たん)” の例文
すぐに、田舎の長兄へ電報を打ちました。長兄が来るまでは、私が兄の傍に寝て二晩、のどにからまるたんを指で除去してあげました。
兄たち (新字新仮名) / 太宰治(著)
さつきのすがめはもう側にゐない。たんも馬琴の浴びた湯に、流されてしまつた。が、馬琴がさつきにも増して恐縮したのは勿論の事である。
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
まるで山羊のような声だと思いながら……その時に山羊髯はヤッと咽喉のどに絡まったたんみ下して、蚊の啼くような声を切れ切れに出した。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
あか鬢盥びんだらいへ殆んど一杯ほども吐き、そのまま気を失ってしまった。お豊のはせきたんも出ず、躯が痩せるというのでもなかった。
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かさかさな鼻腔の奥を鳴らしてカッとたんをすれば、石炭を溶かしたようなものが口から出るし、うっかり蝋燭の火で煙草をつけようとすると
伊之助が長煩いの床の敷いてあるところは、先代金兵衛の晩年に持病のたんで寝たり起きたりしたその同じ二階の部屋へやである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と云いさま、ガアッとたんの若侍の顔にき付けました故、流石さすがに勘弁強い若侍も、今は怒気どき一度にかおあらわれ
翌朝純一は十分に眠った健康な体のい心持で目をました。只のどたんが詰まっているようなので咳払せきばらいを二つみつして見て風を引いたかなと思った。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
たしかこの時であったと思う、非風君がかっと吐くと鮮かな赤い血の網のようにからまったたんが波の上に浮いたのは。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
語勢に力を付けたはずみにたんがつかえたのでもあろうか、喘息病ぜんそくやみのように咽喉のどの奥をぜい/\鳴らして息を入れた。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
或朝、菜穂子は床から起きようとした時、急にはげしく咳き込んで、変なたんが出たと思ったら、それは真赤だった。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
自分でも要慎ようじんしてたんは必ず鼻紙へ取って決してやたらとてなかった。殊に露西亜へ出発する前一年間は度々病気になって著るしく健康を損じていた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
甲板に上り著くと同時にたんが出たから船端の水の流れて居る処へ何心なく吐くと痰ではなかった、血であった。
(新字新仮名) / 正岡子規(著)
物にかびを誘ふことの甚しい雨であつた。此間にお桐の容体はあらたまつた。絶間なしにたんを吐いて居た。肺が全部腐敗して出て来るかと思はれるほど烈しかつた。
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
それでいてたんがこう咽喉のどへからみついてて、呼吸いきふさぐんですから、今じゃ、ものもよくは言えないんでね、私に話をして聞かしてと始終そういっちゃあね
誓之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして彼はその上にたんを吐きかけるのみでは足れりとしない。数と力と物質との優勢の圧迫の下に、彼は心に一つの言葉を、くそを見いだす。くり返して言う。
老母おなかは元来酒をたしなむ所に、近年はたんが起つて夜分眠られぬ。すると島吉が、老母の好きな酒を飲ませる。酒を飲むと一時痰が納まつて苦痛を忘れると云ふ。
政治の破産者・田中正造 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
「悪いものばかり豊富になりますよ。私は喘息ぜんそくたんが豊富になってからは殊に縮み方が烈しい。去年の土用干しに軍服を着て見て悲観しましたよ。ダブダブです」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
冬の間のビタミン不足が一度に消しとぶような気がする。たくさんとった時は東京で母がしたように佃煮つくだににしてたくわえる。たんの薬だといって父がよくたべていた。
山の春 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
船長はまりの様にすばやく転び上ると何やら激しく叫び立てながら逃れ去つた。逃げしなに彼の投げた手裏剣しゅりけん、青たん一塊いっかいが定の真白い肩先にペッタリとへばり着いた。
水に沈むロメオとユリヤ (新字旧仮名) / 神西清(著)
父は長い間、たんを煩つてゐた。小男でせた父が咳込せきこんで来ると、少し前かがみになつて、何だかおなかの皮でもよぢれるやうに咳込むのがいかにも苦しさうであつた。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
たん持と見えて、息がはずむたびに鶏のやうに顔を真つ赤にして咳き込みました。「こんなものをいただいては、せつかくお譲り申さうとした親爺の一ぶんが立ちませぬ」
小壺狩 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
そして二人ふたりみみをすましてきいていたが、余韻よいんがわあんわあんとなみのようにくりかえしながらえていったばかりで、ぜんそくちのたんのようなおとはぜんぜんしなかった。
ごんごろ鐘 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
結城紬ゆうきつむぎ、赤い座布団の上へちんまり座って、ノドへたんばかりからんでいましたが、つまりはその、若い時人に怨みを買い過ぎて、近頃自分の命を狙うものがあって叶わない
「それに叔父さんのはせきたんも出ないもんだで、まだそれほど悪いのじゃないとも思うがな。」
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかし、こんな無茶をしていながら、たんが少くなり発熱も、低くなり、せきも少くなった。六月頃まで、横浜、東京間で、二十回位、痰の出たのが、この頃は、二三回である。
死までを語る (新字新仮名) / 直木三十五(著)
冬になって堯の肺はいたんだ。落葉が降り留っている井戸端の漆喰しっくいへ、洗面のとき吐くたんは、黄緑色からにぶい血の色を出すようになり、時にそれは驚くほど鮮かなくれないに冴えた。
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
子あるまゝを塩引にしたるを子籠ここもりといふ、古へのすはよりといひしも是ならんか。本草にさけあぢはひうま微温やはらかどくなし、主治きゝみちうちあたゝさかんにす、多くくらへばたんおこすといへり。
先刻はいたたんが腐った牡蠣かきのように床に付着している。彼はじっとその痰を眺めていた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
われはのろい死にに死なねばならぬか。——たちまち咽喉のどふさがって、ごほんごほんとる。たもとからハンケチを出してたんを取る。買った時の白いのが、妙な茶色に変っている。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
男は荒い毛の獣の皮を着ていた。その衣の裾が岩床に敷くまわりに一ぱいたんが吐き捨ててあった。その痰の斑には濃い緑色のところと、黄緑色のところと、粘り白いところとある。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
君らは鏡に向かって自分の強く美しき肉体を賛美することは知ってても、肺病患者が人知れずたんを吐いて、混血の少ないのにほっと息を吐くときの苦心は知るまい。私は死に面接してる。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
……昼のうちは儲け仕事、晩になるとクラブがよい、おつきあいの相手と来たらカルタ気ちがいか、アルコール中毒か、ぜいぜい声のたんもち先生か、とにかく鼻もちのならぬ連中ばかり。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
夜の間に溜った執拗しつっこたんを、忙しく舌の先きを動かして、ペッ、ペッ、と痰壺へはき落し、プーンと立登って来るフォルマリンの匂いを嗅ぎながら注意深く吐落した一塊りの痰を観察すると
二番のとらさんは、広い胸幅をゆすりあげ、その話をするときは、ぼくを見ないようにして、「でれでれしやがって」と、忌々いまいましそうに、たんきとばします。この態度が、むしろ、好きでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
何度もいうとおり、声がかすれて低く、時々たんが絡んでぜいぜいと苦しそうに喘ぐのであったから、聞いているのも容易ではなかったが、面倒臭いからそういう病気の描写は、一切抜きにしよう。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
覗き𢌞りながら、ポケットからゴールドの時計を出して見て、何か燥々いら/\するので、頻にクン/\鼻を鳴らしたり、指頭で髮の毛を掻𢌞したり、またはのどたんでもひツからむだやうにやたらと低い咳拂せきばらひをしてゐた。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
彼れはかっとのどをからしてたんを地べたにいやというほどはきつけた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「いけねえいけねえ、咽喉へたんからまってらあ、さあいけねえ」
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
薄れたしろつぽい日の酒場さかばゆか吐散はきちらしたたんのやうで
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
松脂はたんの薬だと言って祖母が時々飲んでいたのである。
藤棚の陰から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
かたわらで湯を浴びていた小柄な、色の黒い、すがめ小銀杏こいちょうが、振り返って平吉と馬琴とを見比べると、妙な顔をして流しへたんを吐いた。
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「いまだから、いってしまうが……」と、刑部は、もちまえのせきを、たんと共に、鼻紙につつんでから、こう話した。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで泰三はすぐさま、「あの人が喉で妙な音をさせるのはなんですか、たんが絡んでるようでもないしせきをするんでもないようだし、あれはなんですか」
思い違い物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
医者が三月みつきと宣告したんだから、りきんでも踏反ふんぞり返っても三月経てばゴロゴロッとたん咽喉のどひっからんでのお陀仏様だぶつさま——とこう覚悟して置かにゃ虚偽うそだよ
「はあい。」のどにたんがからまっていたので、奇怪にしわがれた返辞であった。五百人はおろか、十人に聞えたかどうか、とにかく意気のあがらぬ返事であった。
鉄面皮 (新字新仮名) / 太宰治(著)
と云う、しゃがれたうちたんの交じった、冷飯に砂利をむ、心持の悪い声で、のっけに先ず一つくらわせた。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
灰色の唇をふるわして返事をすべく振り返ったが、その声は、たんに絡まれたようになって二三度上ったり下ったりしたまま、咽喉のどの奥の方へ落ち込んで行った。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
主人の咳払せきばらひをしてたんを吐いて小便をする音が聞える。八はその音を聞くと、自分も小便がしたくなつた。
金貨 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
お房は口も自由にけなかったがまだそれでも枕頭に積重ねてある毛糸のことを忘れないで、「かいとオ、かいとオ」と言っていた。時々たん咽喉のどに掛かる音もした。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)