松脂まつやに)” の例文
……背中には革で作った哨楼しょうろうが太い革紐でしばり付けられて、その中から四人の射手が、松脂まつやにと麻緒をめた火矢を投げるのであった。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
それは松脂まつやにの蝋でり固めたもので、これに類似した田行燈というものを百姓家では用いた。これは今でもいちせき辺へ行くとのこっている。
亡び行く江戸趣味 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深しゅうねんぶかい奴は大嫌だ。たとい天下の美猫びみょうといえどもご免蒙る。いわんや松脂まつやににおいてをやだ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ちいさきたならしいおけのままに海鼠腸このわたが載っている。小皿の上に三片みきればかり赤味がかった松脂まつやに見たようなもののあるのはからすみである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
草のかおりがする。雨と空気と新鮮な嵐と、山蔭やまかげむせぶばかりの松脂まつやにのにおいである。はしる、駛る、新世界の大きな昆虫。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
松脂まつやにのような手や首の皮膚はだの色、磁器のような白い眼球がんきゅう、上端が鼻の先へ喰着くっつきそうにって居る厚い唇、其処そこから洩れて来る不思議な日本語
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼はふなばたに身をもたせて、日にされた松脂まつやににおいを胸一ぱいに吸いこみながら、長い間独木舟まるきぶねを風の吹きやるのに任せていた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
淡い甘さの澱粉でんぷん質の匂ひに、松脂まつやにらん花を混ぜたやうな熱帯的な芳香ほうこうが私の鼻をうつた。女主人は女中から温まつた皿を取次いで私の前へ置いた。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
彼等は松脂まつやにのように黒い磨り減らしたトンネルの中に動いてるのがわかった。そして彼等が上の方に一条の光線を見たのはそれからまもなくであった。
宿の山がつを呼ぶと、松脂まつやにを燃して明りを取り、蕨粉わらびこを打っていた老山がつが、ぬっとしわだらけの面をつき出して
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あたりの立木がみんな目通りの高さからぽきぽき折り倒され、木といわず草といわず、葉はみんなどこへ消えたのやら——さむざむと松脂まつやにが匂うばかり。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
むかへばゆきのやうな、へい、魔王殿まわうどの一目ひとめたら、松脂まつやによだれながいて、たましひ夜這星よばひぼしつてぶ……ちゝしろい、爪紅つめべにあかやつ製作こさへるとはぬかい!
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
なに左樣さうでない、このじう泥土どろと、松脂まつやにとで、毛皮けがわてつのやうにかためてるのだから、小銃せうじう彈丸たまぐらいでは容易ようゐつらぬこと出來できないのさ。』とわたくしなぐさめた。
その時、寿平次は「今一手」と言いたげに、小屋の壁にたてかけた弓を取りあげて、つる松脂まつやにを塗っていた。それを見ると、得右衛門も思い出したように
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたしの手には松脂まつやにがべっとりついていたのでパンには松の香がほのかにうつった。仕事が終わるまでにはわたしは松の木の敵というよりは友だちとなった。
四五 猿の経立ふったちはよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し。松脂まつやにを毛にり砂をその上につけておる故、毛皮けがわよろいのごとく鉄砲のたまとおらず。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あとの一人は、八寸の三宝に三種の歯みがき——しお松脂まつやに、はみがきをのせて、おすすぎを申し入れる。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
もぐさや松脂まつやにの火打ち石や、それからせんきのねじや何に使ったかわからぬ小さな鈴などがだらしもなく雑居している光景が実にありありと眼前に思い浮かべられる。
藤棚の陰から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
猪のあぶら松脂まつやにとを煮溜めた薬煉くすね弓弦ゆづるを強めるために新らしく武器庫ぶきぐらの前で製せられた。兵士つわものたちは、この常とは変って悠々閑々ゆうゆうかんかんとした戦いの準備を心竊こころひそかわらっていた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
わしの力でもちょっくり抜けない、なんでも松脂まつやにか何か附いてると見えてば/\してるから、ひっついて抜けないが、これは旦那の不断差す脇差で私も能く知っております
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
しかも彼等はなかなかの曲者くせもので、ひそかに松脂まつやにを買って来て、それを粉にして練りあわせ、紙にまいて火をつけて、夜ちゅうに高く飛ばせると、その火のひかりは四方を照らした。
樹脂やにのある木片や松脂まつやにに浸した繩屑なわくずを燃しています。ドーフィネの山地においても、すべてそのとおりです。彼らは一度に六カ月分のパンを作り、乾かした牛糞ぎゅうふんでそれを焼きます。
『本草集解』に、松脂まつやにかすめ沙泥にき、身に塗りて以て矢を禦ぐというこれなり。
工場は、塵埃と、硫黄と、燐、松脂まつやになどの焦げる匂いに白紫ずんでいぶっていた。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
日光と霧と松脂まつやにのしずくとが細かく降注ぐ山土の傾斜、ふやけた落葉の堆積のなかから踊り出して来たこの頭の円い菌こそは、松山の赤肌に嗅がれる体臭を、遺伝的にたっぷりと持ち伝えた
艸木虫魚 (新字新仮名) / 薄田泣菫(著)
私が長崎に居るとき塩酸亜鉛あえんがあれば鉄にもすずを附けることが出来ると云うことをきいしって居る。れまで日本では松脂まつやにばかりを用いて居たが、松脂ではあかがねるいに錫を流して鍍金めっきすることは出来る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
すがすがしい松脂まつやにのにほひがして鳥もツンツンきました。
(新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
松脂まつやにのにほひもまじる
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
越後の田中という地にきて、小松原宗雪なる者と同宿し、穀を絶ち松脂まつやにを服して暮していたが、誰言うともなく残月は常陸坊、小松原は亀井六郎だと評判せられた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼等の家はその界隈かいわいでも最も閑静な松林にあつた。松脂まつやにの匂と日の光と、——それが何時でも夫の留守は、二階建の新しい借家の中に、き活きした沈黙を領してゐた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
着物きものまをすまでもなし、つち砂利じやり松脂まつやにあめぼう等分とうぶんぜて天日てんぴかわかしたものにほかならず。
山の手小景 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
し惣次郎が一角を殺すような事になれば、此の企は空しくなるというので、惣次郎が常にして出ます脇差の鞘を払って、其の中へ松脂まつやにを詰めて止めを致して置きました
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それがあんまり深く傷をつけ過ぎてもいけないし、浅過ぎてもいけないし、呼吸物なんで、その傷口から松脂まつやにのようにどろりとみ出て来る汁をへらですくって竹の筒へ入れる。
紀伊国狐憑漆掻語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
竜之助は冷然として、その書き終るを見ていると、壮士はその紙を持って前後を見廻したが、かたえに大きな松の樹がある、小柄こづかを抜いてその一端を突きさして、あとのすみ克明こくめい松脂まつやにで押える。
日にやけし布と松脂まつやにかおりよ。如何いかんとなれば
松脂まつやにを毛に塗り砂をその上につけてをるゆゑ、毛皮はよろひのごとく鉄砲の弾も通らず。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
が、海の近い事は、まばらすすきに流れて来る潮風しおかぜが明かに語っている。陳はさっきからたった一人、と共に強くなった松脂まつやににおいを嗅ぎながら、こう云う寂しい闇の中に、注意深い歩みを運んでいた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)