かおり)” の例文
衣服を湿らせてしまったために、高いかおりはまして一つになって散り広がるのがえんで、村人たちは高華な夢に行きったように思った。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
次第に、馬車は速力が衰えて並足となり、夏の夜のいろいろの甘いかおりの間をゆらゆらと揺れがたがたと音を立てながら登って行った。
「まさにその通り、この赤い酒の中には、かおりも匂いも何んにもない、恐ろしい毒が入っている、たぶん昇汞しょうこうというものだろうと思うが」
それから天皇はある年、多遅摩毛理たじまもりという者に、常世国とこよのくにへ行って、かおりの高いたちばなのを取って来いとおおせつけになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
この間宿の客が山から取って来てへいした一輪の白さと大きさとかおりから推して、余は有るまじき広々としたを頭の中に描いた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「そいつはありがたい。御幣餅とは、よいものをごちそうしてくださる。木曾の胡桃くるみかおりは特別ですからね。」と香蔵もよろこぶ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
何を馬鹿なことを!……と起ち上った拍子に、隣室からにおって来た線香のかおり。開けてみたら、こうして首が安置あんちしてあったのだ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
いで師の教えを受け、各この薬を磨くに、竜樹かおりぎてすなわち便ただちにこれを識る。数の多少を分かつに、錙銖ししゅも失うなし。
そして微かな身震いが彼女の華奢きゃしゃな体の周りに震える。ナポリの穏やかな空気が草地のかおり高い銀の百合ゆりの周りに震えるように。
父は夢だ、と云って笑った、……祖母もともに起きてで、火鉢の上には、再びかんばしいかおりが満つる、餅網がかかったのである。
霰ふる (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
秋はここにもくれないに照れる桜の葉はらりと落ちて、仕切りのかき茶山花さざんかかおりほのかに、線香の煙立ち上るあたりには小鳥の声幽に聞こえぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
みちみち、新鮮な空気を飲み、健康なかおりを鼻いっぱいに吸いこむ。猟具えものも家へ置いて行く。彼はただしっかり眼をあけていさえすればいいのだ。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
それは長く降り続いていた雨の空がひる過ぎからにわかに晴れて微熱の加わって来た、どこからともなしに青葉のかおりのようなにおいのして来る晩であった。
萌黄色の茎 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その前にもったかも知れないが、アンポンタンが意識した初対面の印象だった。彼の身辺まわりは石炭酸のかおりがプンプンした。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
まろの頭にぼんやり残って居るものは、生暖なまあたゝかいふところに垂れて居た乳房の舌ざわりと、甘ったるい乳のかおりばかりだ。
二人の稚児 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
気がついたのは——此際このさい呑気のんきな話であるが——なにかしら、馥郁ふくいくたるにおいとでもいいたいかおりの辺にすることだった。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ゆずの中に餅を入れて作ります。形よく色よく、あじわいよくかおり高く、それに長い月日によくえます。この町をおとなうことがあったら忘れずに味って下さい。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
折しも微吹そよふく風のまにまに、何処いずくより来るとも知らず、いともたえなるかおりあり。怪しと思ひなほぎ見れば、正にこれおのが好物、鼠の天麩羅てんぷらの香なるに。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
実際、私たちが今近づいているのは島でも非常に気持のよい処であった。かおりの強い金雀花えにしだや、花の咲いている多くの灌木が、ほとんど草に取って代っていた。
カザリン二世(十七世紀)頃のかおりがあり、死体のかけていた椅子などは、背部の木部の飾りに、ロマノフ廃朝の紋章が浮き彫され、銀の象眼が、なされていた。
(新字新仮名) / 楠田匡介(著)
その呼吸に「カナリヤの労働」——きな臭い煙草——の名のかおりが絡み、散乱する長調の音譜と、澎湃ほうはいたるこの雑色の動揺と、灼輝しゃっきする通行人の顔と動物的な興奮。
戸数は九百ばかりなり。とある家に入りて昼餉ひるげたべけるにあつものの内にきのこあり。椎茸しいたけに似てかおりなく色薄し。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
十一月の初めの、時雨しぐれの降った後の寒い日であった。たきまぜの御飯のかおりことになつかしく思われた。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
春風のように、花や緑のかおりを乗せたそよ風が、三人のしめった髪や、着物をこころよくでて行く。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
だがそれをひとりでするときは心に流れるうらわびしさが、硝子がらすの指先にふれる冷たさや、土のしめっぽいかおりや、美しい花の色にまでしみて余計よけいさびしくなるのだった。
花をうめる (新字新仮名) / 新美南吉(著)
ホールで遊んでいる児童が立って敬礼をする。そのあとに煙草の煙のかおりが残る。煙は何ともいえぬかおりで香ばしいような酸っぱいような甘いような一種のかおりである。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
もう二度と振向かずに廊下を摺足すりあしに歩いて、番茶のかおりが洩れる教員室にまた入ってしまった。
蝋人形 (新字新仮名) / 小川未明(著)
彼の死骸を磔柱から下した時、非人は皆それが美妙なかおりを放っているのに驚いた。見ると、吉助の口の中からは、一本の白い百合ゆりの花が、不思議にも水々しく咲き出ていた。
じゅりあの・吉助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
暗中降雨を冒して進むこと数里、いよいよ人家の近付いたと思わるころ、風にあおられて暗中に漂う湯のかおりプンと鼻を打った時には、足の痛みなぞはすっかり忘れて跳べ跳べ。
室一杯に香料の匂がせ返える程満ちていることで、しかも其かおりは他でも無い、曹達そうだ土瀝青ちゃん没薬もつやくとを一緒に混合あわせた香であって、即、それは、数千年の昔古代埃及の人達が
木乃伊の耳飾 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すがすがしい土のかおりも、既に全身に沁みつくして、彼の嗅覚きゅうかくを刺激するようなことはなかった。美衣美食の生活者が、美衣美食を知らぬと同じ悲しさが梅三爺の上にもあった。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
門の入口にあまかおりがすると思うたら、籬根かきねにすいかずらの花が何時の間にか咲いて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ことによると肉のかおりぐらいかげようかとおもって、さっそくさんせいしました。
はげ残った白壁に、朝日が赤々と照映えて、開放的な海のかおりが、ソヨソヨと鼻をうつ。凡てが明るい感じで、この土蔵の中に例の怪物が住んでいるなどとは、どうにも考えられないのだ。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
今日は嬢の手料理にかんよりもむしろ嬢の温情に飽かん。未来の我が妻、外に得難き良夫人と心はあだかも春風しゅんぷうに包まれたるごとし。春風は庭にも来にけん、梅花のかおり馥郁ふくいくとしてしつる。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
次に開いた調査書類も同様で防虫剤こそほどこしてないが、パラパラとページを繰って行くうちに、埃臭いかおりがウッスリと鼻に迫って来る。いずれにしても最近に人の手が触れなかった事は確かである。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
茶を熱く入れてかおりのよいところを御二人へ上げましたら、奥様も乾いた咽喉のどしめして、すこしは清々せいせいとなすったようでした。急に、表の方で
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「花であればこれだけの香気を持ちたいものですね。桜の花にこのかおりがあればその他の花は皆捨ててしまうでしょうね。こればかりがよくなって」
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
続いて女がどうに乗り移った。その拍子に女の体にしみた香水のかおりが省三の魂をこそぐるように匂うた。省三はともへ腰をおろしたところであった。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「じゃあ、あの花壇のあるところへいってみません? いろいろとうつくしい花や、かおりのいい花が、たくさんあるのです。あなた、花おきらいですか」
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
宗助は小供の時から、この樟脳の高いかおりと、汗の出る土用と、炮烙灸ほうろくぎゅうと、蒼空あおぞらゆるく舞うとびとを連想していた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この樟材の支那箱は絶えず内部に樟脳のかおりが満ちていて、ナフタリンなんか入れなくても虫を防ぐから、毛織物類を仕舞って置くには、家庭用として特に便利である。
色が美しく、こすれに強く、かおりが良く、洗いに堪え、古くなればなるほど色にあじわいが加わります。こんな優れた染料が他にないことは誰も経験するところでありました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
げにそのぬしは銅瓶のもとに梅花のかおりを浴びて、心臓形の銀の写真掛けのうちにほほえめるなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
お豆腐の上に、まっ青な、かおりの高い紫蘇しその葉がきざんで乗せてあるのが私をよろこばせた。
法衣ころも袈裟けさの青や赤がいかにも美々しく入り交って、経を読む声、れいを振る音、あるいは栴檀沈水せんだんちんすいかおりなどが、その中から絶え間なく晴れ渡った秋の空へ、うらうらと昇って参ります。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
サア、味噌までにも及びません、と仲直り気味にまず予にすすめてくれた。花は唇形しんけいで、少し佳いかおりがある。食べると甘い、忍冬花すいかずらであった。これに機嫌きげんを直して、楽しく一杯酒をしょうした。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
……別嬪のかおりがほんのりで、縹緻きりょうに打たれて身に沁む工合が、温泉の女神様おんながみさまが世話に砕けてあらわれたようでございましたぜ。……(逢いたさに見たさに)何とかって、チャンと句切ると
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ヘリオトロープのかおりは引き切りなしに湧き出して来る。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
夏の夜の甘いかおりは彼の周囲一面にたちこめた。