讃岐さぬき)” の例文
一四あしがちる難波なにはて、一五須磨明石の浦ふく風を身に一六しめつも、行々一七讃岐さぬき真尾坂みをざかはやしといふにしばらく一八つゑとどむ。
そののち新院しんいんはおとらわれになって、讃岐さぬきくにながされ、頼長よりながげて途中とちゅうだれがたともしれないられてにました。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
じつにさまざまな人だったが、硫黄いおう島からよび戻された僧の文観もんかんやら、讃岐さぬきの配所にいた宗良むねなが親王などもそのうちのお一人だった。
今年は豆類其他で千円も収入みいりがあろうと云うことであった。細君の阿爺ちゃん遙々はるばる讃岐さぬきから遊びに来て居る。宮崎君の案内で畑を見る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
(竹取翁は姿も声も全く第二幕と同じ讃岐さぬき造麻呂みやつこまろであるが、おきなの「面」をつけている。話し振りは非常にゆっくりと穏かに)
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
かの讃岐さぬきと云う老女は、後に北の方の許へ走って本院の女房になったことまでは分っているが、それきり日記に現れて来ない。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
四国には、犬神のほかにたぬきつきと天狗てんぐつきとがある。例えば、讃岐さぬきのごときは犬神もあるが、むしろ狸つきが多い。しかし狐つきは全くない。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
私などが子取ろといっていた遊びは讃岐さぬきではオトリコトリ、南伊予でウシノコトリというのも同じで、鬼事の一種であった。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
讃岐さぬき阿波あわ土佐とさ伊予いよと、県にすれば香川、徳島、高知、愛媛えひめの順になります。これらの国々は昔は南海道なんかいどうと呼ばれた地方の一部をなします。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
長者の妻もまた讃岐さぬきの国の一の宮としてまつられている。我々はここにも苦しむ神の類型を見ることができるであろう。
人麿が讃岐さぬき狭岑さみね島で溺死者を見て詠んだ長歌の反歌である。今仲多度郡に属し砂弥しゃみ島と云っている。坂出さかいで町から近い。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ただ讃岐さぬきの高松侯わずかに富みたまうとのことにて、近時金七万両を幕府に献じ、大いに賞せらるなどいえりしが、これもまた乏しきを告げたりと聞く。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「本家、讃岐さぬき高松たかまつ千金丹せんきんたん……つて歌って来るじゃないの」そう言って時子は、面白く節をつけて歌って見せた。
大きな蝙蝠傘 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
鰹船の禁物きんもつは第一は遠島船。第二が讃岐さぬき藍玉船あいだまぶね。遠島船にあうと鰹の群来くきが沖へ流れるといって、たいへんに嫌う。藍のほうはむかしから魚には禁物。
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そのころ、もう船乗りになっていた重吉は讃岐さぬきの志度という所へ行って留守であった。海が荒れているので六日の名つけまでには帰れるかどうか分らない。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
播磨はりまと丹波の境、三草山みくさやまを固めておられた由、義経に破られた後は、資盛、有盛、忠房の御三方は播磨の高砂たかさごからご乗船、讃岐さぬきの屋島へ落ちのびられました由
讃岐さぬき琴平ことひらに多くう(『郷土研究』二巻三号、三浦魯一氏報)、『古語拾遺』に、白鶏、白猪、白馬もて御歳みとしの神を祭ると見え、『塩尻』四に〈『地鏡』に曰く
ほんとうの讃岐さぬき造麻呂みやつこまろといふのでしたが、毎日まいにちのように野山のやま竹藪たけやぶにはひつて、たけつて、いろ/\のものつくり、それをあきなふことにしてゐましたので
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
驚くにゃまだはええや、讃岐さぬきでもちったァ名を聞いたろう! おれが、むっつりとあだ名の右門だッ。
尤も越後屋の主人の金兵衞が、今から五年前讃岐さぬき金毘羅こんぴら樣へお詣りに行つた時、志度しどの浦の海女あまだつたのを見染めて、江戸へ連れて來て磨き拔いた女だといふことだがね
久濶きゆうかつのみやげに同志をひきあわせよう」仙介は日焦ひやけのした顔をふり向け、太宰が坐るのを待ちかねたように云った、「こちらは讃岐さぬきの井上文郁、それに長谷川秀之進だ」
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
春めいたうららかな日光の讃岐さぬきの山々に煙っていることもあれば、西風が吹荒れて、海には漁船の影もなくって、北国のような暗澹あんたんたる色を現わしていることもたまにはあった。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬たじま美作みまさか、備前、讃岐さぬきあたりから多くの遍路がくる。
海賊と遍路 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
そこで、大阪と讃岐さぬきの間を往来する金比羅参詣の船へ乗るが好いというので、それへ乗ることにしたが、その船の出る讃岐の丸亀までは三十里近くの陸を行かなければならない。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
駅前の讃岐さぬき屋という旅館へかばんを預けて、昔私が通っていた小学校や、その学校の前から街道続きで、昔の藩主の城跡や、仲間とよく遊んだ老松の海風にえているお城下の海岸や
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
十代に出家され、十八歳で天台座主ざすに就かれたが、翌年北条追討のことがおこり、捕えられて讃岐さぬきへ移されたが、建武の新政のとき、再び都に帰られ、また天台座主にのぼられた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「土佐の国へ御流遷おんるせん……尊澄たかずみ法親王様におかせられましては、讃岐さぬきの国に御流遷……」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
むかし讃岐さぬきの国、高松に丸亀まるがめ屋とて両替屋を営み四国に名高い歴々の大長者、その一子に才兵衛さいべえとて生れ落ちた時から骨太く眼玉めだまはぎょろりとしてただならぬ風貌ふうぼうの男児があったが
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「皇太后御入内後も薫子は特別の御優遇を賜つたが、明治十四年に讃岐さぬきの丸亀において安らかに歿し、その遺蹟は今もなほ残つてゐる」と書かれて居るが、その拠る処をあきらかにしがたい。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
白峯——讃岐さぬきの国白峯にある崇徳院の陵に詣でた西行法師が、ありし日のすがたをあらわした院の亡霊と、初冬の一夜、その生き方について論争し、その怨恨を慰めようとしたはなし。
雨月物語:04 解説 (新字新仮名) / 鵜月洋(著)
鳥羽伏見の戦で、讃岐さぬき高松藩は、もろくも朝敵の汚名を取ってしまった。
仇討禁止令 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
まずいちばんさきに淡路島あわじしまをおこしらえになり、それから伊予いよ讃岐さぬき阿波あわ土佐とさとつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐おきの島、それから、そのじぶん筑紫つくしといった今の九州と、壱岐いき対島つしま
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
私は讃岐さぬきの産れで、国には崇徳上皇の御陵のある白峰という阜陵ふりょうがある、上田秋成の『雨月物語』や、露伴氏の作として、かなり評判のあった『二日物語』は、この白峰に取材がしてあるが、まさか
日本山岳景の特色 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
土佐の海岸どこに立って見ても東西に陸地が両袖を拡げたようになっているから、この附会は附会として興味がある。もしこれがアイヌだとすると、隣国讃岐さぬきは「サンノッケウ」すなわち顎であろう。
土佐の地名 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その郷里は四国の讃岐さぬきで、Aという村である。
こま犬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
讃岐さぬきの国に渡りける時吉備きびの児島の逢崎にて
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
讃岐さぬきの高松、大和の甲斐さん
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
切ったのは、義朝ではないか。敗れて、上皇には讃岐さぬきへ流され、父為義も、朝議で死罪を宣告されるような失敗をしながら、何で今日まで——
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……その名は、讃岐さぬき造麻呂みやつこまろと申した。……ところがある日のこと、そうして竹を取っていると、その中にもと光る竹が一本あるのに気がついたのじゃ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
世の物語に天狗のカゲマとふことありて、ここかしこに勾引こういんさるゝあり。或は妙義山にて行かれてやっことなり、或は讃岐さぬきの杉本坊の客となりしとも云ふ。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
きょうは正月の十日で、金比羅こんぴらまいりの当日、名代の京極きょうごく金比羅、虎の御門そとの京極能登守の上屋敷へ讃岐さぬきから勧請かんじんした金比羅さまがたいへんに繁昌する。
彼にその話をしてくれたのは、多分老女の讃岐さぬきであったか、乳人めのとの衛門であったか、孰方どちらかであろう。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
讃岐さぬき高松の城主生駒壱岐守に、不羈ふき不行跡の数々があったために、その所領十七万石を没収されて、出羽でわの由利矢島に配流された事実は、つい最近のことだったからです。
宿の主人は讃岐さぬきの人で、晩食ばんめしの給仕に出た女中は愛知の者であった。隣室となりまには、先刻さっき馬を頼んで居た北見の農場に帰る男が、客と碁をうって居る。按摩あんまの笛が大道を流して通る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
出たぎりかう便たよりもないゆゑ私しも兄弟きやうだいじやうにて今頃は何國いづくに何をして居けるやら行當り爲撥ばつたりしにはせぬかなどと案じて見たが其後三年ばかり立と不※ふと讃岐さぬきの丸龜より書状しよじやうが屆いたゆゑ夫を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
白峯——讃岐さぬきの国白峯にある崇徳院の陵に詣でた西行法師が、ありし日のすがたをあらわした院の亡霊と、初冬の一夜、その生き方について論争し、その怨恨を慰めようとしたはなし。
お供で行つた鳶頭かしらにおだてられて、草鞋わらぢをはいたついでに、路用もふんだんにあることだし、親の骨を高野山に納めたら、讃岐さぬき金毘羅こんぴら樣に廻つて、嚴島いつくしまにお詣りして、京、大阪を見物して
そのほか讃岐さぬき金比羅こんぴら、大和の大峰など種々の霊怪を唱え、また稲荷いなり、不動、地蔵をまつり、吉凶を問い病を祈り、よって医者の方角をさし示し、あるいは医薬をとどめ死に至らしめ、蛭子えびす
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
舒明天皇が讃岐さぬき安益あや郡に行幸あった時、軍王いくさのおおきみの作った長歌の反歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
備前から四国にわたり、おもに讃岐さぬきにいて、筑紫つくしまで行ったようだ。六十九歳になって再び伊勢に行き、そこから東海道を鎌倉に出て頼朝に謁し、はるか奥州平泉ひらいずみまで藤原秀衡ひでひらに会いに行った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)