むち)” の例文
カチ、カチ、カチ! たえまのない石工いしくのみのひびきが、炎天にもめげず、お城のほうから聞えてくる。町人の怠惰たいだむちうつようだ。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふたりとも、黒っぽい洋服を着、長い靴をはき、細いむちを持っていました。鞭や手綱たづなには、何かきらきら光るものがついていました。
金の目銀の目 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
食物とむちとで馴らせば、お猿も藝當をいたします。私は十二年の長い間、自分で自分の身體のやうな氣になつたことはございません。
しかし、彼はそいつがどんなに荒れ狂っているときでも、むちを使って鎮めるのに慣れていたので、今度もそれをやってみようとした。
悪戯小僧どもをむちでこらす先生も、どうして元気よく嬉しくならないでいられようか。彼の意中の婦人がダンスのパートナーなのだ。
いまやその場所を、ニヴェルの郵便馬車を御しているジョゼフが、朝の四時に、口笛を吹きつつ愉快げに馬をむちうって通るのである。
脚燈の火に触れはすまいかと狼狽ろうばいしているが、一方ではむち打たれて、無理にも獅子だということを思い起こさせられているのである。
あるいはなすべきことをなし切らない自己をむちうつか。あるいは社会の改造に活路を認めるか。——それらはおのおの一つの道である。
享楽人 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
別当も大よろこびで、五六ぺん、むちをひゆうぱちつ、ひゆうぱちつ、ひゆうひゆうぱちつと鳴らしました。やまねこが言ひました。
どんぐりと山猫 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
徒歩の兵は大部分討たれあるいは捕えられたようだったが、混戦に乗じて敵の馬を奪った数十人は、その胡馬こばむちうって南方へ走った。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
到底行い得べくも無いような空想にらるるのもその一つである。のみならず岸本は自分で自分のむちを背に受けねば成らなかった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
このまま、こういうことばかりしてはいられないという不安が始終私の心をむちうち、そのため人知れぬ苦労をもしたのであった。
「富めるものの天国に入るは、——」そう冗談に言いかけて、ぴしとむち打たれた。「人なみの仕合せは、むずかしいらしいよ。」
秋風記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
またしばしば刑罰のむちをふるってわれわれのとかく遊惰に流れやすい心を引きめる「厳父」としての役割をも勤めるのである。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
と、部屋の中央に、弓の折れをむちのようにひっさげた、五十あまりのたくましい、頤髯あごひげを生やした巨大な男が、両足をふんばり立っていたが
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
鬼どもは一斉に「はつ」と答へながら、鉄のむちをとつて立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈みれんみしやくなく打ちのめしました。
杜子春 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
かれは馬にまたがって傲然ごうぜんと出て行ったが、門は閉じてある、垣は甚だ高い。かれは馬にひとむちくれると、駿馬しゅんめおどって垣を飛び越えた。
そして、年老いたヨーロッパは、疲れ果てた肉体をむちうって次の段階に足をかける。すると、その足からはまた血が流れるのだ。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
その動作には少女らしい愛嬌あいきょうや明るさがなく、あまりにてきぱきとおとなめいていて、むちででもしつけられたかと思われるくらいであった。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
伊勢の神様が神馬に乗り、榊の枝をむちにしておいでになったのを、ちょっと地にして置かれたものが、そのまま成長して大木になった。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ひげなどはまことに御気の毒なくらい黒白乱生こくびゃくらんせいしていた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、むちを忘れた御者カブマンかと思った。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と叫んで逃げようとするのを、腕を掴んで引き戻し、そこへ押しころがすと、あり合わせた細引きをむちにして、ビシリビシリ叩き始めた。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私が今日の目的に就いて水車小屋のあるじに語った後に、杖をて、ゼーロンをき出そうとすると彼は、その杖をむちにする要があるだろう——
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
そして、狂気のようになって、甲板へ出ようとしますけれど、そこには岩のようなくつと、ヒューヒューうなるむちが待ち構えているのでした。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
喜平は目を輝かして正勝をにらみつけ、唇をみ締め、むちの手をぐっと正勝の身近くへ差し伸ばし、その手をかすかにわなわなとふるわしていた。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
そのくるま手長蜘蛛てながぐもすね天蓋てんがい蝗蟲いなごはねむながい姫蜘蛛ひめぐもいと頸輪くびわみづのやうなつき光線ひかりむち蟋蟀こほろぎほねその革紐かはひもまめ薄膜うすかは
父はベンチに腰掛こしかけて、むちの先で砂に何やら書きながら、半ばは注意ぶかく、半ばは放心のていで、わたしの話をいていた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
憎んでやるわ。反抗してやるわ。もしかあんなむちで私をぶたうものなら、私、あの人の手から引つたくつて、目の前でへし折つてしまうわ。
凍る身体にむち打ちつつ、人にも知られずむくいられることもすくないこういう仕事に黙々と従事するのもまた男子の本懐であろう。
満洲通信 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
そういううちにマダムの背後うしろに隠れていた白い肉付きのいい右手が前に出て来た。その手には黒い、短い、皮革なめしがわむちがシナシナとしなっていた。
継子 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
許生員は、はっとなったが、とうとう我慢がならず、みるみる眉をひきつらすと、むちをふりあげ遮二無二しゃにむに小僧をおっかけた。
蕎麦の花の頃 (新字新仮名) / 李孝石(著)
かれらはさらに道人の指図にしたがって、むちしもとでさんざんに打ちつづけたので、三人は総身そうみに血をながして苦しみ叫んだ。
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
「黙れ!」と、どなつたキャラ侯は、いきなり壁からむちをとり下ろして、ピシリ/\と、二度、アルライの頭を打ちました。
ラマ塔の秘密 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
ふらふら歩いていた松木は、疲れた老馬がむちのために、最後の力を搾るように、また、銃を引きずって、向うへした。
渦巻ける烏の群 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
私がむちで殴りつけると、彼は足を早める。私が止れと言うと、ちゃんと私の車を止めてくれる。私が手綱を左に引くと、おとなしく左へ曲る。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
淫奔いんぽん、汚濁、しばらくのも神の御前みまえに汚らわしい。いばらむちを、しゃつの白脂しろあぶらしりに当てて石段から追落おいおとそう。——があきれ果てて聞くぞ、おんな
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
うっとり聞き入っている邦夷が、そうかあいつが、か、と、傍目わきめにちらりと一瞥いちべつして、それが安倍誠之助の面上にぴしりとむちのようにおちた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
ともすればくじけようとする気力を、正統を信ずる心によってむち打ちつづけた厳しくもわびしい感触をあたえているのである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
罪でなくとも大きな過誤を犯した誰れも受けなければならない、激しいむちに悩まされているような錯覚にさえ襲われる。私は全く苦しくなった。
ちょうど私たちが尼寺の下へ来た時、わたしの馬が路からおどり出ようとしたのを、そのままにひとむちあてて、路を突っ切って一目散に走らせた。
又恋愛の欲望のむちでむちうたれていてすると云うなら、それも別問題であろう。この場合に果してそれがあろうか、少くも疑をはさむ余地がある。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しまいにはむちで小っぴどく性根にこたえるほど恥ずかしい折檻せっかんをした上、ことによったら、家まで追い出すかもしれない。
その副知事はコサックに命じて、一揆をおこした農民たちをむちで殴り殺させたり、その妻や娘に凌辱りょうじょくを加えさせたり、暴虐のかぎりをつくした。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
社会は又警察が罪人を造る——法以外のむちによって心にもない自白をなさしめた——そう騒ぎ立てるのではあるまいか。
撞球室の七人 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
その長さ六〇一〇キロメートル〔およそ一五三二里〕に連亘れんこうし、しかしてその前面を通過するには快馬にむちうちて疾駆するも十二日六時間を要し
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
王ともかく本人をとて召し見ると、かの男王の前で金を吐く、王女馬の腹帯もて彼を縛り塩水を呑ませむちうつと玉を吐くを、王女拾い嚥みおわる。
児太郎は、手をたたいて近侍を呼び、むちを持たさせた。近侍がびくびくさし出した三尺なめしの鞭は、弥吉の、脊すじに向って激しく打ちのめされた。
お小姓児太郎 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
十五世紀から十九世紀までも英国で行なわれたような、労働立法を制定して、額に烙印らくいんすのが一等だ。むちで打つのだ、耳を半分切り取ることだ。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
これは唐人とうじんの姿をした男が、腰に張子はりこで作った馬の首だけをくくり付け、それにまたがったような格好でむちで尻を叩く真似をしながら、彼方此方あっちこっちと駆け廻る。
梵雲庵漫録 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
大江ノ匡衡まさひらは、と御尋ねあれば、鋭士数騎、介冑かいちゅうこうむり、駿馬しゅんめむちって、粟津の浜を過ぐるにも似て、其ほこさき森然しんぜんとして当るものも無く見ゆ、と申す。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)