えんじゅ)” の例文
そして大蔵と約束したとおり、えんじゅの木の下にけてある鉄砲を持ちだして、秀忠将軍を一発のもとに撃つ日を待っているにちがいない。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山中組はジャンボーの通った石垣の間を抜けて、だらだら坂の降りぎわを、右へのぼるとはすに頭の上にかぶさっている大きなえんじゅの奥にある。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
朝霧あさぎりがうすらいでくる。庭のえんじゅからかすかに日光がもれる。主人しゅじんきたばこをくゆらしながら、障子しょうじをあけはなして庭をながめている。
(新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
雍家花園ようかかえんえんじゅや柳は、ひる過ぎの微風にそよぎながら、庭や草や土の上へ、日の光と影とをふりいている。いや、草や土ばかりではない。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかしことさらに主人が立会たちあふほどの事ではない。そのやしき三太夫さんだゆうが、やがてくわを提げたじいやを従へて出て、一同えんじゅの根を立囲たちかこんだ。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
それは七、八軒さきの小さい茅葺かやぶき屋根の田舎家で、強い風には吹き倒されそうに傾きかかっていた。その軒さきには大きいえんじゅの樹が立っていた。
半七捕物帳:68 二人女房 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「おのれ人間ひとの子をきずつけながら、まだ飽きたらでたけり狂ふか。憎き狂犬やまいぬよ、今に目に物見せんず」ト、ひき立て曳立て裏手なる、えんじゅの幹につなぎけり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
えんじゅと竹とが青々した陰を作った処に池があって、紅白の蓮の花がいちめんに咲いており、その花の匂いがほんのり四辺あたりに漂うているように思われた。
断橋奇聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
泊り客を見かけては道庵がいちいち、途中で手折たおって来たえんじゅのような木の枝を渡していうことには
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
驢馬の長い耳に日がさして、おりおりけたたましいき声が耳をつんざく。楊樹の彼方かなたに白い壁の支那民家が五、六軒続いて、庭の中にえんじゅが高く見える。井戸がある。納屋なやがある。
一兵卒 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
以前会館の中に住んでいた時、大きなえんじゅの樹の下に鴿はとの毛が散り乱れていた。これはたぶん鷹に取られたのであろうが、午前小使が来て掃除をしたあとはそこに何一つ残らなかった。
兎と猫 (新字新仮名) / 魯迅(著)
石斛せっこくの花が咲いている。えんじゅの花が咲いている。そうして厚朴ほおの花が咲いている。鹿が断崖の頂きを駆け、たかが松林で啼いている。もずが木の枝で叫んでいるかと思うと、つぐみが藪でさえずっている。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
寺の地面うちだけでも、松、杉、かえで銀杏いちょうなどの外に、しいかし、榎、むくとちほおえんじゅなどの大木にまじって、桜、梅、桃、すもも、ゆすらうめ、栗、枇杷びわ、柿などの、季節季節の花樹や果樹があった。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
雍家花園ようかかえんえんじゅや柳は、午過ぎの微風にそよぎながら、この平和な二人の上へ、日の光と影とをふり撒いている。文鳥ぶんちょうはほとんどさえずらない。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
……ほとりには柳やえんじゅのみどりが煙るようだし、亭の脚下きゃっかをのぞけば、蓮池はすいけはちすの花が、さながら袖を舞わす後宮こうきゅうの美人三千といった風情ふぜい
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暗いなかにも目じるしのえんじゅの大樹のかげに隠れて、二人は内の様子をうかがうと、内には女の忍び泣きの声がきこえた。
半七捕物帳:68 二人女房 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
えんじゅの下の大きな水鉢みずばちには、すいれんが水面すいめんにすきまもないくらい、まるけて花が一りんいてる。
(新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
われまことなんじたばかられて、いぬる日人間ひとの家に踏み込み、いた打擲ちょうちゃくされし上に、裏のえんじゅつながれて、明けなば皮もはがれんずるを、この鷲郎に救ひいだされ、危急あやうき命は辛く拾ひつ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
岩と岩に、土橋がかりまして、向うにえんじゅの大きいのが枯れて立ちます。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
所がちょうど去年の秋、やはり松江へ下った帰りに、舟が渭塘いとうのほとりまで来ると、柳やえんじゅに囲まれながら、酒旗しゅきを出した家が一軒見える。
奇遇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
えんじゅの木の下にけてあるという鉄砲を掘り出して、将軍を狙撃するなどという大それたことは、彼には出来なかったのである。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
門をはいると、大きいえんじゅの梢に蝉が鳴いていた。車溜りのそばには一人の若い男がたたずんで、その蝉の声を聴いているらしく見えた。男は千枝太郎であった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
結ひめぐらしたる生垣の穴より、入らんとすれば生憎あやにくに、枳殻からたちの針腹を指すを、かろうじてくぐりつ。声を知るべに忍びよれば。太きえんじゅくくり付けられて、蠢動うごめきゐるは正しくそれなり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
蝦蟆がますなわち牛矣うしきのこすなわち其人也そのひとなり古釣瓶ふるつるべには、そのえんじゅ枝葉しようをしたゝり、みきを絞り、根にそそいで、大樹たいじゅ津液しずくが、づたふ雨の如く、片濁かたにごりしつつなかば澄んで、ひた/\とたたへて居た。あぶらすなわちこれであつた。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
こういって、えんじゅの根がたへ、かがみ加減に身を寄せた人は、ここの家人ではないらしい。しかも兄弟が尊敬している客と見えた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洪大尉の石碣せきけつを開いて一百八の魔君を走らせしも恐らくはこう言う所ならん。霊官殿、玉皇殿、四御殿など、皆えんじゅ合歓ねむの中に金碧燦爛さんらんとしていたり。
北京日記抄 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
官人は不思議に思って、すぐにその跡を付けてゆくと、かれのすがたは門内の大きいえんじゅの下に消えた。
森々しんしんたる日中ひなかの樹林、濃く黒く森に包まれて城の天守は前にそびゆる。茶店ちゃみせの横にも、見上みあげるばかりのえんじゅえのきの暗い影がもみかえでを薄くまじへて、藍緑らんりょくながれ群青ぐんじょうの瀬のある如き、たら/\あがりのこみちがある。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
それというのは、西裏御門の内にある大きなえんじゅの木が、紅葉山もみじやま御文庫の書庫を建てる都合で、ほかへ移し植えられることになったことである。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
えんじゅの根もとに走り寄った敏子は、空気草履くうきぞうり爪立つまだてながら、出来るだけ腕を伸ばして見た。しかし籠を吊した枝には、容易に指さえとどこうとしない。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
旅館の庭には桜のほかに青梧あおぎりえんじゅとを多く栽えてある。せたきりの青い葉はまだ大きい手をひろげないが、古い槐の新しい葉は枝もたわわに伸びて、軽い風にも驚いたようにふるえている。
磯部の若葉 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
森々しんしんたる日中ひなかの樹林、濃く黒く森に包まれて城の天守は前にそびゆる。茶店の横にも、見上るばかりのえんじゅえのきの暗い影がもみかえでを薄くまじえて、藍緑らんりょくながれ群青ぐんじょうの瀬のあるごとき、たらたらあがりのこみちがある。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こと胡弓こきゅうかなでがどこかに聞え、楼畔ろうはんの柳はふかく、門前のえんじゅのかげには、客の乗馬がつないであった。すべてこれ、一ぷく唐山水とうさんすいの絵であった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
バルコンの外のえんじゅの梢は、ひっそりと月光にひたされている。この槐の梢の向う、——幾つかの古池を抱えこんだ、白壁の市街の尽きる所は揚子江ようすこうの水に違いない。
長江游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
旅館の庭には桜のほかに青梧あおぎりえんじゅとを多くえてある。痩せた梧の青い葉はまだ大きい手を拡げないが、古い槐の新しい葉は枝もたわわに伸びて、軽い風にも驚いたようにふるえている。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いらかの黄色い紫禁城を繞った合歓ねむえんじゅの大森林、——誰だ、この森林を都会だなどと言うのは?
雑信一束 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
卯木と元成は、いちど木賃宿きちんへもどった。——そしてひでりの夏の一日も、ようやく冷ややかに暮れ沈んできた頃、また出直して、昼のえんじゅの木の下で、約束の兼好けんこうが来るのを待っていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のちに芥川龍之介氏の「支那游記」をよむと、同氏もここに画舫がぼうをつないで、えんじゅ梧桐ごとうの下で西湖の水をながめながら、同じ飯館の老酒ラオチュウをすすり、生姜煮しょうがにの鯉を食ったとしるされている。
女侠伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
父母は二人ともかげをしながら、水際みずぎわの柳やえんじゅの陰に、その舟を見送っていたのである。
奇遇 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
巨きなえんじゅの木の下に、むしろを延べ、古机をおいて、かたわら扇を売っている若い夫婦者を見たのである。ちょうど、一人の女客が、小扇を買って、何かそれへ書いてでも欲しいように求めていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし少くとも常子だけは半年ばかりたったのち、この誤解に安んずることの出来ぬある新事実に遭遇そうぐうした。それは北京ペキンの柳やえんじゅも黄ばんだ葉を落としはじめる十月のある薄暮はくぼである。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
このベッドを買ったのはある亜米利加アメリカ人のオオクションである。俺はあのオオクションへ行った帰りに租界そかいの並み木のしたを歩いて行った。並み木のえんじゅは花盛りだった。運河の水明みずあかりも美しかった。
馬の脚 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)