蒲公英たんぽぽ)” の例文
……今は槍もある、ナイトでもある、然しクララの前に跪く機会はもうあるまい。ある時は野へ出て蒲公英たんぽぽしべを吹きくらをした。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
青山御所の土手に蒲公英たんぽぽが咲き、濠端の桜が八分通りの見ごろであった。電車に、揃いの花簪はなかんざしと手拭をつけた田舎の見物人が乗り合せた。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
すみればかりは関東の野の方が種類も多く、色もずっとあざやかなように思われるが、蒲公英たんぽぽもまた紫雲英げんげも、花がやや少なくかつ色がさびしい。
私たちも一面に蒲公英たんぽぽ土筆つくしの生えている堤の斜面に腰を下して、橋の袂の掛茶屋で買ったあんパンをかたみに食べた。私たちもまだおさなかった。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
土筆つくし蒲公英たんぽぽの岡の邊や、街道の馬糞や、路傍の切れ草鞋から、陽炎の立つ柔らかな日の光の下で種々の香が蒸し出される。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
春はすみれ、蒲公英たんぽぽが何時の間にか黙って咲いて居る。夏は白い山百合が香る。蛇が墓石の間を縫うてのたくる。秋には自然生の秋明菊しゅうめいぎくが咲く。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
枕許には桃色ピンクのシェエドを被うたスタンド・ランプが仄かな灯を放ち、薄汚ない壁には、わたしゃあなたにホーレン草、どうぞ嫁菜になり蒲公英たんぽぽ
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
大分熱は下つて來た、七度の赤い線をまん中にして、青い鉛筆の跡が、ちようど蒲公英たんぽぽの葉の線のやうに延びて行く。
輝ける朝 (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
堤の若草にまじって黄色く咲いた蒲公英たんぽぽの花の上へ、蜜蜂が飛んできてとまった。何と遅々たる春日だろう。
みやこ鳥 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
季節は春、時は夕、丘は青草の香高く、坐するほとりにすみれ蒲公英たんぽぽも咲いていたであろう。脚下には夕暮れのガリラヤ湖が、さざなみも立てずして鏡よりも静かである。
まるで女と申していいでしょうか、それとも童子といっていいでしょうか? お色の白さは蒲公英たんぽぽくきから出る乳のようで、弱々しくて優しいお色でございました。
あじゃり (新字新仮名) / 室生犀星(著)
やがていろんな色がごっちゃになって、こんがらがってしまう、蒲公英たんぽぽがちゃらちゃらと鳴ったり、橇の鈴やすみれが雪のなかで花を開いたり。そしてあなたは眠ります。
少年・春 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
野はだんだん暖かくなって、菜の花が咲き、すみれが咲き、蒲公英たんぽぽが咲き、桃の花が咲き、桜が咲いた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
中で柳模様は好んでえがかれた画題であって、その変化が多い。この外えらばれた画はあるいは撫子なでしこ、あるいは桐、または竹、鶴、ふじ蒲公英たんぽぽ菖蒲あやめ、あるいは波、文字等。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
重く垂れていた雲は次第に雲切れがして青空があらわれ、五、六寸も伸びた麦畑の上では雲雀ひばり長閑のどかに囀り、路傍にはすみれ蒲公英たんぽぽ草木瓜くさぼけ、などが咲いて、春は地上に遍かった。
春の大方山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ライラックがそのろうたけた紫の花房と香とで畑のあぜを飾り、林檎が田舎娘のような可憐な薄紅色の蕾を武骨な枝に処せまきまで装い、すみれ蒲公英たんぽぽが荒土を玉座のようにし
フランセスの顔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
かつては蒲公英たんぽぽの莖を噛みながら、ひとり物思ひに耽つて徘徊した野川の畔に、今も尚白いすみれが咲くだらうか。そして古き日の娘たちが、今でも尚故郷の家に居るだらうか。
宿命 (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
唐草からくさ模様の敷蒲団の上は、何時の間にか柏木の田圃たんぼ側のようにも思われて、蒲公英たんぽぽが黄な花を持ち、地梨が紅く咲いた草土手を枕にして、青麦を渡る風に髪をなぶらせながら
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それからすみれ蒲公英たんぽぽ桔梗ききょう女郎花おみなえしきく……一年生ねんせい草花くさばなせいは、いずれもみな小供こども姿すがたをしたものばかり、形態なり小柄こがらで、のさめるようないろ模様もよう衣裳いしょうをつけてりました。
堤の両側はひら一面の草原で、その草の青々とした間からすみれ、蒲公英たんぽぽ蓮華草れんげそうなどの花が春風にほらほら首をふッていると、それを面白がッてだか、蝶が翩々へんぺんと飛んでいる。
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
ふきとうは土を破り、紫のすみれは匂いを発し、蒲公英たんぽぽの花は手を開き、桜草は蜂を呼んでいた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すみれは相撲取花といひて、花と花とうち違ひ、それを引ききりて首のもげたるよと笑ふなり。蒲公英たんぽぽなどちひさく黄なる花は総て心行かず、ただゲンゲンの花をたぐひなき物に思へり。
わが幼時の美感 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
雪解の水で湿しめっているところへ、信濃金梅しなのきんばいの、黄色な花の大輪が、春の野に見る蒲公英たんぽぽのように咲いている、アルプスの高山植物を、代表しているところから、アルプスの旅客が
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
或はまた風にあがつて青空の中に見失はれてゆく蒲公英たんぽぽの綿毛、さういふ軽微な微妙なものも、また重々しい大輪の日まはりの花や、はじめにのべた柘榴の花の強烈な色彩と同じく
柘榴の花 (新字旧仮名) / 三好達治(著)
蒲公英たんぽぽの咲く川堤かわどてに並んで腰を打ちかけ、お宮の背後うしろから揚る雲雀ひばりの声を聞きながら、銀之丞が腰のふくべと盃を取出せば、千六は恥かしながら背負うて来た風呂敷包みの割籠わりごを開いて
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「別に見るところといっちゃありゃしませんけれど、それでも田舎はよござんすよ。蓮華れんげ蒲公英たんぽぽが咲いて……野良のらのポカポカする時分の摘み草なんか、真実ほんとに面白うござんすよ。」
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
崩れた棟瓦むながわらの間から春になると蒲公英たんぽぽが咲きました。どうせ持主も改築するつもりで、うっちゃって置いたのでしょう。その親方は非常に健脚で、遠路を短時間に走るのが自慢でした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
土手には田芹たぜりふきが満ちて、蒲公英たんぽぽはまだ盛りに、目に幻のあの白い小さな車が自動車の輪に競って飛んだ。いま、そのかえりがけを道草を、ざるに洗って、縁に近く晩の卓子台を囲んでいたが
遺稿:02 遺稿 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すみれ蒲公英たんぽぽのような春草はるくさ桔梗ききょう女郎花おみなえしのような秋草にも劣らず私は雑草を好む。閑地あきちに繁る雑草、屋根に生ずる雑草、道路のほとりどぶふちに生ずる雑草を愛する。閑地は即ち雑草の花園である。
奈良へいたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英たんぽぽなずなのような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
べらぼうめ! と、こいつは、あのじんくせで、——西行さいぎょうとか芭蕉ばしょうとかいう男みてえに、尾花おばな蒲公英たんぽぽにばかり野糞のぐそをしてフラフラ生きているような人間になって、ほんとの、生きた陶器が作れるかい。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南町の私の家を差覗く人は、薊や蒲公英たんぽぽの生えた舊い土藏づくりの朽ちかゝつた屋根の下に、澁い店格子を透いて、銘酒を滿たした五つの朱塗の樽と、同じ色の桝のいくつかに目を留めるであらう。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
優雅な蒲公英たんぽぽ可憐かれんな赤まま草を、罌粟けし撫子なでしこ優劣ゆうれつをつけたろう。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
野中の二岐路ふたまたみちに咲く黄色の蒲公英たんぽぽ
展望 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
蒲公英たんぽぽですか」と手に取る。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
まだ北風の寒い頃、子を負った跣足はだしの女の子が、小目籠めかいと庖刀を持って、せり嫁菜よめななずな野蒜のびるよもぎ蒲公英たんぽぽなぞ摘みに来る。紫雲英れんげそうが咲く。蛙が鳴く。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
昨夕ゆうべと今朝とではほとんど十五度以上も違うようである。道傍みちばたに、たった一つ蒲公英たんぽぽが咲いている。もったいないほど奇麗な色だ。これも獰猛とはまるで釣り合ない。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
氏はまた蒲公英たんぽぽ少しと、ふきおくとを採ってくれた。双方そうほう共に苦いが、蕗の芽はことに苦い。しかしいずれもごく少許しょうきょを味噌と共に味わえば、酒客好しゅかくごのみのものであった。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
春風馬堤曲に歌われた藪入やぶいりの少女は、こうした蕪村の詩情において、蒲公英たんぽぽの咲く野景と共に、永く残ったイメージの恋人であったろう。彼の詩の結句に引いた太祇たいぎの句。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
春の草ではすみれがただ一種だけになって、蒲公英たんぽぽはもう疾くに姿を消している。そうしておかしいことには今生えようとしている草は、大抵たいていは主人が名を知らぬものばかりである。
すみれだの蒲公英たんぽぽだのよりも、その他の何よりも、菜の花に執着を持つ、少年の時代から、この花が好きで、野外遠足は、菜の花の多そうなところを選んで歩いたものだ、今でも春の景色と云うと
菜の花 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
富士あざみの紫の花が、花冠を低く水へ垂れ、姿鏡を写していた。燃え立つような草牡丹は、柳蒲公英たんぽぽの黄金色の花と、肩を並べて咲いていた。そうして小さい一匹の羽虫が、雌蕊しずいを分けて飛び出した。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そこには金子の牧場があり、牛の乳をしぼっていたが、銀子はよくそこで蒲公英たんぽぽすみれを摘んだものだが、ブリキの乳搾りからそっと乳をぬすんでみ、からの時は牛の乳からじかに口呑みに呑んだりもした。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
蒲公英たんぽぽの黄に蕗の花の白きを踏みつゝ慣れし其足何ぞ野獸の如き
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
蒲公英たんぽぽや葉を下草に咲て居る 秋瓜しゅうか
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
白髪頭しらがあたま蒲公英たんぽぽ
どんたく:絵入り小唄集 (新字旧仮名) / 竹久夢二(著)
花は兎に角、吾儕われら附近あたりは自然の食物には極めて貧しい処である。せり少々、嫁菜よめな少々、蒲公英たんぽぽ少々、野蒜のびる少々、ふきとうが唯三つ四つ、穫物えものは此れっきりであった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
しばらくは路がたいらで、右は雑木山ぞうきやま、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英たんぽぽを踏みつける。のこぎりのような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色なたまを擁護している。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
たとえば千葉県では上総かずさの各郡にわたって、蒲公英たんぽぽをニガナという方言が行われている。以前春の野の草を野菜として摘んでいた頃には、確かに苦いということがこの植物の特徴であったろう。
蒲公英たんぽぽの咲く長堤を逍遥しょうようするのは、蕪村の最も好んだリリシズムであるが、しかも都会の旗亭きていにつとめて、春情学び得たる浪花風流なにわぶりの少女と道連れになり、喃々戯語なんなんけごかわして春光の下を歩いた記憶は
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)