あぶら)” の例文
京伝馬琴以後落寞としてあぶらきた燈火ともしびのように明滅していた当時の小説界も龍渓鉄腸らのシロウトに新らしい油を注ぎ込まれたが
「主人や番頭にあぶらをとられたので、山卯の組はみんな引っ込んでしまったんですが、世間は広いもので、また新手が出て来ましたよ」
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
年はおおかた二十五、六、あぶらの乗った年増盛り、大柄で肉付きよく、それでいて姿のぼやけないのは、踊りで体を鍛えたからであろう。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
少なくとも「汗」と「あぶら」の労働によって、勤労によって、一ページずつを、毎日元気に、朗らかな気持で、書いてゆきたいものです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
人を斬った以上は、血のりを拭い去ろうとも去るまいとも、その当座はあぶらが浮いている、というのが有力なる証拠の一つということです。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
学生というものが現実その書棚のまわりにも群がって埃とあぶらと若さの匂いをふりまいている様々の心と体との生々しい人間たちではなくて
生態の流行 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
娘のように赤く、ふっくらと湿っている唇がゆがみ、はっきりとした紛れのない双眸そうぼうに、貪婪どんらんな、ぎらぎらするようなあぶらぎった色がうかんだ。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
上にあぶらがほんの少々ながらきらきら浮いてい、下には人参の切れっぱしやキャベツの腐ったような筋が二つ三つ沈んでいる。
日本脱出記 (新字新仮名) / 大杉栄(著)
「家の方は私の稽古着けいこぎを売ってもよいから」といって、親子のあぶらであり、血となるだいの金四円を、母を車に乗せて夜中ではあれど届けさせた。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
いづれも肥えあぶらづいて、竹の串に突きさゝれてある。流石さすがに嗅ぎつけて来たと見え、一匹の小猫、下女の背後うしろに様子をうかゞふのも可笑をかしかつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「あの竹藪たけやぶは大変みごとだね。何だか死人しびとあぶら肥料こやしになって、ああ生々いきいき延びるような気がするじゃないか。ここにできるたけのこはきっとうまいよ」
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
生前、人いちばい肥満していた董卓なので、あぶらが煮えるのか、臍の燈明は、夜もすがら燃えて朝になってもまだ消えなかったということである。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「メシヤ」は「あぶら注がれた者」の意味であって、祭司もしくは王に任職する際には、その頭に膏をそそぐ儀式があった。
キリスト教入門 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
とんとん拍子にのりが来て、深川夫人は嫣然顔にこにこがお、人いきりに面ほてりて、めのふちほんのり、生際はえぎわあぶらを浮べ、四十有余あまり肥大でっかい紳士に御給仕をしたまいながら
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
佐分利は二年生たりしより既に高利の大火坑にちて、今はしも連帯一判、取交とりま五口いつくちの債務六百四十何円の呵責かしやくあぶらとらるる身の上にぞありける。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
中年以上の男では猶一層のことで、殊にデコボコの多いあぶらぎつてブヨブヨした感じのするのなどは見るのもいやです。それから髯のないのも嫌ひです。
サニンの態度 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
ああ、なんたる変り方でしょう⁉ 父はいつの間にか、聖職を捨ててしまって、聖器類を売払った金を資本もとでに、亡命人エミグラント達の血とあぶらを絞っているのです。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
まことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭にあぶらを塗り、微笑ほほえんでいなさるがよい。わからないかね。
駈込み訴え (新字新仮名) / 太宰治(著)
石水と云えば、彼には、茫洋ぼうようとした石狩川の流れが見えて来る。そのほとりにあるあぶらぎった処女地も浮んで来る。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
「身内の欲虫、人の和合する時男虫は白精、涙の如くにして出で、女虫は赤精、の如くにして出づ、骨髄のあぶら流れて此の二虫をして吐涙の如くに出でしむ」
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
セイロンではカバラゴヤと呼び、今もそのあぶらを皮膚病に用い、また蒟醤葉きんまのはに少しけて人に噛ませ毒殺す。
如何かして虚飾みえで無しに骨を折つて貰ひたい、仕事にあぶらを乗せて貰ひたいと、諭せば頭は下げながら横向いて鼻で笑はれ、叱れば口に謝罪られて顔色かほつきに怒られ
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
カメの女房はひどくあぶらをしぼられて、亭主というものは一家の大黒柱である。お前も亭主のオカゲで生きていけるんじゃないか。コクツブシとは、お前のことだ。
あけられた障子うちに、すぐ床をしき、奥さんらしい人がねそべり、よく働いたらしいあぶらのぬけたあしうらがこちらへ向いて見えた。見当をつけ此処ここの家だなと思った。
童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
裸なる身にあぶらうちぬり將に互に攻め撲たんとしてまづおさゆべき機會すきをうかゞふ勇士の如く 二二—二四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
顔がぴかぴかあぶらで光り、仏印の時のやうな若さはもう消えかけてゐた。顔が、ひどく疲れてせてゐる。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
なんぢたみぞを大にうるほし、うねをたひらにし、白雨むらさめにてこれをやはらかにし、そのえ出づるを祝し、また恩恵めぐみをもて年の冕弁かんむりとしたまへり。なんぢの途にはあぶらしたゝれり。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そして自分に言つた、斯うしたものに預けておくには自分の身體にはまだ/\少々あぶらが多過ぎる、と。
樹木とその葉:03 島三題 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
憲兵にしたゝかあぶらを搾られ、「満洲へ引返さうか」と途方に暮れてゐたその「カフエー」の女将をかみは、今や、保定第一の女富豪として国防婦人会々長の肩書もいかめしく
後日譚 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
さういふことが、単調な漁人の生活に僅少の色彩を与へる。「たたき」で捕つた魚も、「やつか」で捕つた漁も、所謂いわゆる氷魚ひおであつて、あぶらが乗り肉が締まつて甚だ佳味である。
諏訪湖畔冬の生活 (新字旧仮名) / 島木赤彦(著)
またこの二つの刀身に血ぬられた、人間のあぶら血痕けっこん等によって判断するに、両氏はいずれもこの名刀を振るって、凄惨にも死に至るまで決闘を続けたものと考えられている。
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
短かい刃渡りの中ほどがふくらんだ半月形の刃物は人の血とあぶらで、まだ薄く曇っていた。
恨なき殺人 (新字新仮名) / 宮島資夫(著)
あのマリアがキリストの足にあぶらを塗り、髪の毛で拭き、それを接吻したときにキリストが深く感動したのはもっともに思われる。私たちは僕としての愛が先きにできねばならない。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
魚は水あればすなわちき、水るればすなわち死す。ともしびあぶらあればすなわちめいあぶら尽くればすなわちめっす。人は真精しんせいなり、これをたもてばすなわち寿じゅ、これをそこなえばすなわちようす。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
あの式の個条は君もよく知つてゐる——祓浄式、二つの形式の下に行はれる聖餐式、「改宗者のあぶら」を手のひらに塗る式、それから、僧正と一しよに恭しく、神の前へ犠牲を捧げる式……
クラリモンド (新字旧仮名) / テオフィル・ゴーチェ(著)
しくも甘い眼つき、脅かすよりはむしろそゝのかすやうに八の字を寄せるその狭い額、その淡紅な薄い唇、むせ返へるやうなみづ/\しい黒髪のあぶらと、化粧した肌の香ひ、——その女が
現代の売淫制度の罪悪は、売淫そのものにあるというよりも、こうした世界にまでも、資本主義の毒がみなぎっていて、売淫者自身の血やあぶらが、楼主といったものを、肥しているということです。
島原心中 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
わが足にあぶらそゝがむ人もがなそを黒髪にぬぐふ子もがな(寺院にて三首)
芥川竜之介歌集 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「これは手のあぶらをとるのですよ。僕は膏手だから。」と漱石氏は応えた。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
商会主は淫蕩いんとうと淫蕩との間の小憩こやすみ、あぶらっこい刺身のつまとして、純真無垢むくの艶子を見た。金や地位になびくことを知らない少女は一面にはばからしく思えたが、一面には貴い宝石のように見えもした。
五階の窓:04 合作の四 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
死人しびとあぶらひどいから容易には焼けないものであります。
背が高く口髭くちひげたくわえ、あぶらぎった赭顔あからがおをしていました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
紅血染めし屍を洗ひて上にあぶら塗り、 350
イーリアス:03 イーリアス (旧字旧仮名) / ホーマー(著)
あやめしが如くまだ生々なま/\しきあぶらういて見ゆればさすがに吉兵衞は愕然ぎよつとして扨ても山賊の住家なりかゝる所へ泊りしこそ不覺ふかくなれと後悔こうくわいすれど今は網裡まうりの魚函中かんちうけものまた詮方せんかたなかりければ如何はせんと再びまくらつきながらも次の間の動靜やうす
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
あぶらぎった汗臭い臥床ふしどまろびたり
水と火、あゝ相遇へり、青きあぶら
身のあぶらしぼるものか。
焔の后 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
手ずれ、あぶらじみ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
実際、それは初代左団次が最もあぶらの乗っている当時であるから、舞台が踏み抜けるほどの目ざましい大活動を演じたに相違ない。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
どんなに困難な道だったか、高く秀でた額から衿首えりくびまであぶら汗が流れていたし、草鞋わらじも足袋も襤褸屑ぼろくずのように擦り切れていた。
松風の門 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)