ひやや)” の例文
小親きて、泣く泣く小六の枕頭まくらもとにその恐しきこと語りし時、かれ剛愎ごうふくなる、ただひややかに笑いしが、われわれはいかに悲しかりしぞ。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
身のまわりの空気はたちまち話に聞く中世紀の修道院モナステールの中もかくやとばかり、氷の如くひややかに鏡の如く透明に沈静したように思われました。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そうして単なるひややかな批判者としてではなく、出来るならば少しでも感激の相槌あいづちを以て、彼等に力附けたいとも思うのであります。
健三の心には細君の言葉に耳をかたぶける余裕がなかった。彼は自分に不自然なひややかさに対して腹立たしいほどの苦痛を感じていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ひややかな秋の日の午後、とりとめもなく彼女が斯ういう思いに耽っている時、一人の青年が来て水際に出した腰掛の上に休んだ。
湖水と彼等 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
(白い衣物を着た女は、また窓から、白い花弁を眠れる旅人の上にふり撒く。)心地よく、ひややかに、この旅人は眠るだろう。
日没の幻影 (新字新仮名) / 小川未明(著)
いかにも傍観者の言いそうなひややかな言葉である。苦艱くかんにある友にむかって発する第一語において、かく訶詰かきつの態度を取るは冷刻れいこくといわねばならぬ。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
わたしの心はひややかであった。何の感動もない数分間が過ぎた、そして、わたしは唯、母の歔欷すすりなく声を聞いただけであった。
三等郵便局 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
そこから土のにおいや枯草の匂や水の匂がひややかに流れこんで来なかったなら、ようやく咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも
蜜柑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
中二 (ひややかに。)今のおやじの眼には、どんなひきがえるを見ても青く見えるでしょう。三本足にも見えるでしょうよ。
青蛙神 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これが文三の近来最も傷心な事、半夜夢覚めてともしびひややかなる時、おもうてこの事に到れば、つね悵然ちょうぜんとして太息たいそくせられる。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
夢なら覚めよと祈ったが、覚めるどころか、扉の隙間は見る見る拡がって、その向うから、吹き込むひややかな夜気と共に、真黒な夜がバアと覗いている。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
如何いかに答へんとさへ惑へるに、かたはらには貫一の益なじらんと待つよと思へば、身はしぼらるるやうに迫来せまりくる息のひまを、得もはれずひややかなる汗の流れ流れぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
省三はしゃがんでその水を細君さいくんの口の傍へ持って往った。細君はその茶碗をひややかな眼で見たなりで口を開けなかった。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
われなんじひややかにもあらず熱くもあらざることを爾のわざによりて知れりわれ爾が冷かなるかあるいは熱からんことを願う——弟はゆうべ床で読んだ聖書の句を
青草 (新字新仮名) / 十一谷義三郎(著)
川上は浜田屋へ呼びよせられて来てみると、養母と奴とはひややかなすごい目の色で迎えた。三人が三つがなえになると奴は不意に、まげの根から黒髪をふっつと断って
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
晴着のない魂に、然し、私はただひややかな鬼の目で、歴史というもの、人間の実相の歩いた跡を読んでいた。
魔の退屈 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
そうしたら受ける身も授ける身も今までのようにひややかになっていないで、いたる処生きた人間に逢われよう。
外は秋らしいひややかな風が吹いて、往来を通る人の姿や、店屋々々のあかりが、厭に滅入って寂しく見えた。浜屋や鶴さんのことが、物悲しげに想い出されたりした。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
筆とりてひとかどのこと論ずる仲間ほど世の中の義捐ぎえんなどいふ事にひややかなりと候ひしあざけりは、私ひそかにわれらにかかはりなきやうの心地ここち致しても聞きをり候ひき。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
自分でも意想外にひややかな顔をし、なぜか気むずかしさが加わったが、いつの間にか私は顔を紅くそめた。
童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
激しいパッションがやや沈まって行った後では、それと反対なひややかな心持が来て彼の胸の中で戦った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのあたりの射るようにあかるい灯火のいろがわたしには全くかけかまいのないようにひややかだった。
春深く (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
岡村はいやひややかな笑いをして予を正面に見たが、鈍い彼が目は再び茶ぶだいの上に落ちてる。
浜菊 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
そして益々自己を偶像化さうとした。しかも、時には偶像としての自己を壇上に置いて私達をひややかに見降さうとする矯飾的態度さへ現した。その態度を私達は冷笑したかつた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
ひややかな歴史の眼から見れば、彼らは無政府主義者を殺して、かえって局面開展の地を作った一種の恩人とも見られよう。吉田に対する井伊をやったつもりでいるかも知れぬ。
謀叛論(草稿) (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
乞食を咏んだ句は随分あるけれども、大概それを余所よそから興味を以て眺めたり、ひややかに眺めたりする句ばかりで、一茶のように深い同情を以てそれに対した句は滅多にない。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
踏む足に縁のひややかさを感じ、寐転んで畳の冷かさを感ずる類は、必ずしも異とするに足らぬが、耳を掘る耳掻の冷たさは、けだし俳人の擅場ともいうべき微妙な感覚である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
盲目にその運命に従うとうよりは、むしひややかにその運命を批判した。熱い主観の情と冷めたい客観の批判とがり合せた糸のように固く結び着けられて、一種異様の心の状態を呈した。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
吾妻のワナ/\とふるへるかほを、川地課長はひややかにながめて「其のざまは何だ、吾妻、貴様も年の若いに似合はず役に立つ男と思つて居たが、案外の臆病だナ、其れでも警察の飯を食つて居るのか」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
またおりふし夢野の神はしのびやかにきてひややかな私の眠りをいろいろの絵筆に彩ってゆく。それらのことを私は日にちこまごまと日記につけておく。これはこの島に隠れて島守しまもりの織る曼陀羅まんだらである。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
かえって時代と共にその種は増し、質は豊富にせられていたのです。特に徳川期のなかばにおいて、日本の民藝品はその絶頂に達したかの感があります。なぜその時代の茶人達がそれにひややかであったか。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
と言って苦しそうな嘆息をもらし、ひややかな、あざけるような語気で
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
と修一はひややかに答へ、そして、ちらつと寿枝の頭を見ると
六白金星 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
あはれ、さはひややけき世の沈黙しじま恐怖おそれかげ
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
老博士が叫ぶと、怪老人は、ひややかに笑って
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
隣人はひややかな態度であえて答えなかった。
遺産 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
室はひややかに、澄んでゐる。動かぬ。
(新字旧仮名) / 高祖保(著)
ひややかに見ているのではあるまいか。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
巴里パリーの墓地に立つ悲しいシープレーの樹を見るような真黒まっくろな杉の立木に、木陰の空気はことさらに湿って、ひややかに人の肌をさす。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
くだんの婦人は落着払い、そのひややかなる眼色めつきにて、ずらりと四辺あたりを見廻しつ、「さっさとしないか。おい、お天道様は性急せっかちだっさ。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その云い方が少しひややか過ぎたせいか、母は何だかいやな顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
唯継は彼のものいふ花の姿、温き玉のかたち一向ひたぶるよろこぶ余に、ひややかにむなしうつはいだくに異らざる妻を擁して、ほとんど憎むべきまでに得意のおとがひづるなりき。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
のみならず更に幸福だつたことには——或はこれも不幸だつたことには彼もいざとなつて見ると、ひややかに3と別れることは出来ない心もちに陥つてゐた。
貝殻 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
女はれに窓から顔を出して夕空を覗うことがあるけれど、それがために何物をか恋い、憧がれてほっと顔を赤くするようなことがない。ただひややかに笑った。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
ただ俯向うつむいて呼吸いきを呑んでいると、貴婦人はひややかに笑って又彼方あなた向直むきなおるかと思う間もなく、室内は再びくらくなっての姿も消え失せた、夢でない、幻影まぼろしでない
画工と幽霊 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
◯この怨語を聴きたる三友は、ヨブを以て神をそしる不信の徒となしたのである。そしてすべてかかる語を傍よりひややかに批評する者は、彼らと思を同じうするほかはない。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
するとその山のれいは、いばりもしなければへりくだりもしないで、岩の中からひややかに答えました。
コーカサスの禿鷹 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
院長はまたひややかに云った。先輩の眼は金盥かなだらいに往った。先輩の熱した頭はややめかけていた。
雨夜草紙 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
だが、君は、私の情熱が燃え立てば燃え立つ程、益々ますますひややかになって行った。私を避け、私を恐れ、遂には私を憎んだ。君は恋人から憎まれた男の心持を察しることが出来るか。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)