ほて)” の例文
その顫音が集って、仄暗い家の中の空気に頼り無い寂寥を満す時、彼女はむやみと火鉢の炭を足して、軽く頬がほてるまでに火をおこした。
湖水と彼等 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
「事によると、エリスさんの家にいるかも知れない」街の角に差かかった時、坂口は独言を云ったが、急に顔がほてって来るのを感じた。
P丘の殺人事件 (新字新仮名) / 松本泰(著)
藪の中に隠れている時、鬼が此方に歩いて来る足音がガサガサと聞えると、もう身の毛がよだって、耳がほてって、心臓がどきどきした。
過ぎた春の記憶 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そらは深くんで、澄んだなかに、西にしはてから焼ける火のほのほが、薄赤く吹き返して来て、三四郎のあたまうへほてつてゐる様に思はれた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
たゞ沙漠のすなけてゐるやうに、頭がほてツてゐるばかりだ。そして何時颶風はやてが起ツて、此の體も魂もうづめられてしまうか知れないんだ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
葉子は顔をほてらせていた。そして庸三が出ようとすると壁際かべぎわにぴったり体を押しつけて立っていながら、「くちびるを! 唇を!」と呼んだ。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
二人は又接穂つぎほなさに困つた。そして長い事もだしてゐた。吉野はう顔のほてりも忘られて、酔醒よひざめの佗しさが、何がなしの心の要求のぞみと戦つた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そんな中に、はぜの樹のみは、晩秋から初冬にかけての日光を、自分ひとりで飲み飽きたかのやうに、まばらに残つた葉が真赤に酔ひほてつてゐる。
独楽園 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
お松は、座敷の人混ひとごみに上気して、ひとり誰もいない室へ来て、ホッと息をついて、ほてる頬を押えています。と、次の間で人のささやく声
あのすきとおるくつとマントがギラッと白く光って、風の又三郎は顔をまっ赤にほてらせて、はあはあしながらみんなの前の草の中に立ちました。
風野又三郎 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
頭の中がカッとほてって気もおのずと荒くなる。拳骨げんこつで木の枝を撲ったり足で岩を蹴ったりして、飛び上る程痛い目に遭った。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
とんとん拍子にのりが来て、深川夫人は嫣然顔にこにこがお、人いきりに面ほてりて、めのふちほんのり、生際はえぎわあぶらを浮べ、四十有余あまり肥大でっかい紳士に御給仕をしたまいながら
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
やがてお生憎あいにくさま春泉はるずみへ出て居るそうですと告られて、貞之進はたちまちカッと胸に火が燃え、酒一滴もまだ口へは入れぬに顔はほてり、そうとも知らぬ女が
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
林檎の木よ、發情期はつじやうきの壓迫で、身の内がほてつて重くなつた爛醉らんすゐなさけふさつぶじゆくした葡萄のゆるんだ帶の金具かなぐ、花を飾つた酒樽、葡萄色の蜂の飮水場みづのみば
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
さう云ふ言葉が屡々、同僚の口から洩れるのを聞くと、彼は顔のほてるのを感じた。百歳には此の部落に生れて、この部落に住んで居る事が厭はしい事になった。
奥間巡査 (新字旧仮名) / 池宮城積宝(著)
目はしばたたきもやんだように、ひたと両の瞳を据えたまま、炭火のだんだん灰になるのを見つめているうちに、顔は火鉢の活気にほてってか、ポッと赤味をして涙もかわく。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
色とひびきである。光のない上の世界と下の世界、その間を私たちの高麗丸のスクリュウが響く。機関がほてる。帆綱ほづなが唸る。通風筒の耳のあなが僅かに残照の紅みを反射する。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
うるみを持った瞳が笑うとともにほてった唇がまた隻頬かたほおあたたかく来た。章一の瞳はとろとろとなった。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
土地の習慣として焼たての芋焼餅いもやきもちに大根おろしを添えて、その息の出るやつをフウフウ言って食い、夜に成れば顔のほてるような火をいて、百姓のじじ草履ぞうりを作りながら
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あくる朝はなんだか頭が重くって、からだがほてるようで、なんとも言えないようないやな気持でしたが、別に寝るほどのことでもないので、やっぱり我慢して店に出ていました。
水鬼 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼女は身体がほてったり、冷えたりした。街で青年達を拾ったり、捨てたりした。
温度 (新字旧仮名) / 原民喜(著)
彼はそういう音楽を聞くや否や、他人と同じく、他人よりももっとはなはだしく、音の急湍きゅうたんとそれを繰り出す作者の悪魔的意志とにとらえられた。彼は笑った、うち震えた、ほおほてらした。
マニーロフの顔は喜びのあまり鼻と口だけになってしまい、眼などはすっかり姿を消してしまった。彼の両手に十五分間ばかりも握りしめられていたチチコフの手は、おそろしくほてって来た。
ああ、恥かしくて顔がほてる。何たる苦々しい事であった。私は当時の事を想いいだたびに、人通りの多い十字街よつつじに土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰いたいような心持になる……
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
汗と香油かうゆほて
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
堪え難い頭痛がして、額がかっとほてって、胸が高く動悸して、膝に力がなかった。立っておれなくなって、其処に屈んでしまった。
野ざらし (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
板戸をしめた薄暗い寝室は、どうかすると蒸し暑いくらいで、笹村は綿の厚い蒲団から、時々冷や冷やした畳へほてる体をすべりだした。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
兄の面色めんしょくあおいのに反して、自分は我知らず、両方の頬のほてるのを強く感じた。その上自分は何と返事をして好いか分らなかった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
二人は又接穗つぎほなさに困つた。そして長い事默してゐた。吉野はう顏のほてりも忘られて、醉ひ醒めの侘しさが、何がなしの心の望と戰つた。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
お君は脇息きょうそくの上に両肱りょうひじを置いて、暫らくの間、ほてる面を押隠していましたが、そのうちにウトウトと眠気がさしてきました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
奈何いかに頭をほてらせて靈魂の存在を説く人でも、其の状態を眼前まのあたり見せ付けられては、靈長教の分銅ふんどうが甚だ輕くなることを感得しなければなるまい。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
もとのおかの草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしくほてほほにはつめたい涙がながれていました。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
脊中にはしっとり汗ばんで顔がほてったけれど、彼の実家に行って用をすまして更に町へ行って、針医を呼んで来なければならぬ重役を帯びていた——それにしても
黄色い晩 (新字新仮名) / 小川未明(著)
うとうとしていた章一は、片頬かたほおあたたか緊縛きんばくを覚えたのでふと眼を開けた。艶消つやけし電燈のやわらかなあかりは、黒いねっとりとうるみを持った二つの瞳とほてった唇をそこに見せていた。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
だん/\暗くなるに連れて、わたくしは自然に息がはずんで、なんだか顔がほてって来ました。照之助が来る——それが無暗に嬉しいのですが、なぜ嬉しいのか判りませんでした。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
たゞし嬌瞋けうしんたりとふのをおもつたばかりでも、此方こつちみゝほてるわけさ。
みつ柏 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
遂々とうとう奥様は御声をちいさくなすって、打開けた御話を私になさいました。その時、私は始めて歯医者とのこれまでの関係を聞きましたのです。私は手を堅く握〆られて、妙に顔がほてりました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私は一つ一つ扉を叩いて部屋を覗いて見たが、誰もいない。三階は殊に家具のない裸部屋であった。二階の表部屋だけに僅ながら暖炉の石炭が燃えている。急にのぼせ上ったように顔がほてってきた。
日蔭の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
夜は深しただにしづけくゐるわれをストーブのほてり痛む眼に來る
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
ほてりますか。」
胸がどきどきして、頭がかっとほてっていた。眼が眩むようだった。細目に見開いてみると、すぐ前を厚い白壁が遮っていた。
野ざらし (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
渠は平手でそれを拭つて腰を据ゑると、今迄顏がほてつて居たものと見えて、血が頭からスウと下りて行く樣な氣がする。動悸も少ししてゐる。
病院の窓 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
ほてった血に流されながら偶然浮び上った時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影の内から、その洋杖だけをうんとつかまえたのである。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
お雪の口からは、お今がほてる顔に袖をあてて、横へ突っ伏してしまうほど、きまりの悪いようなことが、話し出された。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
竜之助がグッと一口飲む、ともしびの光で青白いかおほてる、今夜来たらば……叩き切ってしまうというものと見えます。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
是に反しては、各自てんでんに體面を傷ツけるやうなものだ。でいづれもほてツた頭へ水を打決ぶツかけられたやうな心地こゝちで、一人去り二人去り、一と先づ其處を解散とした。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
ジョバンニはをひらきました。もとのおかの草の中につかれてねむっていたのでした。むねはなんだかおかしくほてり、ほおにはつめたいなみだがながれていました。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
若い女に、自分の手を強く握られて、長三郎の頬はおのずとほてるように感じられた。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かっと顔がほてって、心臓がどきどきした。何となく、女は済まぬような気がした。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
夜は深しただにしづけくゐるわれをストーブのほてり痛む眼に来る
白南風 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)