宿しゅく)” の例文
「はい、鳥沢の宿しゅくまで、父と一緒に参りまして、私だけ先へ帰って来ましたので、ちょっとあそこへ寄って、用を頼んでおりました」
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はなはだ恐縮ですが、中納言ちゅうなごん様の御通行は来春のようにうけたまわります。当宿しゅくではどんな心じたくをいたしたものでしょうか。」
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ここはいずれの宿しゅくか知れないが、旅籠屋はたごやには違いない。旅籠屋とすれば、この女は宿のおかみさんか、そうでなければ女中であろう。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
川崎の宿しゅくで駕籠をかえて、大森へさしかかった時に、お峰は近所の子供へ土産をやるのだといって名物の麦わら細工などを買った。
経帷子の秘密 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私の生れたうまや新道、または、小伝馬町こでんまちょう大伝馬おおでんま町、馬喰ばくろ町、鞍掛橋くらかけばし旅籠はたご町などは、旧江戸宿しゅく伝馬てんま駅送に関係がある名です。
漸々だん/\大宮の宿しゅくを離れて、桶川おけがわを通り過ぎ、こうの手前の左は桑畠で、右手の方は杉山の林になって居ります処までまいりました。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
この宿しゅくの遊女の墓に夜ごとに訪れてくる老狐の話——なんでもその墓にひとりでにひびが入って、ちょうど刀傷のように痛いたしく見えた
雪の上の足跡 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
新井あらい宿しゅくより小出雲坂おいずもざかおいずの坂とも呼ぶのが何となく嬉しかった。名に三本木の駅路うまやじと聴いては連理のの今は片木かたきなるを怨みもした。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
知れると面倒だから、次の宿しゅくまで、おいでなさいって因果を含めて、……その時せば可かったのに、湯に入ったのが悪かった。
第二菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
もう一つこんな御話があります。東京近傍の在ですが、ある宿しゅくに一軒の荒物屋がありまして、荒物屋の向うに反物屋がありましたそうで。
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
雷門に向って右が吾妻橋あずまばし、橋と門との間が花川戸、花川戸を通り抜けるとやま宿しゅくで、それから山谷さんや、例の山谷堀のある所です。
関ヶ原の戦後、昌幸父子は、高野山のふもと九度禿かむろ宿しゅくに引退す。この時、発明した内職が、真田紐であると云うが……昌幸六十七歳にて死す。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
これらの非人部落を普通に「宿しゅく」と云った。当時大和には五十七宿あって、それが奈良坂の長吏の下に属していたのであった。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
あちらの二人は、往来する人たちにも気がつかないとみえ、肩を寄せあったまま、なにか話しながら歩きだし、宿しゅくのほうへと去っていった。
榎物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
松陰神社で旧知きゅうちの世田ヶ谷往還を世田ヶ谷宿しゅくのはずれまで歩き、交番に聞いて、地蔵尊じぞうそんの道しるべから北へ里道に切れ込んだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「……何はともあれこのままにては不本意に存じまするゆえ、御迷惑ながら小田原の宿しゅくまで、お伴仰せ付けられまして……」
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
囂囂囂ごうごうごうとそのつり橋を渡ってまた右折する。兼山かねやま宿しゅくである。と風光はすばらしく一変する。爽快爽快、今来た峡谷の上の高台がむこうになる。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
この人の説明によると旧幕の頃には三島とか沼津とかという宿しゅくには本陣ほんじんといって、大名の泊る宿屋が必ず二軒あったそうだ。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
土手八丁どてはっちょうをぶらりぶらりと行尽ゆきつくして、山谷堀さんやぼり彼方かなたから吹いて来る朝寒あさざむの川風に懐手ふところでしたわが肌の移香うつりがいながらやま宿しゅくの方へと曲ったが
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
とにかく、急に臆病風に誘われて、定めた駕籠賃ももらわずに、山の宿しゅくの方へ一散に逃げ出してしまったという話——。
芭蕉のような孤独の境界きょうがいにいる人が、秋の夕暮旅に在りてまだ宿しゅくにもつかず、これからまたとうげを一つ越さねば宿がないというような場合の心持は
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
都へ行くのが遠ければ、麓の坂本の宿しゅくへ降りても、女人を見ることは出来るそうな。たった半日上人の眼を掠めれば、まろの望みは遂げられるのだ。
二人の稚児 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
お前の縹緻きりょうへ目をかけて、付け狙っている悪い奴らが、宿しゅくの中にも二、三人はいる。そいつアお前も知ってる筈だ。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
やま宿しゅく、金龍山下瓦町(広小路の「北東仲町」をいま「北仲町」といっているように、そこもいまは「金龍山瓦町」とのみ手間をかけないでいっている)
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
成田の祇園会ぎおんえを八日で切上げ九日を大手住おおてずみ宿しゅくの親類方で遊びほうけた小物師の与惣次が、商売道具を振分ふりわけにして掃部かもんの宿へかかったのは昨十日そぼそぼ暮れ
「目ざした先はまさしくあずまじゃ。今より急いで追わばどこぞの宿しゅくで会うやも知れぬが、いずれの藩士共かな」
取手とって宿しゅくの安孫子屋にいるだるまで名はお蔦、越中八尾やつおの生れで二十四になる女だとはっきりいっておやり。
一本刀土俵入 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
ある日の夕べ、遠江とおとうみ池田いけだ宿しゅくに泊ることとなり、その日は宿の長者、熊野ゆやの娘、侍従の許に宿をとった。
二十八宿しゅくの名をことごとくそらんじていながら実物ほんものを見分けることのできぬ俺と比べて、なんという相異だろう! 目に一丁字いっていじのないこのさるの前にいるときほど
布川の宿しゅくという所の利根川べりに空家を見つけて、両親と私達小さい者がそこに移り住むことになった。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三左衛門主従はその晩は山のふもとへ宿をとり、翌晩は藤沢ふじさわあたりに泊り、その翌日金沢へまで帰ってみると、宿しゅくの入口に江戸のやしきから来た家臣が二三人待っていた。
竈の中の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それは、やま宿しゅくというのは、隅田川に沿った細長い町で、そこの隅田川寄りにある小山田家は、当然大川の流れに接していなければならないということであった。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
秩父ちちぶ町から志賀坂峠を越えて、上州神ヶ原の宿しゅくに出ると、街を貫いて、ほこりっぽい赤土あかつち道が流れている。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「ヴェルノン、ヴェルノン宿しゅく、ヴェルノンで降りる方!」そして中尉のテオデュールは目をさました。
法然ほうねん様がある時むろ宿しゅくにお泊まりあそばしたとき、一人の遊女が道をたずねて来たことがある。そのとき法然様はどんなにねんごろに法を説き聞かせなすったろう。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
すると、伝馬はどうしたのか、急に取舵とりかじをとって、みよしを桜とは反対の山の宿しゅく河岸かしに向けはじめた。
ひょっとこ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その恰好かっこうが夜目にも何となく昔の宿しゅくの宿屋を思わせるものだったので、思い切って前の硝子戸ガラスどをあけてみた。戸にはかぎがかかっていなくて簡単にあいて、中に広い土間がある。
I駅の一夜 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
しぶしぶ丹三郎を連れて国元を出発したが、京を過ぎて東路あずまじをくだり、草津くさつ宿しゅくに着いた頃には、そろそろ丹三郎、皆の足手まといになっていた。だいいち、ひどく朝寝坊だ。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
見おろす目の下に、旧道いの坂本さかもと宿しゅくが、きらきらと緑の美しい六月の光を吸って、音無しの村のように静まっている。時の観念から遊離した仙郷せんきょうとでもいたい眺めだった。
浴槽 (新字新仮名) / 大坪砂男(著)
雨が降っても風が吹いてもお艶ちゃんは山の宿しゅくへ、今松は駒形堂のそばの鶴助の家へ。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
で、一つの入江の浪打際を過ぎて丘を越ゆると思いもかけぬ鼻先はなさきに碇泊中の帆柱がゆらりゆらりと揺れていると云った具合だ。宿しゅく出外ではずれた所に御乗浜と呼ばれた大きな入江がある。
みなかみ紀行 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
芳太郎は金を持ち出して行くと、宿しゅくの方へ入り浸って、二日も三日も帰らなかった。お庄が来てからも、新婦にいよめの仕打ちに癇癪かんしゃくを起して、夜中に家を飛び出すこともめずらしくなかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
さてこれから船見峠ふなみとうげ大雲取おおくもとりを越えて小口こぐち宿しゅくまで行こうとするのであるが、僕に行けるかどうかという懸念があるくらいであった。那智権現なちごんげんに参拝し、今度の行程について祈願をした。
遍路 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
この檜原の宿しゅくとても、土地の人から聞くと、つい昨年までは、その眼の前に見える湖の下にあったものが、当時、上から替地かえちを、元の山宿やましゅくであった絶項の峠の上にあたる、この地に貰って
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
あれからお咲坊にやる飴ば買いに宿しゅくまで一走り行ったで、そんでおそくなった。
斬られの仙太 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
あい宿しゅくとまでもいい難きところなれど、幸にして高からねど楼あり涼風を領すべく、うまからねど酒あり微酔を買うべきに、まして膳の上には荒川のあゆを得たれば、小酌しょうしゃくに疲れを休めて快く眠る。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
播磨はりまくに加古かこ宿しゅくに、丈部左門はせべさもんという学者がいた。清貧にあまんじて、日夜親しむ書物のほかは、身のまわりの諸道具類などわずらわしいといって、万事簡素に暮らしていた。年老いた母があった。
Kは九八丁へだたった昔からの宿しゅくであった。
海浜一日 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
宿しゅくでは十八人ずつの夜番が交替に出て、街道から裏道までを警戒した。祈祷きとうのためと言って村の代参を名古屋の熱田あつた神社へも送った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼は、冷たいゆかの上へ、仰向けに倒れて、輾転てんてんともがき廻った。——保土ヶ谷の宿しゅくで聞えた尺八の鈴慕れいぼが耳のなかによみがえってくる。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)