)” の例文
けれどもお邪魔にあがつて一二時間費し、門を辞する時には、まことに安楽な、何かにたされたやうな心持になるのが常であつた。
露伴先生 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
江戸の噂の種を掻き集めて歩く八五郎は、生れながらの新聞記者で、好意と惡戯いたづらつ氣と、好奇心と洒落つ氣にち溢れてをりました。
不愉快にちた人生をとぼとぼ辿たどりつつある私は、自分のいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一旦則重を鼻缺けにして彼の奇態な性慾的興味がたされてしまうと、今度は見せかけの野望が次第にほんとうの野望にまで成長し
ただおのれの義務と思うことを為した以上は、勝とうが負けようが、おのれの関するところでないとの考えがちていたように思われる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
夫人が、訪ねて来たのだ! そう思ったときに、信一郎の心は、はげしく打ちたたかれた。当惑と、ある恐怖とが、胸一杯にち満ちた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
強欲、残忍、吝嗇りんしょく佞奸ねいかん、あらゆる悪評を冷視して一代に蓄えてきた金銀財宝、倉につる財貨は、いったいどうなったことやらと?
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遊牧の民族は子孫の益々ますます多きを加うるに従って、従来の狭小なる土地に生活し十分に食をたすことを得ずして、草原に走って行った。
そこの主人はこの町の三等郵便局に十何年勤続して、月給わずかに五拾円じゅうえん、盆暮れの手当てが各々おのおの二拾円にたないという身の上であった。
毒草 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
莊重さうちような修道院の建物と、またそこにみなぎる美しくも清らかな空氣とをいろいろに空想し思ひ描く一種の敬虔けいけんな氣持が滿ちてゐた。
処女作の思い出 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
しかもわたしは自分のうちに、大きいたされないものがありました。神の恵みは、わたしには与えられないように思われました。
そして私は、私がなぜ海や空を眺めていると一日ねころんでいてもち足りていられるか、少年の頃の思い出、その原因が分ってきた。
石の思い (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
そうした宗教的反省こそ、私どもにいちばん大切な心構えだと思います。次に愛語とは、情のこもった、慈愛にちた言葉づかいです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
でも見渡す限りのこの不破の古関のあとの、庭にも、やぶにも、畠にも、爽涼そうりょうたる初秋の気がちて、悪気の揺ぐ影は少しもありません。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
時は九月の中旬、残暑はまだえ難く暑いが、空には既に清涼の秋気がち渡って、深いみどりの色が際立きわだって人の感情を動かした。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
げ功成った一代の英雄や成功者が、老後に幾人のめかけを持っても、おそらくその心境には、常にちない蕭条しょうじょうたるものがあるであろう。
老年と人生 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
このいもなかりせば国内の食物はつとに尽きて、今のごとく人口のあふれる前に、外へ出て生活のたつきを求めずにはいられなかったろう。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私の胸中は、まだ憤懣ふんまんちてゐた。私はそれを訴へたい為に、広小路の方まで歩くと云ふK君としばらく一緒に歩くことにした。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
爾後じごうるときは鉄丸をくらい、かっするときは銅汁を飲んで、岩窟がんくつの中に封じられたまま、贖罪しょくざいの期のちるのを待たねばならなかった。
幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸にちているのではあるまいか。
人生論ノート (新字新仮名) / 三木清(著)
日は青々とした空に低くただよッて、射す影も蒼ざめて冷やかになり、照るとはなくただジミな水色のぼかしを見るように四方にちわたった。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
同時に椅子に腰をかけたまま左手をズーッと白くさし伸ばして背後の書物棚から青い液体をたした酒瓶とグラスを取出した。
けむりを吐かぬ煙突 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
地獄變相へんざうの圖の樣な景色が出來ても是非に及ばないが、何人にも詩人的情緒は有るから、生氣にちた青々あを/\とした山々の間に
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
「俺は元来うつろの人間で人からたされる性分だ。おまえは中身だけの人間で、人を充たすように出来てる。やっと判った」
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その時の美妙の返事は敗残者の卑下した文体で、勝誇った寵児ちょうじのプライドにちた昔の面影は微塵も見られないで惻隠そくいんに堪えられなかった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
女は広巳の気もちをこわばらさないように勤めているように見えた。広巳は一杯の酒をけた。すると少女がもう後をたした。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
いつもならばまっに充血して、精力にち満ちて眠りながら働いているように見える倉地も、その朝は目の周囲に死色をさえしていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その忙しげな動作は躊躇にちて危うげだったが、やがて、エリーゼの楽譜に眼を据えると、指はたしかな音を弾いていた。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
折節おりふし地震がゆった、その地震もそう烈しい地震ではなかった、野沢の水は春になって一面にち溢れているというのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
また深い穴にいつも毒ガスちいて入り来る人を殺す。それを不思議がる余り、バシリスクの所為と信じたのだと説いたは道理ありというべし。
ものがた良人おっとほうでも、うわべはしきりにこらこらえてりながら、頭脳あたま内部なか矢張やはりありしむかし幻影げんえいちているのがよくわかるのでした。
「人として」のボオドレエルはあらゆる精神病院にち満ちている。ただ「悪のはな」や「小さい散文詩」は一度も彼らの手に成ったことはない。
十本の針 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
人間世界の文化があまり発達し過ぎてしまう頃には、沢山の組織とあり余った規則とうるさい儀礼とでこの世の中はたされてしまう事である。
油絵新技法 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
しかしそういう時でも、質をたすものでない限り、量だけでは買わぬ。ただ、数多く集めるとなると量が表に出て、質は裏に廻されてしまう。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そこで達夫等はこれを帰省詩嚢を刻する資にてたのださうである。これは「文化丁丑冬井毅識」と署した序の略である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ああ、あの花のようにかがやきにち、あの広葉のようにお心広く、おやさしくいらっしゃる天皇を、どうして私はおしたわしく思わないでいられよう
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
しかし五月の花のように、幸福にあふれた葉子を見ると、鉛のように重い彼の心にも何かはずみが出て来るのであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかし粛然たる静謐せいひつな空気が全堂宇どううちわたり、これこそ彼が願望したすべてであったとう印象を消し難く残した
ロード・ラザフォード (新字新仮名) / 石原純(著)
どことはなしに生じる人望というものの、子供にも大人にも通じて、無形の間にエーテルのようにちていることを。
光り合ういのち (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「それ神はまったき人を棄て給わず……(汝もし神に帰らば)つい哂笑わらいをもて汝の口をたし歓喜よろこびを汝の唇に置き給わん」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
そして彼女は、私がそばにいるのでひどく曖昧あいまいにされたような好意にちた眼ざしで、その男の方を見つめていた。少くとも私にはそんな気がした。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
一門の人々、思顧のさむらひは言ふも更なり、都も鄙もおしなべて、いたしまざるはなく、町家は商を休み、農夫は業を廢して哀號あいがうこゑ到る處にちぬ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
そして見たところなんの醜悪しゅうあくなところは一点もこれなく、まったく美点にちている。まず花弁かべんの色がわが眼をきつける、花香かこうがわが鼻をつ。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
暗い雲がおもてをよぎり、眼にちた輝きを消してしまったように思われました。セエラは激しく息を吸いこんだので、声も妙に悲しく、低くなりました。
生白い男体に僧衣をまとってのろいに来たのだが、お前の一念がこの鐘を鋳上げたばかりに、己の指の爪という爪にもありがたい仏身の力がち満ちて
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
それがどんなものであるかという不安でたまらないうちにもいいがたい楽しみにちた期待をもって待つ心でいた。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
とり巻いている。オリンポスの平安に満ちちた静かな大きい眼をしてる彫像、それの魂を私は今もっている……。
そうした時、私は物を言う必要がなかった。父は私の眼差まなざしから私の願いを知って、それをたしてくれたから。
確かに彼らは、ただ単純に、神秘なる力の根源としての仏像を礼拝し、彼らの無邪気なる要求——現世の幸福——のたされんことを祈ったに相違ない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
はげしい動作によって、身うちにち満ちているものをおどろかしはせぬかと、それが心配でならなかったように……。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)