いはん)” の例文
いはんや片々たる批評家の言葉などを顧慮してかかつてはいけません。片々たらざる批評家の言葉も顧慮せずにすめばしない方がよろしい。
文芸鑑賞講座 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんまのあたりこれを語るをや。我は喜んで市長一家の人々と交れども、此の如き嫌疑を受くることを甘んじて、猶その家に出入すべくもあらず。
五月にいたりても人の手をつけざる日蔭ひかげの雪は依然いぜんとして山をなせり、いはん山林幽谷さんりんいうこくの雪は三伏の暑中にも消ざる所あり。
いはんや好惡の念強かりしシヨオペンハウエルが如きもの、若くは僻境に居りて經驗少かりけるカントが如きもの、いかでか偏僻頑陋と看做されざらむ。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
『イカニいはんヤ、日蓮今生こんじやうニハ貧窮下賤ひんぐうげせんノ者ト生レ旃陀羅ガ家ヨリ出タリ。心コソ少シ法華経ヲ信ジタル様ナレドモ、身ハ人身ニ似テ畜身ナリ……』
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
わたしこれを、なんずるのでも、あざけるのでもない。いはんけつしてうらやむのではない。むし勇氣ゆうきたゝふるのであつた。
露宿 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
茫々ぼうぼうたる世間に放れて、はやく骨肉の親むべき無く、いはんや愛情のあたたむるに会はざりし貫一が身は、一鳥も過ぎざる枯野の広きに塊然かいぜんとしてよこたはる石の如きものなるべし。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
亦此病にかかることあり、大丈夫と威張るものの最後の場に臆したる、卑怯ひけふの名を博したるものが、急に猛烈の勢を示せる、皆是れ自ら解釈せんと欲して能はざるの現象なり、いはんや他人をや
人生 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
いはんや是は南閣浮提なんえんぶだいの中には、唯一無双の御仏、長く朽損きうそんあるべしとも覚えざりしに、今毒縁の塵にまじはりて、久く悲を残し給へり。梵釈ぼんじやく四王、竜神八部、冥官みやうくわん冥衆みやうしゆも、驚きさわぎ給ふらんとぞ見えし。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
この、いはんや民の骨をくだける白米、人の血を絞れるごとき古酒、といふ言葉は白米おこめが玉のやうに、白光しろびかりに光つて見える。民の骨を碎ける白米しらよね、民の骨を碎ける白米しらよね! げに有難い言葉ではないか。
いはんやすべて秀でたる
晶子詩篇全集拾遺 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
いはんやこの理解の透徹した時は、模倣はもうほとんど模倣ではない。たとへば今は古典になつた国木田独歩の「正直者」はモオパスサンの模倣である。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
五月にいたりても人の手をつけざる日蔭ひかげの雪は依然いぜんとして山をなせり、いはん山林幽谷さんりんいうこくの雪は三伏の暑中にも消ざる所あり。
いはく、しん石崇せきそうずや、かれ庶子しよしにして狐腋雉頭こえきちとうかはごろもあり。いはんわれ太魏たいぎ王家わうかと。また迎風館げいふうくわんおこす。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
(流俗及褻語せつご一四七面)いはんや逍遙子はさゝのやみどりに對して、わが批評に關しての意見は、近頃の讀賣新聞に、戲文もてほゞいひ顯しおきぬといひしをや。(文苑、明治二十四年九月)
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
いはん金薄きんぱく半ば剥げたる大窓のけづらざる板もて圍まれたるありて、大廈の一部まことに朽敗きうはいになん/\としたるをや。既にして梵鐘ぼんしようは聲ををさめて、かぢの水を撃つ音より外、何の響をも聞かずなりぬ。
いはんや両氏の作品にもはるかに及ばない随筆には如何いかに君にいながされたにもせよ、到底たうてい讃辞を奉ることは出来ない。
解嘲 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
おやおやとの許嫁いひなづけでも、十年じふねんちか雙方さうはう不沙汰ぶさたると、一寸ちよつと樣子やうすわかかねる。いはん叔父をぢをひとで腰掛こしかけた團子屋だんごやであるから、本郷ほんがうんで藤村ふぢむら買物かひものをするやうなわけにはゆかぬ。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
加之しかのみならず若し心術の上より論ぜば、我守護神たる聖母もこれよりはまた我を憐み給はざるべし。いはんや此戀は果して能く成就せんや否や。我は口惜しきことながら、實に未だアヌンチヤタの心を知らざりき。
いはんや聖霊の子供たちでないものは唯彼の言葉の中に「自業自得」を見出すだけである。「エリ、エリ、ラマサバクタニ」は事実上クリストの悲鳴に過ぎない。
西方の人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
鄰家りんか道術だうじゆつあり。童顏どうがん白髮はくはつにしてとしひさしくむ。或時あるときだんことおよべば、道士だうしわらうていはく、それうまは、くこと百里ひやくりにしてなほつかるゝをせいとす。いはんいまよるくこと千里せんりあまる。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
いはんや方今の青年子女、レツテルの英語は解すれども、四書の素読そどく覚束おぼつかなく、トルストイの名は耳に熟すれども、李青蓮りせいれんの号は眼にうときもの、紛々ふんぷんとして数へ難し。
殊に恋愛を歌つたものを見れば、其角さへ木強漢ぼくきやうかんに見えぬことはない。いはんや後代の才人などは空也くうやの痩せか、乾鮭からざけか、或は腎気じんきを失つた若隠居かと疑はれる位である。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや僕等の人生観は、——恐らくは「いろは骨牌がるた」の中にことごとく数へ上げられてゐることであらう。のみならずそれ等の新旧は文芸的な——或は芸術的な新旧ではない。
いはんや僕の手巾ハンケチを貰へば、「処女として最も清く尊きものを差上げます。」と言ふ春風万里しゆんぷうばんりの手紙をやである。僕の思はず瞠目だうもくしたのも偶然ではないと言はなければならぬ。
変遷その他 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
黄大癡くわうたいちの如き巨匠さへも此処ここへは足を踏み入れずにしまつた。いはん明清みんしんの画人をやである。
支那の画 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
からすみを食はず、いはん烏賊いか黒作くろづくり(これは僕も四五日ぜんに始めて食ひしものなれども)
田端人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
書物さへすでにさうである。いはんや書画とか骨董こつとうとかは一度も集めたいと思つたことはない。もつともこれはと思つたにしろ、到底たうてい我我売文の徒には手の出ぬせゐでもありさうである。
続野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや現世の社会組織を一新する為に作つてゐるのではない。唯僕のうちの詩人を完成する為に作つてゐるのである。或は詩人兼ジヤアナリストを完成する為に作つてゐるのである。
あした呉客ごかくの夫人となり、くれ越商ゑつしやう小星せうせいとなるも、あにことごとく病的なる娼婦型の女人と限るけんや。この故に僕は娼婦型の婦人の増加せる事実を信ずる能はず。いはんや貴問に答ふるをや。
娼婦美と冒険 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや妻子を養ふ以外に人生の意味を捉へ得ない、幸福なる天下の渡し守はあたかも天才の情熱を犬の曲芸とでも間違へたやうに、三千年来恬然てんぜんと「狂うて見せ候へ」を繰り返してゐる。
金春会の「隅田川」 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
同時に又いつかお民の名は一村の外へもひろがり出した。お民はもう「稼ぎ病」に夜も日も明けない若後家ではなかつた。いはんや村の若衆などの「若い小母をばさん」ではなほ更なかつた。
一塊の土 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
彼の「大いなる異教徒」の名は必しも当つてゐないことはない。彼は実に人生の上にはクリストよりも更に大きかつた。いはんや他のクリストたちよりも大きかつたことは勿論である。
西方の人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや唯物美学などと云ふものには更に縁のない衆生しゆじやうである。しかし白柳氏の美の発生論は僕にも僕の美学を作る機会を与へた。白柳氏は造形美術以外の美の発生に言及してゐない。
予は父母を愛するあたはず。否、愛する能はざるにあらず。父母その人は愛すれども、父母の外見を愛する能はず。かたちもつて人を取るは君子の恥づる所也。いはんや父母の貌を云々うんぬんするをや。
いはんや門人の杜国とこくとの間に同性愛のあつたなどと云ふ説は畢竟ひつきやう小説と云ふ外はない。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや彼等のゐる所に、築山や四阿あづまやのあつた事は、誰一人考へもしないのだつた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや今後もせちがらいことは度たび辯ぜずにはゐられないであらう。かたがた今度の随筆の題も野人生計の事とつけることにした。勿論これも清閑を待たずにさつさと書き上げる随筆である。
野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
諸君の確信する所によれば、古今の才人は一人残らず諸君の愛顧をかたじけなうしてゐる。いはんや最も特色のある才人などと云ふものの等閑に附せられてゐる筈はない。それは諸君の云ふ通りである。
大久保湖州 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんやあの作品にさへ三歎の声をおしまなかつた鑑賞上の神秘主義者などは勿論無上の法悦はふえつの為に即死を遂げたのに相違あるまい。クロオデル大使は紋服の為にこの位損な目を見てゐるのである。
続野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや我我の地球をやである。しかし遠い宇宙の極、銀河のほとりに起つてゐることも、実はこの泥団の上に起つてゐることと変りはない。生死は運動の方則のもとに、絶えず循環してゐるのである。
侏儒の言葉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや胃嚢を押し浸した酸はあらゆる享楽を不可能にしてゐた。のみならず当時の陳列品には余り傑作も見えなかつたらしい。僕はまづ仏画から、陶器、仏像、古墨蹟と順々に悪作を発見して行つた。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや小説から戯曲にするのは恥辱でも何でもない筈である。
小説の戯曲化 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)