたおせんの裸像らぞうを、春重はるしげ写生帳しゃせいちょうなか凝視ぎょうししていたが、やがてわれかえって、あらためて春重はるしげかお見守みまもった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
相手の紳士はそうした私の顔を、その黒い、つめたい執念深い瞳付めつきで十数秒間、凝視ぎょうししておりましたが、やがてまた胴衣チョッキの内側から一つの白い封筒を探り出して、うやうやしく私の前に置きました。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
康頼 (沖を凝視ぎょうしす)あれはみやこから来た船だ。(なぎさに走る)あの帆柱ほばしらの張り方や格好かっこうはたしかにそうだ。いなかの船にはあんなのはない。(波の中に夢中でつかり、息をこらして船を見る)
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
思えばその鏡こそは、これまで十七年も八年もの長い年月の間、青年から中年に更にまた老年の域へと一歩々々近づいて行きつつある私の姿を、絶えずじっと凝視ぎょうしして来た無言の観察者であったのだ。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
もとより如何いかなる人にても、かつて面会をこばみし事のなき妾は、直ちに書生をして客室かくしつしょうぜしめ、やがて出でて面せしに、何思いけん氏は妾の顔を凝視ぎょうししつつ、口の内にてこれは意外これは意外といい
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
よくよく凝視ぎょうしするとおどろいたことには、それが、たったいま、刑場けいじょうのなかで首をおとされたはずの忍剣にんけん龍太郎りゅうたろう伊那丸いなまる主従しゅじゅう三人。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お雪は、竜之助が棒の如く立って、凝視ぎょうししている、その越中のつるぎたけの半面に向って、同じように、凝視の眼を立てました。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ささやきながら、前よりも自信のある大胆な凝視ぎょうしを、私の顔にしばらく注いで、やがて男と一緒に人ごみの中へ隠れてしまった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しろがねの幕と降りしきる雪をとおして、栄三郎と左膳、火のごとき瞳を法恩寺ばしの橋上に凝視ぎょうししあっている。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そのくせ一層大きくなったように見える血走った両眼りょうがんを、クワッと見ひらいて私の方を凝視ぎょうししているのだった。私の顔付から何事かを読みとろうというような風だった。
空中墳墓 (新字新仮名) / 海野十三(著)
奇怪な神秘の顕現けんげん慄然りつぜんとしながら、今、彼の魂は、北国の冬の湖の氷のように極度に澄明ちょうめいに、極度に張りつめている。それはなおも、埋没まいぼつした前世の記憶の底を凝視ぎょうしし続ける。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
彼は何かしらハッとしたように、早苗さんのうしろ向きの頭部を凝視ぎょうししているのだ。
黒蜥蜴 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
奇怪な錯乱さくらんのために、おばさんを凝視ぎょうししていた私の眼ぶたがかっと熱くなった。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
……と……そんなような考えを凝視ぎょうししいしい、台所の暗いところと向き合って、眼を一パイに見開いている私の背後から、虎の門のカーブを回る終電車のきしりが、遠く遠く、長く長く響いて来た。
冗談に殺す (新字新仮名) / 夢野久作(著)
四つの眼もまた、彼を凝視ぎょうししたままほとんど動かなかった。ただ、おりおり小声で何か話しあうらしい唇の動きや、うなずきあいによって、その表情にいくらかの変化を見せているだけであった。
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
へのむすんだくちに、煙管きせるくわえたまま、せられたように人形にんぎょう凝視ぎょうしつづけている由斎ゆうさいは、なにおおきくうなずくと、いまがた坊主ぼうずがおこして炭火すみびを、十のうから火鉢ひばちにかけて、ひとりひそかにまゆせた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
成経と康頼、基康を凝視ぎょうしす。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
一刀斎の右のたもとのうしろに、刀の切っ先が血しずくを静かに落していた。死骸をしばらく凝視ぎょうししていたが、刀を拭って振向くと
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは顔の上にさす明りの晴れがましさを避けるため、と云うよりは、老人のむさぼるような瞳の凝視ぎょうしを避けるため、と云った方が適当であるかも知れない。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そして義眼のひとみは、まるで視力があるかのように、上に丸く開いている空を凝視ぎょうししていた。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
文代さんは、まっさおになって、この奇怪な人物を凝視ぎょうしした。誰ですと聞くまでもない。これが明智自身でないとすれば、もう一人のやつにきまっているのだ。人間豹恩田にきまっているのだ。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
自分の一点一画を凝視ぎょうしするように、凝視してはそれにのみを加えて、また退いて見詰めるように、見ようによっては、一刀三礼いっとうさんらい敬虔けいけんを以て仏像を刻む人でもあるように、駒井というものの全部が
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
黒眼鏡のおくからある一点を凝視ぎょうししているといった姿勢になった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
じっと私の顔を凝視ぎょうししながら
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
なつめはそのあいだ、ほかの弟子が来ぬように見張っていた。兆二郎は天井の穴に目をつけて、息をのみながら久米一の仕事を凝視ぎょうしする。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うしろを歩いている男賊は、時々立ち停って、女賊のすることを凝視ぎょうしする。
恭一も次郎も、一瞬いっしゅん息をつめて、その人影を凝視ぎょうしした。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
その群集ぐんしゅうのなかに立って、かれの挙動きょどう凝視ぎょうししているふたりの浪人ろうにん——深編笠ふかあみがさまゆをかくした者の半身はんしんすがたがまじって見えた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は観念して、ピース提督の前に立ち、彼がどうするかを凝視ぎょうしした。
地球要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
と注意したので、官兵衛は駒を留めて凝視ぎょうしした。扇の日の丸が赤くうごいている。松千代もそばに見える。竹中半兵衛も見える。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暫くノートの表を凝視ぎょうししていた彼は、思わず
暗号数字 (新字新仮名) / 海野十三(著)
よう似ているがと、同じこの山から、それを凝視ぎょうししていたそれがしがしまったと、かけ下りて来て、物見の足軽どもを止めた時はもう間にあわぬ。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
村松検事はそう云って、女の顔を凝視ぎょうしした。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼が櫓の狭間はざまに顔をだした時、誰からともなく伝えられたとみえ、広間を出て来た藩士たちが、四五人ずつかたまって、城下の方を凝視ぎょうししていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)