山懐やまふところ)” の例文
旧字:山懷
ときに、真先まつさきに、一朶いちださくら靉靆あいたいとして、かすみなか朦朧もうろうたるひかりはなつて、山懐やまふところなびくのが、翌方あけがた明星みやうじやうるやう、巌陰いはかげさつうつつた。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
馬車が、暗い田の中の道を、左へ曲ったと思うと、眼の前に、山懐やまふところにほのめく、湯の街の灯影ほかげが見え始めた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ここ何年にも何十年にも人の踏んだ足痕あしあとらしいものとてもなく、どこまでもただ山懐やまふところ深く分け入ってゆくのであったが、やがて銃をった我らの一隊が歩を停めたのは
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
秋は谿間の紅葉を瞰下みおろす幽邃な地域に、冬は暖かな山懐やまふところに、四季それ/″\の住居を定めて或はパルテノンの俤を模し、鳳凰堂の趣に傚い、或はアルハムブラの様式を学び
金色の死 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼の住んでいる山懐やまふところの傾斜の下まで、海岸伝いに大きな半円を描いた国道に出るのであったが、しかし、その国道を迂廻うかいして帰るのが、彼にとっては何よりも不愉快であった。
木魂 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
次第に水源を尋ねて八瀬やせ・大原の奥のような、わずかな山懐やまふところをもわが小野と満足し、それでまだ足らぬときは嶺を横ぎり、近江おうみに下って住むようになって、後ついに全国の野や原に
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
春靄はるもやが次第に晴れるに連れてすくすくと現われる山や丘の山懐やまふところや中腹から青い煙りの立ち上るのは朝炊あさげの煙りに相違ない。朝炊の煙りの立つからにはそこにも部落はあるのであろう。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一方やや高き丘、花菜の畑と、二三尺なる青麦畠あおむぎばたけ相連あいつらなる。丘のへりに山吹の花咲揃えり。下は一面、山懐やまふところに深く崩れ込みたる窪地くぼちにて、草原くさはら
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
美女たをやめ背後うしろあたる……山懐やまふところに、たゞ一本ひともと古歌こか風情ふぜい桜花さくらばな浅黄あさぎにも黒染すみぞめにも白妙しろたへにもかないで、一重ひとへさつ薄紅うすくれなゐ
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
みちみち可懐なつかし白山はくさんにわかれ、日野ひのみねに迎えられ、やがて、越前の御嶽みたけ山懐やまふところかれた事はいうまでもなかろう。——武生は昔の府中ふちゅうである。
栃の実 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
活花いけばなの稽古の真似もするのがあって、水際、山懐やまふところにいくらもある、山菊、野菊の花も葉も、そこここに乱れていました。
菊あわせ (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
畑中の坂の中途から、巨刹おおでらの峰におわす大観音に詣でる広い道が、松の中をのぼりになる山懐やまふところを高くうねって、枯草葉のこみちが細く分れて、立札の道しるべ。
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
暗夜あんやごと山懐やまふところを、さくらはなるばかり、しろあめそゝぐ。あひだをくわつとかゞやく、電光いなびかり縫目ぬいめからそらやぶつて突出つきだした、坊主ばうずつら物凄ものすさましいものである……
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
もっともこうした山だから、草を分け、いばらを払えば、大抵どの谷戸やとからもじることが出来る……その山懐やまふところ掻分かきわけて、茸狩きのこがりをして遊ぶ。但しそれには時節がやや遅い。
またばかり大蛇おろちうねるやうなさかを、山懐やまふところ突当つきあたつて岩角いはかどまがつて、めぐつてまゐつたが此処こゝのことであまりのみちぢやつたから、参謀本部さんぼうほんぶ絵図面ゑづめんひらいてました。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
田畑を隔てた、桂川かつらがわの瀬の音も、小鼓こつづみに聞えて、一方、なだらかな山懐やまふところに、桜の咲いた里景色さとげしき
若菜のうち (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐やまふところから、つむりへ浴びせて、大きな声で
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
くだんの楓を左の方に低くながめて、右へ折曲おりまがってもう一谷戸ひとやと、雑木の中を奥へ入ろうとする処の、山懐やまふところの土が崩れて、目の下の田までは落ちず、こみちの端に、抜けた岩ごと泥がうずたかかった。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
山懐やまふところに抱かれたおさなひめが、悪道士、邪仙人の魔法で呪はれでもしたやうで、血の牛肉どころか、吉野、竜田の、彩色の菓子、墨絵の落雁らくがんでもついばみさうに、しをらしく、いた/\しい。
玉川の草 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
山懐やまふところのところどころ、一帯に産出する蜜柑みかんの林に射入さしいあさひに、金色こんじきの露暖かなれど、岩の突出つきいでた海の上に臨んでは、みちの下をくぐって、崖の尾花を越す浪に、有明月の影の砕くる
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
姫の紫の褄下つましたに、山懐やまふところの夏草は、ふちのごとく暗く沈み、野茨のばら乱れて白きのみ。
貝の穴に河童の居る事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
眼のふち清々すがすがしく、涼しきかおりつよく薫ると心着く、身は柔かき蒲団ふとんの上にしたり。やや枕をもたげて見る、竹縁ちくえんの障子あけ放して、庭つづきに向いなる山懐やまふところに、緑の草の、ぬれ色青く生茂おいしげりつ。
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
眼のふち清々すがすがしく、涼しきかおりつよく薫ると心着こころづく、身はやわらかき蒲団ふとんの上に臥したり。やや枕をもたげて見る、竹縁ちくえん障子しようじあけはなして、庭つづきに向ひなる山懐やまふところに、緑の草の、ぬれ色青く生茂おいしげりつ。
竜潭譚 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
落葉を透かして、山懐やまふところの小高い処に、まだ戸をさないあかりが見えた。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
背後はいご山懐やまふところに、小屋こやけて材木ざいもくみ、手斧てうなこえる。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
(されば、松の森、杉の林、山懐やまふところの廓のものじゃ。)
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)