上方かみがた)” の例文
みちばたで声のするように、こうした上方かみがた女郎衆の輸送は、三日にあげず通った。もちろん流れてゆく先は、新開発の江戸表である。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仮令たとい又私が奮発して、幕府なり上方かみがたなり何でも都合のい方に飛出すとした処が、人の下流について仕事をすることはもとより出来ず
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
家康に従ってはいるが、もし家康が信長へ加勢として上方かみがたにでも遠征したら、その明巣あきすに遠州を掠取かすめとらんと云うはらもないではない。
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
……上方かみがたのお客が宵寐よいねが覚めて、退屈さにもう一風呂と、お出かけなさる障子際へ、すらすらと廊下を通って、大島屋のお桂様が。
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
きよすのおしろへもおい/\上方かみがたから知らせがまいりまして、まあともかくもひとあんしんとみな/\よろこんでおられましたが
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これは上方かみがた式にったのであろうが、東京の劇場内でいわゆる“女給”なるものを採用したのは、ここが新しい記録レコードといってよい。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
主人は上方かみがたへ出張して目下不在中である。その留守宅へ、これらの連中は江戸の東西南北を遠しとせずして、定刻にほぼ集まっている。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
勿々なか/\世話にも成難なりがたく如何はせんと思ひし折柄をりから竹本君太夫と云ふ淨瑠璃語じやうるりかたり金七が上方かみがたに在りし頃よりの知己ちかづきにて火事見舞に來りしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
花を毎日取りかえる者があり、銀座裏の上方かみがた料理のうまい家から、凝りに凝った料理を作らせては老人にとどけるものもあった。
仲々死なぬ彼奴 (新字新仮名) / 海野十三(著)
おひろの家へ行ってみると、久しく見なかったおひろの姉のお絹が、上方かみがた風の長火鉢ながひばちの傍にいて、薄暗いなかにほの白いその顔が見えた。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
お狩場の四郎が上方かみがたへ逃げたと言い触らして、実は房州の山の中へ逃げ込み、それから間もなく病気になって、去年の秋死んでしまった。
お前はどうだ? かねて上方かみがたではだいぶ大石殿のお世話になったというが、まさかお前がその一味に加担しているようなことはあるまいな
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
栄さんは息抜きをするために上方かみがたのほうへいっているなんて、さもさも本当らしく云ってあたしを安心させようとしていたんです
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
自分は上方かみがたから帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、あによめについては、いまだかつて一言も彼に告げたためしがなかった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それを思うと、上方かみがた地方に住んで、朝夕を採り立ての苺を食べ馴れている人達は、滅多に土地を離れて、天国にも旅立ちが出来ないわけだ。
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
それから上方かみがたに縁の薄いお父さんと僕に至っては小川さんの案内で又汽車に揺られ電車に乗り換えてこの東天下茶屋ひがしてんかじゃやのお宅へ厄介になった。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
東叡山を削平さくへいして、不忍しのばずの池を埋めると意気込み、西洋人の忠告によって思いとまった日本人は、其功利の理想を盛に上方かみがたに実行して居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
三座の新狂言名題読しんきょうげんなだいよみの日で、猿若町は上方かみがた役者の乗りこみで、夜っぴてひっくりかえるような騒ぎ、市村座でも、太夫元から役者、狂言方
尤も長崎から上方かみがたに来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名が見えるから天和てんな貞享じょうきょう頃には最う上方じんに賞翫されていたものと見える。
その月の上旬に上方かみがたには騒動が起こったとか、新帝が比叡山ひえいざんへ行幸の途中鳳輦ほうれんを奪い奉ったものがあらわれたとかのたぐいだ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
けれども、結局にはそれが禍いとなって、あろうことか正室薄雪うすゆきかたが、上方かみがた役者里虹と道ならぬつまを重ねたのである。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それは氏郷が関白に従って征戦を上方かみがたやなんぞで励んで居た頃、即ち小田原陣前の事であろうが、或時松倉権助という士が蒲生家に仕官を望んだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
生菓子なまがし蒸菓子むしがしというような名まえは、上方かみがたから西の子どもは知らなかった。餅菓子もちがしというと餅と菓子と、二つをならべたもののように思っていた。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
今でも「穢多の水上みなかみ」と云われた上方かみがた地方から、広く四国・九州・東海・東山・北陸地方まで、文字知らぬ爺さん婆さんは大抵エッタと云っている。
「エタ」名義考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
何処をどうさがしても江戸ツ子らしいスツキリしたところがない。どうしても商売上手な勘定高くて他の気持にさぐりを入れて話をする上方かみがた者です。
妾の会つた男の人人 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
やっとこの上方かみがたの自然に似た二つの小峰を見つけ出してその蔭に小さな蝸牛かたつむりのような生活を営んだことを考えてみた。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
何でも、中村菊之丞一座というのは、上方かみがたで、遠国おんごくすじの田舎まわりをしていた緞帳どんちょうだったのが、腕一本で大坂を八丁荒しした奴等だということだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
わずかに九州山脈にとれる木炭や、日向米などの物資を収集するための、上方かみがた通いの帆船が二三そう、帆をおろした柱だけの姿をやすんでいるのに過ぎない。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
「ひとつ、上方かみがたへのぼって、ゆっくり気保養でもして来ようと思うよ。」とんでもない「それについて」である。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
芭蕉は京と江戸と両方にぶらついていました位で、芭蕉の句には種々の変化がありますが、大ねが上方かみがたそだちだけに、どうしても上方の分子が多いのです。
俳句上の京と江戸 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
また西沢李叟にしざわりそうは江戸の化粧に関して「上方かみがたの如く白粉おしろいべたべたと塗る事なく、至つて薄く目立たぬをよしとす、元来女は男めきたる気性ある所のゆえなるべし」
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
十四の年に彼が思うには、男は何をしても一生食えるから、上方かみがたへかけおちして一生そこで暮そう、と志を立てて家出した。かけおちとは単に家出という意味だ。
安吾史譚:05 勝夢酔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
市川鬼丸きがんという上方かみがたくだりの若い役者がいて、唐茄子屋とうなすやという、落語にもよくある、若旦那やつしが、馴れぬ唐茄子売をする狂言が当って、人気が登って来たが
その囃し子のまんなかに太鼓を打った花形の子は上方かみがた風の柔和な顔に梅幸ばいこうに似たうけ口をしていた。私はその夜の唄をしるしたたとう紙を忘れずにもって帰った。
小品四つ (新字新仮名) / 中勘助(著)
これは今上方かみがたから博多に来ている力士の帯で、わざわざ博多へ注文して織らせて上方で仕立てさしたものだけれど、何だか結び目が工合が悪くて気に入らないから
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「なべ料理」のことを、東京では「寄せなべ」というが、上方かみがたでは「楽しみなべ」ともいっている。
鍋料理の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
その石炭が、汽車や、川舟で、洞海湾どうかいわんに出る。若松港に入っとる汽車や、帆船に積みこまれて、上方かみがたの方に送られる。その積みこみを請けあうとるのが、親分さんたち。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
若い時分から東京をはなれたことはほとんどないのですが、ことに三重県なんて上方かみがただということを知っている位で、はっきり地理もわきまえない始末ですから、お国で逢ったはずはなし
モノグラム (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「滅相もないことを! わたくしどもは、正直正銘、生れながらの町人なんで。下谷の者でございます、へえ。商用で、ちょっと上方かみがたのほうへまいっておりましたのが——。」
口笛を吹く武士 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そもそも幕末の時に当りて上方かみがたの辺に出没しゅつぼつしたるいわゆる勤王有志家きんのうゆうしかの挙動を見れば、家をくものあり人をころすものあり、或は足利あしかが三代の木像もくぞうの首をりこれをきょうするなど
幅広の路次ろじがありまして、その裏にすまって居りまするのは上方かみがたの人でござりますが、此の人は長屋中でも狡猾者こうかつもの大慾張だいよくばりと云うくらいの人、此の上方者が家主いえぬしの処へ参りまして
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
帽も服装も英国の女のは日本の上方かみがた言葉の「もつさりして居る」と云ふ一語でおほはれる。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「さき程ちょっと耳打ちしておいたから来て下さる筈だ。上方かみがたの親方を呼んで来な」
彼は素姓のあまりはっきりしない男であるが、応仁の乱のまだ収まらないころであったか、あるいは乱後であったかに、上方かみがたから一介の浪人として、今川氏のところへ流れて来ていた。
「雨のしょぼしょぼ降る晩にまめだが徳利とっくり持って酒買いに。」これは上方かみがたの歌であろう。私の父は長く大阪に義太夫の修業に行っていたから、家内の者もこの歌を知っていたのであろう。
生い立ちの記 (新字新仮名) / 小山清(著)
過日は平三郎へ御托しの御細書下されかたじけなく拝見仕候。まずもって文履益〻御万福に御座成され欣然に存奉り候。したがつて拙宅無異御省慮下さる可く候。然れば老兄の月旦げったん上方かみがた筋宜しき旨□□□。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかるに国にっては、ちょうどわがくに上方かみがたで奈良の水取みずとりといって春の初めにかえって冷ゆるごとく、暖気一たび到ってまた急に寒くなる事あり。仏国の東南部でこれを老女ばば次団太じだんだと呼ぶ。
所はしば烏森からすもりで俗に「はやしの屋敷」と呼ばれていた屋敷長屋のはずれのうちだったが、家内うち間取まどりといい、庭のおもむきといい、一寸ちょっと気取った家で、すべ上方かみがた風な少し陰気ではあったが中々なかなかった建方たてかたである
暗夜の白髪 (新字新仮名) / 沼田一雅(著)
それでも幹部は承知せず、若井氏へ人をったが、ちょうど若井氏は上方かみがたへ旅行中で、旅行先の宿所へまで手紙を出して問い合せたが、商用で転々していたものか何んの返事もありませんでした。
と、上方かみがたの人らしいが二三日流連いつづけをしていて
傾城買虎之巻 (新字新仮名) / 直木三十五(著)