刷毛はけ)” の例文
朝食のあとすぐ、家扶の木下老人に細川紙を出して貰い、版木やばれんや色壺や皿や刷毛はけなどをそろえ、用部屋で罫紙を刷りに掛った。
恋の伝七郎 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
串にさした三角の蒟蒻こんにゃく里芋の三つ差し、湯煮にしたのをさい箸で挟み出し、小さな瓶に仕込んだ味噌を刷毛はけでたっぷり塗ってくれる。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
「如才はございません」と懐からバレンと刷毛はけを取出して見せたといふ。紀友主人の感じていふ。さすが名人は違つてゐます、と。
砂がき (旧字旧仮名) / 竹久夢二(著)
床板はちょうど塗り上がったばかりのところで、部屋のまんなかには小さなおけと、ペンキと刷毛はけのはいった欠け皿が置いてあった。
墨壺すみつぼ刷毛はけを浸し、独特の料理と同じく独特の文字を知っていたので、表の壁に次のような注目すべき文句を即座に書き記した。
その中に、ポケットから刷毛はけを出して、手帳を裂いた紙の上へ何か床の上から掃き寄せていたが、大事そうにそれを取上げて私に示した。
琥珀のパイプ (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
山の中腹の、黒々とした松林の下には、春の一刷毛はけあざやかに、仄紅色ほのくれなゐの霞の帶、梅に櫻をこき交ぜて、公園の花は今を盛りなのである。
漂泊 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
田町たまちから馬道うまみちにつづいた家も土蔵ももう一面の白い刷毛はけをなすられて、待乳まつちの森はいつもよりもひときわ浮きあがって白かった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
水兵たちの口惜しがる声を聞きながら、青木大佐は、壁に向ってペンキの刷毛はけを動かした。悲しい最後の言葉を書きつけるのだ。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
... ジャガ芋で包んでよくらして玉子の黄身を刷毛はけで塗ってバターを中匙一杯位中央まんなかへ載せておいてテンピで二十分ほど焼くのです」玉江嬢
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
「さう? でもうちぢや小供こどもがないから、夫程それほどでもなくつてよ」とこたへた御米およねのりふくました刷毛はけつてとん/\とんとさんうへわたした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ときはたには刷毛はけさきでかすつたやうむぎ小麥こむぎほのか青味あをみたもつてる。それからふゆまた百姓ひやくしやうをしてさびしいそとからもつぱうちちからいたさせる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
さすがに死の色彩を一と刷毛はけ加えて、やや蝋化された感じですが、寝具から抜出した上半身の美しさは、何にたとえるものがあるでしょう。
松山の坐っていた場所については特に注意を払い、布をひっぱったり、びょうをはずしたり、刷毛はけほこりをあつめて紙包をいくつも作ったりした。
麻雀殺人事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
母親は叔父の着換えなどを、そっと奥から取り出して来て、そこへ脱ぎ棄てられた白足袋の赭土あかつちを、早速刷毛はけで落しなどした。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
刷毛はけでつけた頬紅を、脱脂綿でまたほのぼのとふきとり、上唇の濃いルージュを、下唇に移して、油性のクリームで光らせる。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それは筆ぐらいの太さの木の枝を切って、その先をナイフでメチャメチャに切りさいた上、そこを石でたたいて、刷毛はけのようにする方法です。
新宝島 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
つづいて刷毛はけを使ってみたりたぼをいじってみたり、どこまで行ってこの奥方ごっこに飽きるのだか、ほとほと留度とめどがわからないのであります。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
刷毛はけいたようなゆみなりになったひろはま……のたりのたりとおともなく岸辺きしべせる真青まっさおうみみず……薄絹うすぎぬひろげたような
お妙が奈良漬にほうとなった、顔がほてると洗ったので、小芳が刷毛はけを持って、さっとお化粧つくりを直すと、お蔦がぐい、と櫛をいて一歯入れる。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いそいで来たものらしく、おしろいの刷毛はけがよくとどかない地だけが茶がちな顔のいろを出して、そこだけ妙に禿げたようにつるつるしていた。
香爐を盗む (新字新仮名) / 室生犀星(著)
八ヶ岳よりの、黒い一刷毛はけの層雲の間から、一条の金色をした光が落ちていて、それは、瀑布をかけたような壮観だった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
この野の末にも、ついに、その限りはここにあるのだ——と、巨大な画匠が一刷毛はけ、さッと軽く筆をすべらせたのである。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
オルガの唇が参木の顔の全面を、刷毛はけのように這い廻った。すると、彼女は立ち上ってベッドの皺をぽんぽんと叩いた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
やがて一刷毛はけ、黄の勝った一団の緑となるまで、日々微妙な変化を示しながら、色の深さを増して行くのは、朝晩眺め尽しても飽きない景色である。
寺町 (新字新仮名) / 岩本素白(著)
商売道具の細長い刷毛はけで赫っ毛のチビが台をたたいてる。後は日の照りつけるクレムリンの壁だ。鉄柵との間に狭い公園があって、青草が茂っている。
ズラかった信吉 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そしてこの部屋には洗面の道具も備つてゐたし、私の髮を梳づる爲めに櫛や刷毛はけも置いてあつた。ものうい手で五分おき位に休み乍ら私は身を整へ了つた。
これなどはただ自分の名をいろいろと小札こふだに印刷して、それをできるだけ多くの堂宮どうみやの戸や柱にはってあるくだけで、刷毛はけのついた継竿つぎざおなどを用意して
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
事のついでにもう一刷毛はけこの男と碩学との問答を写しておいて私もこの長物語の筆を結ぶことにしようと考える。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
あたりをみると、いつか夕暮ゆうぐれらしい色が、森や草にはっていた。こずえにすいてみえる空の色も、たん刷毛はけでたたいたように、まだらなべにまっている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
即ちわずかに刷毛はけついでに書きなぐったような人物を叮嚀に取扱って、御客様にも本尊様にもして、そして一篇なり一部なりを成して居る傾きがあります。
寛永寺のからすより近い処にビッシェール、ロート。顔のここらへちょっと一刷毛はけ、どうですこの色は新しいね。トラヽイラヽララー、絵具の払いはいつでもよい。
二科狂想行進曲 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
をけから上つて来る自分を掴へ石鹸を塗り小判型の刷毛はけで擦り始め自分は体量十五貫ある体格検査でも上の部だが側に相撲取りが寄ると誠に見栄えが無くなる。
相撲の稽古 (新字旧仮名) / 岡本一平(著)
湯からあがると縁側の蒲筵かまむしろの上に鏡台が出してあつて、化粧役の別家べつけの娘が眉刷毛はけを水で絞つて待つて居た。
住吉祭 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
その魂には一と刷毛はけの化粧もほどこされてはゐなかつた。だが、俺自身を見るがいゝ。俺も亦さうなのだらうと考へると、夏川は何よりもわが身が切なかつた。
母の上京 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
彼は細い刷毛はけを以て、金線細工の小箱から少しばかりの頬紅を取った。それは聖僧の遺骸を収める箱の雛形とも云うべき形をして、蓋には十字架がついていた。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
とうと、皇后の宮はある朝御自分で刷毛はけをもつてそのごみを払ひ落とされた。ごみはすぐに見えなくなつた。
ザアッ——と、刷毛はけではいたようなにわか雨でした。空も川も一面がしぶきにけむって、そのしぶきが波をうちながら、はやてのように空から空へ走っていくのです。
それから彼は死骸と棺の上に聖水をふりかけて、その上に聖水の刷毛はけをもって十字を切りました。
やわらかい毛の大きな刷毛はけで、なんどもこすり、次に、白い粉をふりかけ、それを白ネルのきれき、それから、また白い粉をふりかけたり、刷毛でこすったりして、さいごに
市郎の店 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
花ごとに仕える特使が派遣せられ、うさぎの毛で作ったやわらかい刷毛はけでその葉を洗うのであった。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
近い森や道や畠は名残りなく暮れても、遠い山々のいただきはまだ明るかった。浅間の煙が刷毛はけではいたように夕焼けの空になびいて、その末がぼかしたように広くひろがり渡った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
この時露月はようやく最後の一刷毛はけを入れてわれながら、満足したように画面を眺めましたが、やがて疲れ切ったように絵筆をぽんとほうり出して、うめくようにつぶやきました。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
車台へ登ると蹴込みに敷いてある獅子ししの毛皮のようなもじゃもじゃした布の上に「つぁらっ」と擦れる音がして、新らしい後歯がかすかに刷毛はけでのべた様な赤土のあとをつけた。
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
……あなたの筆には、まごころがこもって、じつにすっきりして、新鮮で、おまけに健康なユーモアがあるわ。……あなたはほんの一刷毛はけで、人物や風景のカン所が出せるのね。
相良玄鶯院さがらげんおういんは、熊手を休めて腰をたたいた。ついでに鼠甲斐絹ねずみかいき袖無着ちゃんちゃんこの背を伸ばして、空を仰ぐ。刷毛はけで引いたような一抹いちまつの雲が、南風みなみを受けて、うごくともなく流れている。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
九月の四日に文治に拳骨でり倒されまして、目が覚めたようになってしきりにかせいで、此の長家ながやへ越して来たと見えて、夜具縞やぐじま褞袍どてらを着て、刷毛はけを下げまして帰って来まして
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
けれどもまた四五日して、森文房具店の息子が(おそらく中学校の上級生であろう)母親から刷毛はけで制服の背中を払ってもらっている登校姿を見かけた時には、私は心を弱くした。
安い頭 (新字新仮名) / 小山清(著)
石榴ざくろの花と百日紅ひゃくじつこうとは燃えるような強い色彩を午後ひるすぎの炎天にかがやかし、眠むそうな薄色の合歓ねむの花はぼやけたべに刷毛はけをば植込うえごみの蔭なる夕方の微風そよかぜにゆすぶっている。単調な蝉の歌。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
晩に、どこかへ大隊長が出かけて行く、すると彼は、靴をみがき、軍服に刷毛はけをかけ、防寒具をそろえて、なおその上、わずか三厘ほどのびている髯をあたってやらなければならなかった。
(新字新仮名) / 黒島伝治(著)