いたず)” の例文
先生は各人が自分の個性を伸ばしてゆくことを望まれて、いたずらに先生の真似をするが如きことはかえって苦々しく感じられたであろう。
西田先生のことども (新字新仮名) / 三木清(著)
人々の単なる主張をいたずらに強いことばで宣伝し、ややもすればそのことばその主張にみずから陶酔するようなことがあってはならぬ。
海賊には恨まれるかも知れぬけれど、これ丈けの財宝を、いたずらに埋もれさせて置くのは意味のないことだ。よしよし、それに極めた。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彼等はこれを知らずして只いたずらに天を仰いで空しく世道人心の頽廃を浩歎こうたんしているのであります。思い切って鼻を往来の塵に埋めて
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
わたくしはまだそのあとにいうべき事をもっていた。けれども奥さんからいたずらに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いたずらに恋愛の泥濘でいねい悶踠もがいているにすぎない彼に絶望していたが、下手にそむけば、逗子事件の失敗を繰り返すにすぎないのであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
此他にビブリオターフと云うのがあるが、ターフとは墓の義で、唯いたずらに読みもせぬ書物を買って積んで置くのを楽しむやからである。
愛書癖 (新字新仮名) / 辰野隆(著)
古来そのために無数の鶏、無数の犬、無数の人間がいたずらに尊い血を流した、——宿命的にあらゆる物を狂気にさせる声援を与えた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
同時に一兵たりといたずらに損ずべからざる御直臣じきしんの兵をば、より有為なときに備えておかねばなるまいと愚考いたした次第にござりまする。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うっかりしたら、お守役もりやくわたくしまでが、あの昂奮こうふんうずなかまれて、いたずらにいたり、うらんだりすることになったかもれませぬ。
青年わかものを見てあざ笑う。青年は太刀の柄をすてて、更に弦の切れたる弓を取りしが、容易にかかり得ず、いたずらに睨みいるのみ。)
蟹満寺縁起 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いたずらに器を美のために作るなら、用にも堪えず美にも堪えぬ。用に即さずば工藝の美はあり得ない。これが工藝に潜む不動の法則である。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
炬燵こたつからもぐり出て、土間へ下りて橋がかりからそこをのぞくと、三ツの水道口みずぐち、残らず三条みすじの水が一齊いちどきにざっとそそいで、いたずらに流れていた。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いたずらに、秘呪と称せられるのみにて、ここに十六代、代々よよ、扶持せられて安穏に送るほか、何一つとして、功を立てたことはござりませぬ
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
父の茶道はもとよりしかるべきやぶうちの宗匠について仕上げをしていたのであるが、しかも父の強い個性はいたずらな風流を欲しなかった。
食事をることも、睡ることも、息をすることまで、何もかも困難になる。この幼い切ない魂はいたずらに反転しながら泣号する。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
高崎松平も、大多喜松平も、どう間違っても、丸に立波の紋を掲げるはずはないのだから、ここでいたずらに当惑するのも無理がないと見える。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
頭の上には知らぬ顔をしている大都市を持ちながら、いたずらに助けを呼び、歯をくいしばり、もだえ、もがき、苦しむのである。
大佐たいさよ、わたくしすでこのしま仲間なかまとなつたいまは、貴下等あなたがた毎日まいにち/\の勞苦らうくをば、いたずらに傍觀ぼうくわんしてるにしのびません、んでもよい。
それはあたかもかの仏蘭西フランスの植木家の手になるピラミツド形、車輪形或は花環形の奇異なる草木をいたずらに連想せしむるのみで
婦人解放の悲劇 (新字旧仮名) / エマ・ゴールドマン(著)
共産主義者などはいたずらに枝葉の空論をふりまく前に、ずこの人性の根本的な実相に就て問題を展開する必要があった筈だ。
咢堂小論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
いたずらな豪奢ごうしゃのうすら冷い触覚と、着物に対する甘美な魅惑とが引き浪のあとに残る潮の響鳴のように、私の女ごころをつ。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
法水は、とうてい聴くことは出来ぬと思われた、この神秘楽団の演奏に接することは出来たけれども、彼はいたずらに陶酔のみはしていなかった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
若「アヽ此の比翼ぢらしもいたずら事になったか、怨めしい、それほど不実の人とは知らず、つとめうち一夜でもほかの客へはかわさぬ枕」
ゆえにこの間に結ばるる夢はいたずらに疲労ひろうせる身体のまぼろしすなわちことわざにいう五ぞうわずらいでなく、精神的営養物となるものと思う。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
この文学の光、文化の芽をどういう理由で僕達の手で又葬るべきだと云うのか。だが僕はこれのために又いたずらに感傷的になって云うのでもない。
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
オ手紙ノコトハ勿論斯波君ニハ云イマセンカラ安心シテイラッシャイ。いたずラニ悲シミヲ増サセルニ過ギナイノナラ知ラセルノハ無駄ナノダカラ。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いたずらに田を耕し畑に種を蒔いたのみでその甲斐はなく、秋の忙しい苅入れ時には何もする事がなく、全くの、前代未聞の災難が起ったのである。
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
そら、狸だというので逃げ出す。大小をした奴は、刀の反りを打ってくうにらんで通る。随分悪いいたずらをしたものさね。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
申砬の如きは眼中に日本軍なく、暴慢で到る処でいたずらに人を斬って威を示す有様なので、地方官は大いに怖れてその待遇は大臣以上であったと云う。
碧蹄館の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
さて家に帰ってやって見るに一向竹にもならず、いたずらに紙屑かみくずを製造する。退屈はとうとう私に絵というものは思ったより憂鬱なものだと感じさせた。
いたずらに物事に驚かず、よきものとしきものの区別を知り、あらゆるものの価値を正当に批判し、しかもなお熱情をもってよきものを喜ぶ大人の眼が
大人の眼と子供の眼 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
ただあの文章はいくらか書き様に善くない処があっていたずらに人を罵詈ばりしたように聞こえたのは甚だ面白くなかった。
病牀苦語 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
また芝の正眼寺へかよって禅もまなんでみた。けれどもやはり彼女には縁の遠いもので、どちらもいたずらに煩瑣はんさであり、空疎なものにしか思えなかった。
菊千代抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
まるで彼は、このような前代未聞の話にいての何らかの意見を、その煙管から吸い出そうとでもしたものらしいが、いたずらに雁首が唸るだけであった。
天気は極めてよく、私達は、高く澄んだ蒼空の下に雪に覆われて長が長がと、その空につづく氷河の麓に、いたずらに点ぜられた、黒子ほくろのように思われる。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
「黙られい! いたずらに大言壮語——オッ、そういうお手前は、笠間氏じゃな、うわさによると、お手前は鎧兜よろいかぶとを着してしんかれるということじゃが」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
かくして、カラタール氏等を載せた臨時列車の紛失事件が未解決のままに、今年までいたずらに八年の歳月が流れた。
待っている間、机の上に置いてあった硯箱を明けて、巻紙にいたずら書きをしていた処であったから机のむこうに来ると
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
私は復古癖の人のように、いたずらに言語の純粋性を主張して、いて古き言語や語法によって今日の思想を言い表そうとするものに同意することはできない。
国語の自在性 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
良いということが徹底的で、容易に他の力に惑わされない。織物のことを知っている、紙のことを知っている。それはただいたずらに立派であってもいけない。
書道と茶道 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
この都会のよどんでカスばかり溜った小路をあるきながら、例によって何等なんらの感銘もなく、ただいたずらに歩行するだけの毎夜の疲労にとぼとぼ歩いていたとき
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
四囲あたりの人々がどうあろうと、そんな判別もつかぬらしく、ただいたずらにその眼は執念しつこく女の屍体に注がれていた。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あのとうとかりし我熱情の、いたずらに消耗された事を思い嘆くあまりの、焦燥から来た我執とみなければなるまい。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
自分で一人前の生活もできないのに、いたずらに人を罵るなぞは、あまり感心できないと、彼は考えたのである。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それはいたずらな謙遜というわけでもなく、実はそれが神経的に、そして更に迷信的にかなわぬというのであった。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
氷雨ひさめに似たようなものであれば、これはいたずらに、今までの積雪の表面に余計な硬皮クラストをかぶせるだけの役にしか立たないから、折角の舞台を滅茶々々にされて
踊る地平線:11 白い謝肉祭 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
かくの如くして啓示なるものは、いたずらに宗派的論争の用具と化し、古経典は、空しく各自の気に入った武器を引張り出す為めの、兵器庫の観を呈してしまった。
それは個性の要求が必至的につくり出した見方であって、いたずらなる権力が如何ともすべからざる一個の権威である。一時は権力をもって圧倒することも出来よう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
こういう場合に処すべき修養と訓練とをそれまでから欠いていたために、どうすれば好いか、全く策のずる所を知らないでいたずらに狼狽ろうばいして右往左往する者と
激動の中を行く (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)