そばだ)” の例文
それは淋しい夜の町というのに過ぎなかったが、爪先上りになっている其町の前方に当って黒い大きな巨人の如きものがそばだっている。
富士登山 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
秋の末近く寒い雨の降る夜などに、細い声を立てて渡り鳥の群が空を行くのを、あれがガアラッパだと耳をそばだてて聴く者もあった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
兄が席を立って書斎にったのはそれからしてしばらくのちの事であった。自分は耳をそばだてて彼の上靴スリッパしずかに階段をのぼって行く音を聞いた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
山領谷の尽くるところに富津とみつ猿葉さるは山がそばだち、その山裾である赤松の点々生えた、土佐絵のような弁天崎が湾に斗出としゅつしている。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
剣ヶ倉の右の肩には、平ヶ岳の西の肩ともいう可き二千八十米の隆起が突兀とっこつそばだち、其上に尨大な平ヶ岳が特有な頂上を左方に長く展開している。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
駿州境には雨ヶ岳同じく竜ヶ岳が聳えていたが、大室山、長尾山、天神峠の山々を隔てて富士の霊峰のそばだっているのはまことに雄大な景色である。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
広々とした深い地下を掘り返して、縦横に鉄柱がそばだち、鉄梁ビームや鉄筋が打ち込まれて、地下工事が施されているのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
山の前後の二大湖 マナサルワ湖とラクガル湖との間には幅一里位の山が垣のようにそばだって両湖が限られて居るです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
怪しき岩の如く獣の如く山の如く鬼の如く空にそばだわだかまり居し雲の、皆黄金色の笹縁さゝべりつけて、いとおごそかに、人の眼を驚かしたる、云はんかたなく美し。
雲のいろ/\ (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
ツイ眼下に、瓦葺かわらぶき大家根おおやね翼然よくぜんとしてそばだッているのが視下される。アレハ大方馬見所ばけんじょの家根で、土手に隠れて形は見えないが車馬の声が轆々ろくろくとして聞える。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
かれけつして他人たにん爭鬪さうとうおこしたためしもなく、むしきはめて平穩へいをん態度たいどたもつてる。たゞ彼等かれらのやうなまづしい生活せいくわつもの相互さうご猜忌さいぎ嫉妬しつととのそばだてゝる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
まわりの円味がかった平凡な地形に対して天柱山と吐月峰は突兀とっこつとして秀でている。けれどもちくとかしゅんとかいうそばだちようではなく、どこまでもがたの柔かい線である。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そこにそばだっている鷲峰山は標高はようやく三千尺に過ぎないが、巉岩ざんがん絶壁をもって削り立っているので、昔、えん小角おづぬが開創したといわれている近畿きんきの霊場の一つである。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
明科あかしな停車場を下りると、さい川の西に一列の大山脈がそばだっているのが見える、我々は飛騨山脈などと小さい名を言わずに、日本アルプスとここを呼んでいる、この山々には、名のない
梓川の上流 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
暫くして、そばだつ岩壁にぶつかる。水が其の壁面をすだれのように浅く流れ下っている。其の水は直ぐ地下に潜って見えなくなって了う。岩壁は攀登よじのぼれそうもないので、木を伝って横の堤に上る。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
よ、看よ、木々の緑も、浮べる雲も、ひいづる峰も、流るるたにも、そばだいはほも、吹来ふきくる風も、日の光も、とりの鳴くも、空の色も、皆おのづから浮世の物ならで、我はここにうれひを忘れ、かなしみを忘れ、くるしみを忘れ
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
屋根あり、破風はふありて、家屋かをくうへそばだつは
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
仕方なしに外部そとから耳をそばだてたけれども、中はしんとしているので、それにいきおいを得た彼の手は、思い切ってがらりと戸を開ける事ができた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鉄梁ビームや鉄筋の残骸ざんがいがあり、鉄柱がそばだち以前と何の変りもありません。ただ相変らず人気ひとけのないさびしさのみが、沈々として身に迫ってくるばかりです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
滑かな膚が鋭い菱角りょうかくを尖らせ、伏すもの、そばだつもの、横に長きもの、縦に平たきもの、紛然と入り乱れた上を、両手に石を抱いておずおず辿って行く。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その姿を見るだけでも勇ましいという感に堪えんほどであるのにその碧空にそばだった剣のごとき岩と岩との間からおよそ千尺位の幾筋かの滝が落ちて居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
蕪村がさむらいならこれは町人といってもよい。蕪村が九代目団十郎なら、太祇は五代目菊五郎である。蕪村の句は天籟的てんらいてきで大きな岩石のそばだっているような趣がある。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
やがて立出でて南をむきて行くに、路にあたりていと大きなる山の頭を圧す如くにそばだてるが見ゆ。問わでも武甲山ぶこうさんとは知らるるまで姿雄々しくすぐれてひいでたり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ワキモコガはマキムクノのなまり、纏向穴師まきむくのあなしは三輪の東にそばだつ高山で、大和北部の平野に近く、多分は朝家の思召おぼしめしもとづいて、この山にも一時国樔人の住んでいたのは
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
東の空には八ヶ嶽が連々としてそびえ連なり、北には岡谷の小部落が白壁の影を水に落とし、さらに南を振り返って見れば、高島城の石垣が灰色なして水際みぎわそばだち、諏訪明神の森の姿や
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
男は肩をそばだててひたと彼に寄添へり。宮はなほ黙して歩めり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「どうしてよ」一どうみゝそばだてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
勿論石灰岩の山であるから、危峰怪岩が簇立そうりつしていることは言う迄もないし、又懸崖峭壁も至る所にそばだっている。
奥秩父 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
二人ふたりはそれでだまつた。たゞじつそと樣子やうすうかゞつてゐた。けれども世間せけんしんしづかであつた。いつまでみゝそばだてゝゐても、ふたゝものちて氣色けしきはなかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
もちろん黄金があるのではないけれども実に奇々妙々な岩壁が厳然げんぜんとして虚空こくうつんざくごとくにそばだって居る。その岩壁の向うに玉のごとき雪峰が顔を出して居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
さてあの児さんはどうした児さんかと人が目をそばだてて見るがそれが則ち何年か前にこの寺の門前に棄ててあったあの捨子なので、寺の和尚は仏の道に携っておる慈悲から
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
まして夏の日の峯とそばだち秋の夕の鱗とつらなり、あるは蝶と飛びゐのこと奔りて緩くもはやくも空行くが、おのれから為す業ならばこそ、皆風のさすことなるを何取り出でゝ憎むに足るべき
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
しかも焼け跡を歩き回ってるうちに、またもや私はおや! と眼をそばだてました。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
かれそばだてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
更に登ること少許すこしばかりにして、路傍に小山の如き巨岩がそばだち、右に大残雪があって雪解の水が滾滾こんこんと流れている、それを見ると誰しも一口飲まずには通れない。
白馬岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その中間をつらねている建物の下をくぐってむこうへ抜ける。中塔とはこの事である。少し行くと左手に鐘塔しゅとうそばだつ。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして林立した墓標の上にも闇と森の陰は掩い被さって、いずれも夢のようにほのかに浮び上っていたが、その中でもさっきまであの三人の拝んでいた墓は一際群を抜いて大きく立派にそばだっていた。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
この蟻の道はあの向うにそばだっている雲の峰から続いているのであろうか、というのである。雲の峰というのは白雲が山の如くそびえている、夏になって天気の時によく見るところの雲のことである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
この大岩の先端は鉾のように尖って高くそばだち、向う岸の奥鐘山の絶壁から独立して一層高く聳えた巨大なる岩柱と相対して、幅五、六間の峡門を成している。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらにまぎれ込んだのかと耳をそばだてる。たしかに誰かうたっている。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
燈台は低く霧笛はそばだてり
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
人が目をそばだてても、耳をそびやかしても、冷評しても罵詈ばりしても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門おおくぼひこざえもんたらい登城とじょうした事がある。……
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
刃の如くそばだった巌山ではなくして、弧の内面を東に向けて彎曲して南北に延びた頂上の平な山である。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
掘崩ほりくずした土の上に悠然ゆうぜんそばだって、吾らのために道を譲る景色けしきはない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。いわのない所でさえるきよくはない。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
千九百四十九米三の三角点のある峰は、栂沢の上にそばだつ山であるが、名は知らない。栂沢山と呼んで差支なかろう。甲州では此附近を三条ダルミと呼んでいるそうである。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
もしこの硯について人の眼をそばだつべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人しょうじんこくである。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
濛々もうもうとした霧が高瀬の谷から舞い上ると、雪渓の面は鏡のように曇ったりはれたりする。硫黄岳は間近く物凄い赭色の岩壁をそばだて、其下を流れる湯俣の水は糸のように細い。
白鳥の影は波に沈んで、岸高くそばだてる楼閣の黒く水に映るのが物凄ものすごい。水門は左右に開けて、石階の上にはアーサーとギニヴィアを前に、城中の男女なんにょことごとく集まる。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
有峰ありみねの西にそばだつ東笠西笠の別称である鯉鮒山を越中沢えっちゅうざわ岳に擬したのと同一轍に陥ったもので、陸測五万黒部図幅の駒ヶ岳即ち滝倉谷の上に聳えている二千二米の峰が滝倉岳であることは
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
「生きておるか」とシーワルドが剣で招けば、「死ぬところじゃ」とウィリアムが高く盾を翳す。右にそばだつ丸櫓の上より飛び来る矢がかつと夜叉の額をかすめてウィリアムの足の下へ落つる。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)