脂汗あぶらあせ)” の例文
そして、ひたい脂汗あぶらあせを拭きながら、見るともなしにうしろの客席に眼をやった。左側の二番の客席に、せぎすな一人の紳士が腰をかけていた。
飛行機に乗る怪しい紳士 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その沈黙はたちまちのように、色を失った陳の額へ、冷たい脂汗あぶらあせを絞り出した。彼はわなわなふるえる手に、戸のノッブを探り当てた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
がっくりと根の抜けた島田まげは大きく横にゆがんで、襟足えりあしに乱れた毛の下に、ねっとりにじんだ脂汗あぶらあせが、げかかった白粉を緑青色ろくしょういろに光らせた
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
恋人の美くしいひとみは忽ち賤しい波羅門の腕環にはめられて一生を浅ましい脂汗あぶらあせと怪しい畜類の匂に汚されて了うであらう。
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
呑んだ水はすぐにねっとりとした脂汗あぶらあせになって皮膚面ににじみ出た。暁方の少し冷えを感ずるころ、手を肌にあててみると塩分でざらざらしていた。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
急病でも起したのであろうか、顔色がんしょくは土のように青ざめ、額から鼻の頭にかけて、脂汗あぶらあせが玉をなして吹き出している。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
卿は、顔一面にふき出た脂汗あぶらあせを拭うことも忘れて、いらいらと部屋中を歩きまわる。結局決ったのは、もっと別の部屋を探してみようということだった。
細君はおろおろしながら、そのからだりついてゐた。額に入染にじ脂汗あぶらあせを拭き取つたり頭をさすつたり、まるで赤ん坊をあやす慈母のやうな優しさであつた。
和解 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
それを聽く麻井幸之進の顏色が、次第に眞つ蒼に變つて、額に脂汗あぶらあせの浮くのを平次は見遁みのがす筈もありません。
また脂汗あぶらあせの指で摺りその上をパンでゴシゴシ消すと、木炭紙はなめらかになってしまって木炭はのらなくなる。
油絵新技法 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
汚水の金魚みたいに大口をあいて、ハーハーと口で息をしていると、じりじりと脂汗あぶらあせが額ににじんでくる。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
黄昏たそがれの薄い光の中で、私は私の足もとの兵隊のひたいから、脂汗あぶらあせがしたたり落ちるのをはっきりと見た。私は息が苦しくなった。新兵の時、私も何度もこれをやらされた。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
伊那丸いなまるのするどいッさきと、忍剣の禅杖ぜんじょうをうけかねて、息をあえぎ、脂汗あぶらあせをしぼりながら、一追いつめられたが、そのうちに、ドンとうしろへつまずいた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ついでながら、切り立ての鋏穴の縁辺は截然せつぜんとして角立かどだっているが、んで拡がった穴の周囲は毛端立けばだってぼやけあるいは捲くれて、多少の手垢てあか脂汗あぶらあせに汚れている。
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
力限りの争いかと見れば、意外にも今度は、目に見えないほどずつ竜之助の太刀先が進む。進み、進むと、壮士は脂汗あぶらあせをタラタラと、再び中段にしてジリジリと退く。
醜くれ上り更に鼻血や脂汗あぶらあせで泥土のように汚ごした顔を、疼痛と憤怒と息切れでもみくちゃにひんまげた男達は、最早もはや彼女の友達ではない。勿論恋人に出来そうもなかった。
決闘場 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
さて療治れうぢとなるとれいごとむすめ背後うしろからいてたから、脂汗あぶらあせながしながられものがはいるのを、感心かんしんにじつとこらへたのに、何処どこ切違きりちがへたか、それからながしたまらず
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
妙な意地ずくからこんな出鱈目でたらめを申立て、愛する蕗子の死後をけがして実に彼女に対して申しわけのないことですが、聞いている中谷は見る見る真蒼な顔をして、額に脂汗あぶらあせをにじませ
流転 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
そばからのぞけば、かお痙攣ひきつれたり、つめたい脂汗あぶらあせにじたり、ぬるひと姿すがたけっしてよいものではございませぬが、実際じっさい自分じぶんんでると、それはおもいのほからく仕事しごとでございます。
すると気候はおそろしく蒸暑むしあつくなつて来て、自然とみ出る脂汗あぶらあせ不愉快ふゆくわいに人のはだをねば/\させるが、しかまた、さうふ時にはきまつて、の強弱との方向の定まらない風が突然とつぜんに吹きおこつて
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
土用太郎どようたろうは涼しい彼の家でも九十一度と云う未曾有の暑気であった。土用二郎の今日きょうは、朝来少し曇ったが、風と云うものはたと絶え、気温は昨日程上って居ないにも拘わらず、脂汗あぶらあせが流れた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
病人の肌理きめあらい額には、痛苦をこらえる脂汗あぶらあせが一杯ににじみ出ていた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
私は脂汗あぶらあせを流していた。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
老博士の額には脂汗あぶらあせがねっとりとうかんでいた。これにはテッド隊長も緊張のてっぺんへほうりあげられた形だ。
怪星ガン (新字新仮名) / 海野十三(著)
慎太郎は父の云いつけ通り、両手のたなごころに母の手を抑えた。母の手は冷たい脂汗あぶらあせに、気味悪くじっとりしめっていた。
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
お銀は充血したような目に涙をためて、顔をしかめながら、笹村のかした手に取り着いていきんだ。そのたんびに顔が真赤に充血して、額から脂汗あぶらあせがにじみ出た。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
もしかしたら、これは喜びの胸騒ぎではなくて、大いなる憂いのためのものではないのかと、一少年給仕すら、全身に脂汗あぶらあせの流れるような興奮を覚えたのである。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
兩國の川開きが濟んで間もなく、それは脂汗あぶらあせのにじむやうな、いやに、蒸し暑い晩でした。
ところが身体がかないもんだから、二三度転げ落ちて地面にたおれたりしましてね。何とも言えず不安になって、私は思わず双眼鏡持っているから、脂汗あぶらあせがにじみ出て来ましたよ。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
寸秒すんびょう危機きき目前もくぜん、おもわず、ひたいわきの下から、つめたい脂汗あぶらあせをしぼって、ハッと、ときめきの息を一ついたが——その絶体絶命ぜったいぜつめいのとっさ、ふと、指さきにれたのは、さっき
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて治療りょうじとなると例のごとく娘が背後うしろから抱いていたから、脂汗あぶらあせを流しながら切れものが入るのを、感心にじっと耐えたのに、どこを切違えたか、それから流れ出した血が留まらず
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
自己嫌悪けんおに打負かされまいと思って、彼の額から脂汗あぶらあせがたらたらと流れた。
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
すると気候は恐しく蒸暑むしあつくなって来て、自然とみ出る脂汗あぶらあせが不愉快に人の肌をねばねばさせるが、しかしまた、そういう時にはきまって、その強弱とその方向の定まらない風が突然に吹き起って
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかしながら米友は脂汗あぶらあせを流して、いよいよ追い詰められる。
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一度その軍刀が赤くなった事もあるように思うがどうも手答えはしなかったらしい。その中に、ふりまわしている軍刀のつかが、だんだん脂汗あぶらあせでぬめって来る。
首が落ちた話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
瞬間脂汗あぶらあせが額や鼻ににじみ出た。メスをもった婦人科のドクトルは驚いて、ちょっと手をひいた。——今度は内科の院長が、薔薇色ばらいろの肉のなかへメスを入れた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「承知しましたッ」運転手は巧みに把手ハンドルあやつった。彼の頸筋くびすじには、脂汗あぶらあせが浮んでやがてタラタラ流れ出した。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
主人の万兵衛は、ひたい脂汗あぶらあせを浮べて、真っ蒼な顔をしております。が、酒好きの佐太郎は、それに構わず、三本目の徳利を一人であけて、四本目が欲しそうな顔をしております。
多宝塔たほうとうの上で、遠術のいんをむすんでいた呂宋兵衛るそんべえ、あおじろいひたいから、タラタラと脂汗あぶらあせをながしたが、すぐ蛮語ばんご呪文じゅもんをとなえ、満口まんこう妖気ようきをふくみ入れて、フーと吹くと、はるかな
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のどの奥の辺が、ピクピクと痙攣けいれんしていて、ものを云えばガチガチと歯が鳴りそうであった。その癖彼はこの指紋については異常な熱心を示した。蒼ざめた顔にネットリと脂汗あぶらあせが浮んでいた。
苦しがってその男は、脂汗あぶらあせをジリジリと流しました。
博士は、蒼白そうはくな顔に、ねっとりと脂汗あぶらあせをうかばせて、しきりに機械人間の制御をこころみている様子。
超人間X号 (新字新仮名) / 海野十三(著)
笹村は、触る指頭ゆびさきにべっとりする額の脂汗あぶらあせを拭いながら、部屋を出て台所へ酒や食べ物を捜しにでも行くか、お銀が用心深くとざした戸を推し開けて、そっと外へ逃げ出すかするよりほかなかった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
と、悪来も本気になって、生涯初めての脂汗あぶらあせをしぼって闘った。しかし許褚はごうも乱れないのである。いよいよ、勇猛な喚きを発して、一電、また一閃、その剣光は、幾たびか悪来の鬢髪びんぱつをかすめた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帆村は、青白い額の上にジットリと脂汗あぶらあせにじませながら、日記帳の中に認められていた愕くべき十年前の秘密について、ドクトルの遺児カオルとその愛人との前に説明をした。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
額に入染にじむ冷たい脂汗あぶらあせもひいて、はやい脈もいくらかしずまって来た。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
吊るしあがった眼じりから脂汗あぶらあせがねっとりと流れ出す。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕はその場にしゃがんで、ひたいに手をやった。額には、ねっとりと脂汗あぶらあせがにじみ出ていた。
海底都市 (新字新仮名) / 海野十三(著)
大隅学士は、額から脂汗あぶらあせを流しながら、へやの中央に蝟集いしゅうしている白幽霊の一団の前に進みいでた。彼はこわごわ彼等の様子を観察した。彼等はまるで白寒天しろかんてんのように半透明であった。
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
にげまどう敵の脂汗あぶらあせにまみれた顔に、紅蓮ぐれんの火が血をあびたように映える。
大空魔艦 (新字新仮名) / 海野十三(著)