うつつ)” の例文
……当座は、夢を見てるんだと思ったそうです。……あまり欲しい欲しいが凝りかたまって、うつつにこんなものを見るのだと思った……
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
私は今でもうつつながら不思議に思う。昼は見えない。逢魔おうまが時からはおぼろにもあらずしてわかる。が、夜の裏木戸は小児心こどもごころにも遠慮される。
絵本の春 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なさけなや、六欲煩悩ぼんのう囚人とりこである身は、やはり、うつつも少しも変らず、恐ろしい。激しい不安や恐怖の餌じきにならずにはいられぬのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
と、冷たいしずくが、襟もとへぱらと降った。——ふと、うつつに返った後醍醐は、がくとお顔を振りあげて、そのお眸を朝雲にすえたまま
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帝劇のボックスに、夫人と肩を並べて、過した数時間は、信一郎に取っては、夢ともうつつとも分ちがたいような恍惚こうこつたる時間だった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
二、三度もつづけて叩く音に、小僧の次八がようやく起きたが、かれも夢とうつつの境にあるような寝ぼけ声で寝床の中からいた。
半七捕物帳:45 三つの声 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
マーメイド・タバンだなどとび慣れて、うつつを抜かしていた詩人のお目出たさにはあきれたものだ——と僕は苦笑をたたえながら
吊籠と月光と (新字新仮名) / 牧野信一(著)
うつつのやうに歩いて窓際によったけれども、涙は幻のやうに彼女の瞳をつゝんで、淡赤い月の行方ゆくへをお葉は見る事が出来なかった。
青白き夢 (新字旧仮名) / 素木しづ(著)
芸術家にとっては夢とうつつとのしきいはないと言っていい。彼は現実を見ながら眠っている事がある。夢を見ながら目を見開いている事がある。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
夢ともうつつともつかないようなうつろな目ざしでお前をじっと見つめている私の目を、お前は何か切なげな目つきで受けとめていた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
一一〇五更ごかうそら明けゆくころ一一一うつつなき心にもすずろに寒かりければ、一一二ふすまかづかんとさぐる手に、何物にや籟々さやさやと音するに目さめぬ。
うつつでいても時に後に誰か立っているような錯覚をおこしている。大きな心でいたわりあってくれるものと云えば、もう犬ぐらいのものです。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
をぢが張る四つ手の網に、月さしていろくづ二つ。その魚のくちびるあかき、この魚の背の鰭青き、うつつともへばつめたく、幻と見ればらひつ。
(新字旧仮名) / 北原白秋(著)
併し妻が産んだのではあるが、誰の子だか知れないと思つて育ててゐるといふことは、とてもうつつの意識の堪ふべき限でない。
魔睡 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
自分はいまうつつのなかでうなされているのだ、そしてそれが單に幻覺にすぎず、決して現實ではないことを、十分に意識しているにかかわらず
「まあまあ助けをお呼びなされた。妾のようなこんなものへ! ハイハイお助けいたしますとも! ……夢の中ばかりでなくうつつの世でもねえ」
猫の蚤とり武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
今でも夢かうつつに覚えているが、その余のことはさながらこの櫃の中の四角い暗闇同然、女はいつしか失神していたのだった。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
昔より信仰厚き人達は、うつつ神仏かみほとけ御姿おんすがたをもをがみ候やうに申候へば、私とても此の一念の力ならば、決してかなはぬ願にも無御座ござなく存参ぞんじまゐらせ候。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
が、まだ完全には眠ってしまわないで、夢の初めか、うつつの終わりかの幻を見ていると、フト彼の顔の辺りに何かを感じた。
死屍を食う男 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
しかし確に箪笥たんすを開ける音がした、障子をするすると開ける音を聞いた、夢かうつつかともかくと八畳の間に忍足で入って見たが、別に異変かわりはない。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
泉にはどこまでもうつつに感じられて、その小枝を湧きでる泉のなかにその底へとらえようと、いよいよ水をふきあげ虹たつばかりにふき上げます。
またおれが女中部屋の寝像ねぞううつつを抜かして、ついこんな性悪しょうわるをやらかしたように安く見ていなさるようだが、はばかりながらそんな玉じゃねえんだ。
余りの怪しさに、ギョッとして、暫くは夢ともうつつとも判じ兼ねたが、やがて、気を取直してよく見ると、この浴室の不思議な構造が分って来た。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
民衆の現実利害などにうつつを抜かすとすれば、それはみずからその神祇的な権威を傷けるものと云わざるを得ないだろう。
社会時評 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
……それもうつつで、やがてドアが開いて誰やら入って来たのも、暗黒の中で、それと見定めることは出来ませんでした。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音声におびえていたのだから、もとより夢かうつつかの差別は判らないのである。
水害雑録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
こうした巡礼の日が続いていると、夢ともなくうつつともなしに山上さんじょうを鳥のように駆け走る仙人の姿を見るようになった。
仙術修業 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ここにせめては其面影おもかげうつつとどめんと思いたち、亀屋の亭主ていしゅに心そえられたるとは知らでみずから善事よきこと考えいだせしように吉兵衛に相談すれば、さて無理ならぬ望み
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ただ、うつつと異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧とけぶった中に、黄金こがね釵子さいしが怪しげな光を放って居っただけじゃ。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「二十年間、夢にもうつつにも、口癖にいったのは、——俺はきっと検校になる、どんな事をしても検校になる——と」
その結果夜中になって、その男をさくらぼうの寝床から脱け出させる。うつつともまぼろしともなく彼は服を着て、家の外にとび出すのだ。一寸ちょっと夢遊病者むゆうびょうしゃのようになる
地獄街道 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だるい身体で寝返りを打ったり、すその方へやった掛蒲団の上に足を載せて天井を見つめたりなんかしながら、夢ともなくうつつともなく幾時間を過した。
折角せつかく樂しい昨日きのふは夢、せつない今日けふうつつかと、つい煩惱ぼんなうしやうじるが、世の戀人の身の上をなんで雲めが思ふであらう。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
そうなると、夢かうつつか区別がつかない。向うの壁がはっきりとわかってきて、あさ日の光りに明かるくなった時、かれもまた初めて起きあがるのである。
かねて見置きし硯の引出しより、束のうちを唯二枚、つかみしのちは夢ともうつつとも知らず、三之助に渡して帰したる始終を、見し人なしと思へるは愚かや。
大つごもり (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
八十八 初めてこの人々が外界の空気に接した時の心持ちは夢とうつつとの境に在る様であった。けれど四辺の景状を一目すればこの心持ちは直ちに消えた。
暗黒星 (新字新仮名) / シモン・ニューコム(著)
少しの間うつつに顕れて来ないが、やがて水面に浮ぶ大魚の背の如くに再びゆらりと姿を顕わすと、根に籠る若草の力が茎となり葉となって伸びて行くように
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
黙っていると昨日からの恐ろしい情景が次々と眼前に浮かんできて、夢ともうつつともつかぬ不安の境に心はさまよう。壕の天井から滴る水が気味悪く時を刻む。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
頭がくうんとしびれて来て、怖ろしい顔をしながらそこに立っている博士や若い医者達の喚き声を、夢うつつの中の出来事のように、遠くの遠くの方に聞きながら
同志H21にうつつをぬかしているはずの英少佐エリク・ヘンダスンだから、一同おやっと呆気あっけに取られている。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
私達は甦えって新しい生活に入る前に、夢ともつかず、うつつともつかぬ静かな日を送っていたものと見える。近藤君は、ある日のこと、卓上の紙にこう記した。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
それが、夢にも……うつつにも……朝まで続いた。他の一切はどうなったって構わない。その眼だけが……。
童貞 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
夢ともうつつともなく竜子は去年の秋頃から通学する電車の中で毎朝見かける或学生の姿を思い浮べた。たもとの中へいつのにか入れられてあった艶書えんしょの文句を思出した。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一生の運の定まる時と心附いたのか? そもそもまた狂い出す妄想ぼうそうにつれられて、我知らず心を華やかな、たのしい未来へ走らし、望みを事実にし、うつつに夢を見て、嬉しく
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
でも、ぼくはうからはさう手輕てがるには——きみがやつたやうにおもつてはきみのところへかけられない。だからきみから一てもらひいとおもふ——ゆめにでもうつつにでも。
「三つの宝」序に代へて (旧字旧仮名) / 佐藤春夫(著)
ちょうど運動場のようで、もっと広い草原の中をおぼろな月光を浴びてうつつともなくさまようていた。
花物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
アルトヴェル氏は夫人を突離すと、うつつない男の上へのしかかって、拳を振りあげながら呶鳴った。
犬舎 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
何か一度でも彼が同感を示したこともなければ、酒を飲んで酔って笑ったこともなく、酔っぱらった時には山賊でもやる、あの馬鹿騒ぎに彼がうつつを抜かした例しもない。
フッとうつつに帰りましたがまだ夢路を辿たどって居るような心地で、こりゃ奇態だという感覚が起った。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
眠とうつつとの距離が極めて短く、熟睡といふやうな事は殆ど無いやうであつた。體の疲れ切つた老人になると誰も斯んなものであらうかと春三郎はいつも不思議に思つてゐた。