蘆荻ろてき)” の例文
放水路の眺望が限りもなくわたくしを喜ばせるのは、蘆荻ろてきと雑草と空との外、何物をも見ぬことである。殆ど人に逢わぬことである。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
瀬田せた長橋ながはし渡る人稀に、蘆荻ろてきいたずらに風にそよぐを見る。江心白帆の一つ二つ。浅きみぎわ簾様すだれようのもの立て廻せるはすなどりのわざなるべし。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
さもなくとも、川は曲りくねって蘆荻ろてきが密生しているから小さな舟は途中で引っ掛ってしまう。到底無事に行徳まで流れて来そうもない。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
又按ずるに芦を荻といふ事至て上古にはいづくにもいひし事也此国にかぎらず詩作などには蘆荻ろてきとつゞけて一物也其余証拠略之
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
この辺りに多い蘆荻ろてきは、数万の兵馬も、ひそやかに包んで、ただ兵站部へいたんぶのけむりのみが、朝夕、おびただしく水郷を煙らせた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蘆荻ろてき埠頭ふとう。——柳の街道。高粱かうりやん畑。夕日。古城壁。——最後に私は巡警の物々しい北京前門停車場で、苦力クウリイの人力車に包囲されてしまつた。
南京六月祭 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
次第に、川楊のしげりや、蘆荻ろてきや、ぐちやぐちやと踏めば動くやちなどがあらはれ出して来た。蛙が何疋となく足元から飛立つて水音を立てた。
ある日の印旛沼 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
その毎日にも何彼なにかと心のさのまぎれることもございましょうが、青い蘆荻ろてきのそよぎばかり見ていては心は毎日滅入めいってしまうばかりでございます。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
よしと、あしとが行手をさえぎる。ちっと方角に迷うた時は、蘆荻ろてき透間すきまをさがして、爪立って、そこから前路を見る。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この淀川のきしをぬってすすむかいどうは舟行しゅうこうには便利だったであろうが蘆荻ろてきのおいしげる入り江や沼地が多くってくがじの旅にはふむきであったかも知れない。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
江岸がなだらになつて川柳が扶疎ふそとして居り、雑樹ざふきがもさ/\となつて居る其末には蘆荻ろてきが茂つて居る。
観画談 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
『葦谷地』といふから、そのあたり一面に蘆荻ろてきの類がしげつてゐて、そこをいろいろの獣類がほしいままに子を連れたりなんかして歩いてゐる有様をも想像することが出来た。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
林を縫って細流が蛇行し、板塀いたべいの外へと流れ出ている。板塀の外は「沼」と呼ばれる湿地で、蘆荻ろてきがまが密生してい、冬になるとかもがんしぎばんなどが集まって来る。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
この笠松はその昔「あし」ととなえた蘆荻ろてきの三角洲で、氾濫する大洪水のたびごとにひたった。この狐狸こり巣窟そうくつあばいて初めてひらいたのがの漂流民だと伝えている。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
南蛮臭い新知識に富んだ物産の学に傾倒したのは勿論、一たび「明朝紫硯」を見るや、忽ち長江の蘆荻ろてきの間に生じた南宋派の画法に心酔したのも少年らしい情熱を語つてゐる。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
第一に、工場が建って、岸に添うて人家もあれば、運送船も多くかかっているが、その頃の寂しさと云ったら無いのであった。それに、川筋も多少違い、蘆荻ろてきの繁茂も非常であった。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
岸の草山の影を宿したり、下流では、晝顏の咲き交る、蘆荻ろてきの洲の傍を流れたりして、城崎の北約一里で、津居山といふ漁村の處で、廣い入江の形となつて、日本海にそそいでゐる。
あるいはヤすなわち蘆荻ろてきの類を叢生そうせいしている所とも説明し得るかも知れぬが、自分はやはり語原の説明の不能なるにもかかわらず、阿原のアが谷地のヤと混同したものと思っている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
休茶屋を出て川の岸近く立って眺めると上高井の山脈、菅平すがだいらの高原、高社山たかしろやま、その他の山々は遠く隠れ、対岸の蘆荻ろてきも枯れ潜み、の形した河心の砂の盛上ったのも雪に埋もれていた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
我好古のまなこもて視るときは、是れ猶いにしへのリリス河にして、其水は蘆荻ろてき叢間の黄濁流をなし、敗將マリウスが殘忍なるズルラに追躡ついせふせられて身を此岸に濳めしも、きのふごとくぞおもはるゝ。
磨き出したような十日月が涓々けんけんと湖上に照り、風は蘆荻ろてきを吹いて長葉を揺らめかす。四辺𨵙げきとして、聞えるものはオールの音のみ。陶は艇首に坐り、首を垂れて一言も言わぬ。俺も言わぬ。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
夕闇ゆうやみ蘆荻ろてき音なく舟きぬ
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
然るに今日に至っては隅田川の沿岸には上流綾瀬あやせの河口から千住せんじゅに至るあたりの沮洳そじょの地にさえ既に蒹葭蘆荻ろてきを見ることが少くなった。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
けれど、やがて町屋川を越えると、そこここの蘆荻ろてきや民家のかげに、昨夜のうちに配置された味方の将士が、かくれていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは川面かわも漣波れんぱに、蘆荻ろてきのそよぎに、昼顔の花に、鳥のさえずりに、ボロ服とボロぐつにあるのではないか。
映画雑感(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
成願寺の森の中の蘆荻ろてきはもう人の肩を没するほどに高くなって、剖葦よしきりが時を得顔えがおにかしましく鳴く。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
進められるままに私は隆太郎と階下したの白い浴室にはいる。何かのつるった窓から、覗くと蘆荻ろてきが見え、河面かめんが見える。白い浴槽の内では、そこで私が河童かっぱの真似をする。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
そして吟じながらふとかんがえたことというのはこの蘆荻ろてきいしげるあたりにもかつては白楽天はくらくてんの琵琶行に似たような情景がいくたびか演ぜられたであろうという一事であった。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
窑台ようだい。三門閣下に昼寝する支那人多し。満目の蘆荻ろてき。中野君の説明によれば、北京の苦力クウリイは炎暑の候だけ皆他省へ出稼ぎに行き、苦力の細君はその間にこの蘆荻の中にて売婬するよし。
北京日記抄 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
蘆荻ろてきの間ばかりにむ小鳥だから、ヨシワラスズメといったのは自然である。
こけつまろびつ走りつづけたウスノロが、ほどなく蘆荻ろてきの生いしげったようなところへ来ると、その蔭からパッと飛び出して、いきなり抱きつくようにウスノロ氏を迎えたものがあります。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
春江しゅんこうの景色に併せて描いた風俗画だナと思って、また段〻にともしびを移して左の方へ行くと、江岸がなだらになって川柳が扶疎ふそとしており、雑樹ぞうきがもさもさとなっているその末には蘆荻ろてきが茂っている。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
之加しかも夜、やや褐いろに近いと思えた目は紛うかたもない藍ばんだ黒さで、両側の長い睫毛まつげおおわれていて、あだかも澄んだ蒼い池のまわりの蘆荻ろてきの茂みのようで、しかもゆっくりした光をもって
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
一筋暗い色に見える雪の中の道には旅人の群が往つたり来たりして居た。荷を積けたそりも曳かれて通る。遠くつゞく河原かはらは一面の白い大海を見るやうで、蘆荻ろてきも、楊柳も、すべて深く隠れてしまつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
湖の蘆荻ろてきようやく枯れんとす
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
その形と蘆荻ろてきの茂りとは、偶然わたくしの眼には仏蘭西フランスの南部を流れるロオン河の急流に、古代の水道アクワデクの断礎の立っている風景を憶い起させた。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
山の麓近くの江から忽然こつぜん喊声かんせいが起った。いつのまにか附近の蘆荻ろてきの陰から無数の小艇があらわれ、呉の精猛が煙のように堤をこえて突貫して来る。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ二隻のランチに一隻ずつ曳かれた私たちの大団平船だんべいぶねが、沿岸に蘆荻ろてきが繁って、遥かの川上に中部樺太の山脈が仰がれ、白樺しらかんば、ポプラ、椴松とどまつ蝦夷松えぞまつの林を左右に眺めて
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
雨催あまもよいの空濁江に映りて、堤下の杭に漣漪れんい寄するも、蘆荻ろてきの声静かなりし昔の様尋ぬるに由なく、渡番小屋わたしばんごやにペンキ塗の広告看板かゝりてはみの打ち払う風流も似合うべくもあらず。
半日ある記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
舟のへさきが蘆荻ろてきの中へ首を突っこみそうになったから、若い船頭は
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
枯葉のことを思うと、冬枯した蘆荻ろてきの果てしなく、目のとどくかぎり立ちつづいた、寂しい河の景色が目に浮んでくる。
枯葉の記 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
河水をわたる風は白く、蕭々しょうしょうと鳴るは蘆荻ろてき翩々へんぺんとはためくは両陣の旌旗せいき。——その間一すじの矢も飛ばなかった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
分流は時に細い早瀬となり、蘆荻ろてきに添い、また長い長い木津きづつつみの並木について走る。堤には風になびく枝垂柳しだれやなぎも見える。純朴な古風の純日本の駅亭もある。そうして昔作むかしづくりの農家。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
編中に插入そうにゅうされた水面の漣波れんぱ、風にそよぐ蘆荻ろてきのモンタージュがあるが、この插入にも一脈の俳諧はいかいがある。この無意味なような插入が最後の「自由」のシーンと照応して生きてくるように思われる。
映画雑感(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
さんざんに討ち破られて、北河の岸まで逃げてくると忽然、河濤かとうは岸をうち、蘆荻ろてきはみな蕭々しょうしょうと死声を呼び、曹仁の前後、見るまに屍山血河しざんけつがと化した。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朝のうち長崎についた船はその日の夕方近くにともづなを解き、次の日の午後ひるすぎには呉淞ウースンの河口に入り、暫く蘆荻ろてきの間に潮待ちをした後、おもむろに上海の埠頭はとばに着いた。
十九の秋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
川におぼれ、土手へいあがる者、それは、蘆荻ろてきひそんでいた伏兵の槍にほふられた。たそがれかけた水面は、流るる破船の火と、血のいろに、赤くなった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
されどここに注意すべきことあり。広重は歌川豊広とよひろの門人にして人物画をもよくしたるにかかはらず、隅田川の風景を描くにさへひて花見の喧騒けんそうを避け、蘆荻ろてき白帆はくはんの閑寂をのみ求めたる事なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ざわめく蘆荻ろてきのあいだから船は早くも離れかけた。帆車がきしる。怪鳥けちょうのつばさのように帆は風をはらむ。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蘆荻ろてきと松の並木との間には海水が深く侵入していると見えて、漁船の帆があし彼方かなたに動いて行く。かくの如き好景は三、四十年前までは、浅草橋場の岸あたりでも常にく眺められたものであろう。
放水路 (新字新仮名) / 永井荷風(著)