)” の例文
思へば内府の思顧の侍、其數を知らざる内に、世を捨てし瀧口の此期このごに及びて君の御役に立たん事、生前しやうぜん面目めんぼく此上このうへや候べき。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
やよ清盛、そもそも、ごへんは、刑部忠盛ぎょうぶただもり嫡子ちゃくしであったが、十四、五の頃まで出仕にもならず、京童きょうわらんべは、高平太たかへいたの、すがめのといっておった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
午前観たカテドラルのもとを今一度徘徊してヷン・ダイクの宅の前の店でエスカウト河の帆掛ぶねの景色をいた小さな陶器を買つて居ると
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
何事なにごと外國人ぐわいこくじんせつ妄信まうしんする日本人にほんじんは、これをいておほいに感服かんふくしたもので、識見しきけん高邁かうまいせうせられた岡倉をかくらかくごときも
日本建築の発達と地震 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
我楽多文庫がらくたぶんこ第五期だいごきる、表画ひやうぐわ穂庵翁すゐあんおうの筆で文昌星ぶんしやうせいでした、これさき廃刊はいかんした号を追つて、二十二がうまで出して
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
僕達のイギリス文学科の先生は、ロオレンス先生なり、先生は一日いちじつ僕を路上にとらへ、娓々びび数千言を述べられてやまず。
その頃の赤門生活 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
桶狭間の勇士の井伊直盛の所領を望んだり、更に甚しくは義元の愛妾だった菊鶴と云う女を秘かに妻にしたりしながら国政に当ると云うのだから
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
大通り散策地の黒田伯の銅像の前を横切る時、忍びに忍んでゐた灰色のおほ空から、今年初めての白い物がおほきな花がたになつてぽと/\と落ちて來た。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
洋海は終に溢れて大地を包まず、冉々ぜん/\として行暮する人世、遂に新なるを知らず、又たなるを知らず。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
ただ幸いなことには岩倉市郎君の努力によって、彼の故郷の喜界島きかいじま沖永良部島おきのえらぶじまとの昔話集が世に残り、奄美大島あまみおおしまの村々の昔話も、一部分だけは保存することができて
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
捜査課長の幾野氏の惨死ざんし事件を考えてみるのに、あれは赤外線男なら勿論もちろん出来ることであるが、それと同時にあの部屋にいた人間にも出来ることではないかと思いかえしてみた。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
克勤の民意をかくの如くなりしかば、事をること三年にして、戸口増倍し、一郡饒足じょうそくし、男女怡々いいとして生をたのしみしという。克勤愚菴ぐあんと号す。宋濂そうれん愚庵先生方公墓銘文ほうこうぼめいぶんあり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
……柳川春葉やながはしゆんえふと、わたしとが編輯へんしふたづさはつてた、春陽堂しゆんやうだう新小説しんせうせつ社會欄しやくわいらん記事きじとして、中京ちうきやう觀察くわんさつくために、名古屋なごや派遣はけんといふのを、主幹しゆかんだつた宙外ちうぐわいさんからうけたまはつたときであつた。
火の用心の事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
みね發掘はつくつかたまへに、如何どうしても飯田東皐君いひだとうくわうくんとの關係くわんけいかたらねばならぬ。
、政宗公の血統にて、十五歳以上になる者を改めて願い出るがよかろう。
じつ横山健堂よこやまけんどう氏より伊藤公に関する趣味しゅみ多きはなしを聞いた。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
劉表りゅうひょう嫡子ちゃくしとして、玄徳はあくまで琦君を立ててきたが、生来多病の劉琦は、ついに襄陽じょうよう城中でまだ若いのに長逝した。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佛壇の正面には内府の靈位を安置しあるに、維盛卿も重景も、是れはとばかりに拜伏し、共に祈念をらしける。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
橋川正君の日本仏教文化史の研究に、常陸ひたち鹿島かしまの弥勒の船の踊歌おどりうたを、このいわゆる弥勒二年の私年号と、関係のある現象だろうと説かれたのは、注意すべき一つの見解であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
すなは新著百種しんちよひやくしゆ出版元しゆつぱんもとです、第二は文学士ぶんがくし高田早苗たかださなゑくんわたし読売新聞よみうりしんぶんすゝめられた、第三は春陽堂しゆんやうどうの主人和田篤太郎わだとくたらうくんわたしの新聞に出した小説をかなら出版しゆつぱんした人、吉岡君よしをかくんが来て
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
くして四ごろ發掘はつくつめ、同邸どうていし、公爵こうしやく汽車きしやにて歸京ききやうせられ、博士はかせ水谷氏みづたにしとは、とも權現臺ごんげんだい遺跡ゐせきまはり、それから、わが太古遺物陳列所たいこゐぶつちんれつじよ立寄たちよつて、飯田氏いひだし採集品さいしふひんを一けん
読者どくしやるや、とんさんと芥川あくたがは……あゝ、面影おもかげえる)さんが、しか今年ことしぐわつ東北とうほくたびしたときうみわたつて、函館はこだてまづしい洋食店やうしよくてんで、とんさんが、オムレツをふくんで、あゝ、うまい、とたん
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「——おおこれは」見ると、少納言信西しんぜいの息子、浄憲法師じょうけんほうしという、才子で、人あたりがよくて、そして院のうちの切れ者といわるる人物だった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年にもあらで老い給ひし御面に、内府の俤あるも哀れなり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
「呉主孫権の名代として、劉表りゅうひょうとむらうと称し、重臣魯粛ろしゅくと申される方の船が、いま江頭に着きました」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど、嵐山も大堰川おおいがわもとうに花は散ったあとだし、めくらに新緑をずる風流気はなかろうし、だいいち、征夷大将軍尊氏がこうじてから今日はまだ八日目なのである。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平良持公たいらのよしもちこう、尊霊
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)