拘泥こうでい)” の例文
思いながら、彼は奇妙な頬笑ほほえましさと同時に、二人がひどく愛という言葉に拘泥こうでいしているのに、ちょっと意外なものをかんじていた。
赤い手帖 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
この大軍を擁しつつ空しく陳倉の一城に拘泥こうでいして心まで囚わるるこそ、まんまと敵の思うつぼに落ちているものではございますまいか
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕達は少し矢絣に拘泥こうでいし過ぎてるんじゃないかしら。犯罪者が態々わざわざ、そんな人目に立ち易い風俗をするいわれがないじゃありませんか
悪霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
喜怒哀楽が材料となるにもかかわらず拘泥こうでいするに足らぬ以上は小説の筋、芝居の筋のようなものも、また拘泥するに足らん訳だ。
写生文 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
物に拘泥こうでいしない、思索ということをしない、純血な人間に出来るだけの受用をする。いつも何か事あれかしと、居合腰いあいごしをしているのである。
標準に拘泥こうでいすることなかれ。手前勘の理想をかつぎまはることなかれ。嗜好しかうにあやまたるゝことなかれ。演繹的なることなかれ。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
あばたの有無などに拘泥こうでいするのは素人である。加害者は万力、被害者はお俊、この推定はどうしても動かないと彼は思った。
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
むなしい気位に、そんなに拘泥こうでいしなければならないのか。日毎ひごとに体制をととのえて行く新しいあちらの権力は見えないのだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
律法儀式にのみ拘泥こうでいしたる羅馬ローマ教の胎内よりプロテスタニズム生れ出で、プロテスタニズムよりピユリタニズム生じ、ピユリタニズムによりて
各人心宮内の秘宮 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
写生文のいまだ至らぬものは事実の描写に拘泥こうでいする。ややその境地に到達せんとするものになると、その事実よりもむしろ作者の感情に重きを置く。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ここにいくらでも国学を新しくすることのできる後進の者のみちがある。物学びするほどのともがらは、そう師の説にのみ拘泥こうでいするなと教えてある。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのためにさまたげらるることなくというのは第二に導かれる意味になるのであるから、この歌はやはり、「母にかかわることなく、拘泥こうでいすることなく」
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
拘泥こうでいのないはればれした快活さが、その女の眠っている間には必らず湧き上ってくる感情だった。かれはそっと腰掛を離れ渚の方へ向いて歩き出した。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
あるひはまた彼が一派一流の狭き画法に拘泥こうでいするのいとまなかりしが如き、これ皆その観察力の鋭敏なると写生の狂熱さかんなるによるものに非らずして何ぞや。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これをその原意味に拘泥こうでいせずに地から出た実物、それは生物の原形あるいはその印痕あるその実物に徴してこれに殭石あるいは化石の訳名を与えた訳だ。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
よい材料を使う寿司すしは、高いのは当然だ。高価を呼ぶものにはそれぞれ理由がある。その理由をわきまえず、単に金高のみに拘泥こうでいして驚くのは野暮やぼである。
握り寿司の名人 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
文字も韻律も正確さに拘泥こうでいしておらぬ。時としては全く読み得ない文章が素敵な字体で彫ってある。すべてが無学な彫師の無心さに浄化されて現れてくる。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
文字の加減などが原典の意味に拘泥こうでいすることなく、親鸞独自のものを示しているのは当然のことであろう。
親鸞 (新字新仮名) / 三木清(著)
あめが、さつと降出ふりだした、停車場ていしやばいたときで——天象せつはなくだしである。あへ字義じぎ拘泥こうでいする次第しだいではないが、あめはなみだしたやうに、夕暮ゆふぐれしろかつた。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
つまり彼は自ら其の事にこだわっているからこそ、逆に態度の上では、少しもそれに拘泥こうでいしていない様子を見せ、ことさらに自分の名を名乗ったりなどしたのだ。
虎狩 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それで先ず用は足す事が出来るが、もし何々派、何々流の歩調にのみあまりに拘泥こうでいし過ぎると、その事ばかりに気を取られてとうとういたずらに低廻するばかりとなる。
油絵新技法 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
ひたすら事業に拘泥こうでいするばかりに侮辱に耐え、迫害にも身をらして来たが、最近の諸種の事件のさ中にまき込まれ、いったい何が何であるか見当もつかなくなり
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
「詩の一句や二句に拘泥こうでいして天下が動くものではない。」と、かう考へたが、「また、眞に天下を動かすだけの事業をしたところで、それが何ほどのことにならう?」
泡鳴五部作:03 放浪 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
繰り返して云う、勝敗に拘泥こうでいするな、技は末節にすぎない、この二条をよく思案して修行するがいい
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
秀吉が奥州を「大しゆ」と書きしことさへ思ひ出されてなつかし、蕪村の磊落らいらくにして法度はっと拘泥こうでいせざりし事この類なり。彼は俳人が家集を出版することをさへいとへり。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
些細ささいなそんな拘泥こうでいも手伝って、彼は朝飯もろくろくのどへ通らなかった。しかも勘定を取ってみると、それを払ってチップをやっても汽車賃には事欠かないほどだった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
僕は、人中ひとなかへ出る時は、大抵、洋服を着てゆく。はかまだと、拘泥こうでいしなければならない。繁雑な日本の étiquette も、ズボンだと、しばしば、大目に見られやすい。
野呂松人形 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
また文字に拘泥こうでいせずにその大意をにぎる人がある、それが本当の活眼をもって活書を読むものだ、よいか、文字を知らないのは決して恥でない、意味を知らないのが恥辱だぞ
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
へ、へ! どうもあの(もちろん、全部ではないが)、意味深長な心理的方法というやつは、いやはや滑稽こっけいなもので、あまり形式に拘泥こうでいすると、むしろ有害無益なくらいですて。
「馬鹿だなア」と川地はポカリ煙草をきつしつ、「裁判官は只だ法廷で、裁判するだけの仕事ぢやないか——法律なんて酌子定規しやくしぢやうぎ拘泥こうでいして、悪党退治が出来ると思ふか——フヽム」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
格式に拘泥こうでいしない自由な行き方の誹諧であるのか、機知頓才とんさいろうするのが滑稽であるのか、あるいは有心無心の無心がそうであるのか、なかなか容易には捕捉し難いように見える。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
現象の実体も知らずに方法論に拘泥こうでいするのは、研究者が往々にしておちい邪道じゃどうである。
政治学入門 (新字新仮名) / 矢部貞治(著)
社会の現事に拘泥こうでいすることなくして、目的を永遠の利害に期するときは、その読書談論は、かえって傍観者の品格をもって、大いに他の実業家をいましむるの大効を奏するに足るべし。
学問の独立 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
年増はもうって縁側を左の方へするすると往ってしまった。道夫はちょっと困ったが、もともと物に拘泥こうでいしないたちであるから、すぐそんな心づかいなどは忘れてへやの中へ眼をやった。
馬の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
倉地は見かけのわりに恐ろしいほど敏捷びんしょうに働く心で、顔にも現わさない葉子の躊躇ちゅうちょを見て取ったらしくこうなじるように尋ねたが、葉子がなんでもないとこたえると、少しも拘泥こうでいせずに
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
老子が孔子にはなむけしたと言われる言は、自己を主張せず理智に拘泥こうでいせず、我をむなしくして世に順応せよと教えた点において、『老子』の思想を一句に表現していると見ることもできる。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
竜之助の問いには答えないで、女の子はしきりに文字の末に拘泥こうでいしていますから
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
試みに見よ封建社会の道徳なるものは天真爛漫らんまん、自然のうちに修養あり、自由のうちに規法ある、愛すべき親しむべきものにあらず。かえってただ式に拘泥こうでいしたる死物の道徳にあらずや。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
抑揚頓挫とんざなどという規則には拘泥こうでいしない、自然のままの面白味が多いようだ。
『新訳源氏物語』初版の序 (新字新仮名) / 上田敏(著)
二氏は如何にしてかくの如き謬見をいだきしや。吾人熟々つら/\二氏の意のところを察して稍々やゝ其由来を知るを得たり。けだし二氏は罪過説に拘泥こうでいする時は命数戯曲、命数小説の弊に陥るを憂ふる者ならん。
罪過論 (新字旧仮名) / 石橋忍月(著)
ひとあるひはわがはいのこの意見いけんもつて、つまらぬ些事さじ拘泥こうでいするものとしあるひは時勢じせいつうぜざる固陋ころう僻見へきけんとするものあらば、わがはいあまんじてそのそしりけたい。そしてつゝしんでそのをしへをけたい。
国語尊重 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
とかく小さな事にばかり拘泥こうでいして、いや着物の着方はこういう風にやらないではならんとか、あるいは物の言い方はこうだとかやかましく言うて、それを守るのが道徳を積んだかのように思って居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
夏が来れば店先へ椽台えんだいなどを出し、涼みがてらにのんきな浮世話しなどしたもの……師匠は仕事の方はなかなかやかましかったが、気質きだては至って楽天的で、物に拘泥こうでいしない人であり、正直、素樸そぼく
たとい仏であり菩薩ぼさつであろうと、また私のひそかな願いが唯信をもって対することであろうと、私はやはり美しさに拘泥こうでいせざるをえない。美を無視して信心のみから仏を仰ぐことは出来かねるのだ。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
そして私は彼女の大腿部から、頸部の傷穴を埋めるための一塊の肉を、素早くずばりと切取った。彼女は再び(きゃあっ!)と悲鳴をあげた。併し、今はそんなことに、拘泥こうでいしている時ではなかった。
君はからだの弱いせいか、ささいな事に拘泥こうでいするふうが見える。
廃める (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
それを見ると道助の気持ちは一層拘泥こうでいし初めた。
静物 (新字旧仮名) / 十一谷義三郎(著)
著者ほど拘泥こうでいしはしないからである。
末梢を論じ、枝葉をあげつらい、章句に拘泥こうでいして日を暮すは、世の腐れ儒者の所為しわざ。何で国を興し、民を安んずる大策を知ろう。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
芸妓、紳士、通人つうじんから耶蘇ヤソ孔子こうし釈迦しゃかを見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥こうでいしている。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)