)” の例文
いかに秘しても、信玄のは諸国に洩れた。機逸すべからずである。——上杉は急撃して来た。小田原の北条も態度がちがって来た。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時阿遲志貴高日子根あぢしきたかひこねの神まして、天若日子がを弔ひたまふ時に、天よりり到れる天若日子が父、またその妻みな哭きて
風俗ふうぞく派手はででない、をんなこのみ濃厚のうこうではない、かみかざりあかいものはすくなく、みなこゝろするともなく、風土ふうどふくしてるのであらう。
三尺角 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
にいるお富は半蔵の顔を見るにつけても亡き夫のことを思い出すというふうで、襦袢じゅばん袖口そでぐちなぞでしきりに涙をふいていたが
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
の国へ帰りく船と申す如き心地も此夜頃このよごろに深く身に沁みさふらひしか。ピアノの音、蓄音器の声もせず、波のひゞきのみすごげに立ちり申しさふらふ
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
を発したらいいかと、その方法に悩み尽しているところへ、急に先ぶれがあって、大目付添田飛騨守そえだひだのかみの出ばりが告げられる。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
親類朋友などが相はかって本人の名をもって養子をすることがあり、また時としては死後を秘し、本人の生存を装うて養子をすることもある。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
是はいみを黒不浄、月のさわりを赤不浄というに対して、白であろうと事もなげに解する者が多いが、産屋のつつしみを白というべき理由はない。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
すべてにはきりがあります。「死の蔭に」が出で、父の三年のが果てる頃から、私はそろ/\死の蔭を出ました。大正七年は私共夫妻の銀婚です。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
屋敷のうちもにこもったようにひっそりと沈んでいて、どこにも春らしい光りの見えないのがお時の眼についた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三年父母のふところをまぬかれず、ゆえに三年のをつとむるなどは、勘定ずくの差引にて、あまり薄情にはあらずや。
中津留別の書 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
なし七日々々の追善つゐぜん供養くやういと念頃ねんごろとむらひ兄弟にぞこもりける然るに半四郎はかねての孝心ゆゑ親の亡後なきあとは兄の半作を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
堯典に曰く、二十有八さい放勲ほうくんすなわ徂落そらくせり、百姓考妣ふぼするが如くなりき、三年、四海しかい八音はちいん遏密あつみつせりと。孔子曰く、天に二日無く民に二王無しと。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
名残なごり』という俳書が暮秋の句の中に一括して入れているのを見ると、余計そういう風に考えられる。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
近衛このえの兵隊は、音楽をやって、町じゅうねりあるきました。お寺の鐘は鳴りだしますし、お菓子屋のおかみさんたちは、お砂糖人形の黒いのリボンをどけました。
市内に行われていた全ての過去から続く催し物にが発せられ、結婚式の美しい半裸体の夜半の女の背中に機関銃の弾で穴だらけになったソビエットの赤い旗が迫って
地図に出てくる男女 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
すると其処へ須世理姫が、夕餉ゆふげの仕度の出来たことを気がなささうに報じに来た。彼女は近親のを弔ふやうに、何時の間にかまつ白なを夕明りの中に引きずつてゐた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
人民がことごとく服を白くしているとあれば天子のに相違ない。李陵は武帝ぶていほうじたのを知った。北海のほとりいたってこのことを告げたとき、蘇武そぶは南に向かって号哭ごうこくした。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
しかるにそれはどうであろう。質素極まる仮表装で、一点の飾もない白と黒とが、まるで何かのに籠っているように思われる。『蓬莱曲』というのはまさにそんな本であった。
しかもその快活な気分は、母親におけると同じく、最近のはばまれたためさらにつのっていたのである。しかし彼女はもう、家畜ほどにもクリストフを気にかけていなかった。
その當時三杯龍之助が一ヶ月前に老病で急死し、跡取り息子は早世して家を繼ぐ者がなく、死後養子のことでも秘して揉めてゐるといふことがやがて平次の調べで判つて來ました。
太祖の詔、可なることはすなわち可なり、人情には遠し、これより先に洪武十五年こう皇后の崩ずるや、しんしんえん王等皆国に在り、しかれども諸王はしりてけいに至り、礼をえて還れり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
反対に不幸に打たれて、しかもそれに抵抗する気のきわめて少なくなっている忍受の心——できるかぎり何ものとも和らぎたいと願う心、むしろ一種のの感じに近い心で書いている。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
土井は格別兄のにこもる積りはなかつたけれど、そこに閉籠れば閉籠つたで、どこへも出る気はしなかつた。二つの大きな桐胴の火鉢に、炭火がおこされて、湯がいつでも熱沸たぎつてゐた。
(新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
やがて、があけたとき、忠義者のヨハネスはわかい王さまにいいました。
その時奥さんは縁側えんがわに出て手ミシンで縫物ぬいものをしていました。顔は百合ゆりの花のような血の気のない顔、頭の毛はのベールのような黒いかみ、しかして罌粟けしのような赤い毛の帽子ぼうしをかぶっていました。
あの手紙で見ると伯父はありとあらゆるお金を他の親類に讓つて私たちにはの指環を三つ買ふのにリヴァズ家のセント・ジョンとダイアナとメァリーとで分ける爲めの三十ギニイだけを遺して。
そのまま母のにおもむいた。
告げ人 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
重たき繻子しゆす掛布かけふ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
とむらう——と称してきた者をこばむわけにもゆかなかった。魯粛が迎えて対面した。しかし故人周瑜の部下や、呉の諸将も口々に
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人の心が疑わしいのでの船を一つ作つて、御子をその喪の船にお乘せ申し上げて、まず御子は既にお隱れになりましたと言い觸らさしめました。
(十二) 孔子は死後、魯の城北ののほとりに葬られた。弟子皆に服すること三年、相訣あいわかれて去ろうとする時に非常に悲しんで、また留まる者もあった。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
の間は火のやすことをむがところのふうなれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡いろり両側りょうがわすわり、母人ははびとかたわら炭籠すみかごを置き、おりおり炭をぎてありしに
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
お菓子屋さんたちは申しあわせたように、小ぶたのお砂糖人形を黒い、のリボンで巻きました。王さまは、お寺で坊さんたちにまじって、神さまにお祈をささげました。
明治三十八年十二月から菜食をはじめて、明治三十九、四十、四十一、と満三年の精進しょうじん、云わば昔の我に対する三年のをやったようなものだ。以前はダシにも昆布こんぶを使った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
成経 (傍白)まるでのような顔つきをしている。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
虐殺なり、なり。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
残務に当っている一部の者は、極端な劇務げきむわれ、閑役かんやくの者は、門扉もんぴを閉めきって、主君のに服しているほか、なす事もなかった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
から
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
それは、亡き楠木河内守正成の嫡男ちゃくなん正行まさつらだった。先帝のと洩れ聞いて、正行は一族の和田和泉守らとほか数百騎をひきつれてせ参じ
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然る後、時を計って、魏勢の先鋒を追い、退路を開いてから後、初めて、わがを発すれば、おそらく大過なく全軍帰国することを得よう
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
車を護りめぐっている者は、姜維きょうい以下、手に手に鉄槍を持った十数人の大将であり、士気、旗色、どこにも陰々たるの影は見えなかった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただちにを発し、泊中の者は頭巾に喪章もしょうをつけ、また宛子台えんしだいの上には黒い喪旗もきが掲げられ——一山、哀号あいごうのうちに沈みきった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど前夜いらい、尊氏がに服して「魚鳥を口にせず」としていたため、なんとなく、陣中、士気も揚がらないふうだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて公卿たちの腹もさだまり、遺詔いしょうげきと共に、全国の宮方へ通達され、あくまで吉野死守の結束を新たにしていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日、漢中王の名をもって、蜀中には発せられ、成都宮の南門には、関羽を祭る壇が築かれ、そして雪積む冬中も弔旗ちょうきは寒天に凍っていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一時甲州では、ふかくを秘していたが、この秋、隠れもなく知れわたって、甲州の武田信玄の在世は、もう誰も信じるものはなくなっていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分が死んでも、かならずを発してはいけない。必然、司馬懿しばいは好機逸すべからずと、総力を挙げてくるであろうから。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらく信長の後、天下の仕置しおきをなす者は彼ではないでしょうか。……武門には、敵のを討たず、という古言もある。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はじめて、彼が高時の命で上方へ出陣したときは、父貞氏のに会していた。よくよく、出陣祝いにはめぐまれないめぐあわせがつきまとっている。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)