こうべ)” の例文
と正面よりお顔を凝視みつめて、我良苦多がらくた棚下たなおろし。貴婦人は恥じ且つ憤りて、こうべれて無念がれば、鼻の先へ指を出して、不作法千万。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
また、「正直のこうべに神やどる」とも、「さわらぬ神にたたりなし」ともいえることわざがあるが、いずれも神に対する心得を示したるものである。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
盛り返して来た可哀そうな奴、左右同時に懸かるのを、まず右手の野太刀を抑え、こうべを返すと眼を怒らせ、左の一人を睨み付けた。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
三人が同時にこうべをめぐらして西の方をながめました。この時分、最夜中は過ぎて峠の宿しゅくで、たったいま鳴いたのが一番鶏であるらしい。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
さらに、こうべめぐらして、東海三河をごらんなさい。松平元康どのは、すでに、織田家とは、切っても切れない盟約を結んでおりますぞ。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかあるに貪名愛利とんみょうあいりの比丘僧に似たる僧侶、この家門にはしるに、こうべをはきものにうたずといふことなし。なほ主従よりも劣るなり
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
平生へいぜいの元気も失せて呻吟しんぎんしてありける処へ親友の小山中川の二人尋ね来りければ徒然とぜんの折とておおいよろこび枕にひじをかけてわずかこうべ
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
そう考えると、彼は思わすこうべをあげて孔子を見た。そして何の作為もなく、この詩の一句が、すらすらと彼の咽をすべり出した。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
彼女はわれに返って、いきなりわたしに飛びかかり、わたしの体を抱きしめようとしたが、それだけの勇気もなくて、静かにこうべを垂れた。
そこで、何様である、徳川殿の勧めに就こうかと思うが、といいながら老臣等を見渡すと、ムックリとこうべもたげたのが伊達藤五郎成実しげざねだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
いちが「お呼びになったのだよ」と言った時、まつは始めておそるおそるうなだれていたこうべをあげて、縁側の上の役人を見た。
最後の一句 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この時雌鼠は恐る恐る黄金丸の前へひ寄りて、慇懃いんぎんに前足をつかへ、数度あまたたびこうべを垂れて、再生の恩を謝すほどに、黄金丸は莞爾にっこと打ち
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
男は片手に蝋燭をかざしながら、その厨子の前にひざまずいて、うやうやしく礼拝した。なんだか知らないが、小坂部も思わずこうべを垂れた。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
昇るものは、昇りつつある自覚を抱いて、くだりつつ夜に行くものの前に鄭寧ていねいこうべを惜気もなく下げた。これを神の作れるアイロニーと云う。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
名士こうべめぐらせば即ち神仙 卓は飛ぶ関左跡飄然ひようぜん 鞋花あいか笠雪三千里 雨にもくし風にくしけずる数十年 たとひ妖魔をして障碍を成さしむるも 古仏因縁を
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
覚えずこうべを垂れた悟浄の耳に、美しい女性的な声——妙音みょうおんというか、梵音ぼんおんというか、海潮音かいちょうおんというか、——が響いてきた。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
彼は、乱れた髪を微風に吹かせながら、馬上にこうべをめぐらして、しりえにののしり騒ぐ人々の群れを、誇らかにながめやった。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
疾翔大力、微笑みしょうして、金色こんじきの円光をもっこうべかぶれるに、その光、あまねく一座を照し、諸鳥歓喜かんぎ充満じゅうまんせり。則ち説いて曰く
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
女のこうべに薔薇の花をかざすことが俺はきらひだ。俺は女に鞭をふりあげ、血みどろの身体をひきづる方が好きなのだ。
狼園 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
大次郎も、こうべをめぐらす。見ると、なるほど、神社の裏手の草むらのなかに、誰が置いたのか新しい葛籠笠がひとつ、そぼ降る雨を吸って、光って。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
叔母が常に武男を子供視して、むしろわれ——千々岩の年よりも世故にけたるこうべに依頼するの多きも、よく知りつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
それにしてもさて何処から下りて行ったものだろうかとこうべをめぐらしたと思うと、彼はわれ知らずくすりと笑った。
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
「正直のこうべに神宿るとはく申した、我は生れて此の方、不正不義の振舞をしたためしはない、天我を憐みたまいてお救い下さるか、あゝ有難しかたじけなし」
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「いや、まったく、そのとおりでがすよ! 金輪際、ほんとのことでがす!」とプリューシキンは、こうべをたれて無性にそれを振りたてながら、言った。
尖頭さき斜に削ぎて采配の代りに持たれ、天下開けて、十九刎の兜の内に行者頭巾に鉢銑はちがね入ったるをこうべに頂き……」
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
われわれのこうべや財布を脅かすものは何でもない。われわれの心霊を脅かすもののことだけを考えればよいのだ。
辰弥は笑ましげにこうべをふり、さあ、私の申すのもすなわちここですて、なるほどあなたの御了簡では、書面進達さえ急に運べば、万事は後日のこととして
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
其勇ましいうめきの声が、真上の空をつんざいて、落ちて四周あたりの山を動し、反ツて数知れぬ人のこうべれさせて、響のなみ澎湃はうはいと、東に溢れ西に漲り、いらかを圧し
漂泊 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
在来の仁義道徳『正直のこうべに神宿る』式のイデオロギーで対抗して行こうとするのは、西洋流の化学薬品に漢法の振出し薬を以て対抗して行くようなものだ。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
今日は十一月四日、打続いての快晴で空は余残なごりなく晴渡ッてはいるが、憂愁うれいある身の心は曇る。文三は朝から一室ひとま垂籠たれこめて、独り屈托くったくこうべましていた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
その慌しい現実世界から、ヒョイとこうべをめぐらして、この暗い地底の流れを覗いて見ると、そこには、地上とは全く縁のない、青白く美しい別世界が開けていた。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「しょうじきもののこうべかみやどるというから、あとで、いいことがあるだろう。」といって、なかまは、ちあがりました。もう、くらくなりかけて、かぜがでました。
ひすいの玉 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「陶への内通大儀なり、汝が蔭にて入道のこうべを見ること一日の中にあり、先へ行きて入道を待て」
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ヨナは生きた地獄の穴に呑みこまれ、水は千尋ちひろの底に彼をひきこんだので、海草はこうべにまとい、あらゆる海の苦患くげんはヨナのうえにはげしく波うった……ヨナは大いに悔いた。
だいこん (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
【昨夜わらわは夢みたりき。山二つ響き高鳴りてこうべに落ち、もはや汝が姿を見るあたわざりき】
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
老人がその胸中を率直に打ち明けて、あなたに済まないと思っている、と云う風にごとめかして云うと、北の方はしずかにこうべを振って、却って夫を気の毒がるのが常であった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
(両腕を組み、こうべを垂れて)降参しました。さあどうぞ、存分になすってください。
都留は手を下げ、こうべを垂れた。双の膝頭が音を立てるかと思うほど震えていた。
晩秋 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
二郎はこうべあげて、しからばかのふびんなる少女おとめもついには犬にかまるべきか。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
と、愛馬のこうべをめぐらした。上背うわぜいのある、たくましい栗毛の四歳馬である。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
「もしこうべをあげなば獅子ししの如くに汝われを追打ち……汝はしばしばあかしする者を入れかえて我を攻め、我に向いて汝のいかりを増し新手に新手を加えて我を攻め給う」とヨブは神の迫撃はくげき盛なるをえん
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
クリスト教世界に危害を与え、のろわれた人のこうべに落ちました。10990
凝乎じっこうべを垂れて私は鉄柵越しにこの不思議な懐かしさを湧かせてくれる、しかも見たことも逢ったこともない薄命な天才の冥福めいふくを祈っていたが、何か墓前に花でも手向たむけて上げようかと考えた。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
雷の響は非常である、余は思わずこうべを垂れて居たところ、其のうちに今までの蝋燭が燃えて了って室は真暗な闇と為ったけど蝋燭の用意は充分だから敢て驚かぬ、悠々と次の蝋燭を取り出そうと
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
正直のこうべに宿るという神を奉祀する神職と、何の深い念慮なき月給取りが、あるいは脅迫あるいは甘言もて強いて人民に請願書に調印せしめ、さて政府に向かっては人民合祀を好んで請願すといい
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
人を打つ石をすてよ——そは汝みずからのこうべに當るであろう。——
並行して血をにじませた幾条かの打ち創のあるものはひそやかに血潮を吹いてゐた。定は静かにこうべを垂れると次々にその創痕に唇を当てて行つた。そのあじわひは塩辛く彼の胸には苦艾にがよもぎに似た悔恨がうずいた。
水に沈むロメオとユリヤ (新字旧仮名) / 神西清(著)
岩松はしたたか者らしいこうべを垂れて、しばらく唇を噛みます。
こうべはしょんぼりと垂れ、棍棒はわきにしまいこんでいる。
相人は不審そうにこうべをたびたび傾けた。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)