おとな)” の例文
「わしは、配所の親鸞でござる……。お裏口にて、先ほどから、しきりとおとないましたが、どなたも出てお越しがない。それによって」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
翌晩、坊舎の窓を叩き、おとなう声がした。雨戸を開けると、昨夜の狸が手につがの小枝をたずさえ、それを室内へ投げ入れて、逃げ去った。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
東は富士河みなぎりて流沙りうさの浪に異ならず。かかる所なればおとなふ人もまれなるに、加樣かやう度々たび/\音信おんしんせさせ給ふ事、不思議の中の不思議也。
民藝館を始めておとなわれる方は、その陳列品の実に九割以上も今までどの美術館にも陳列されたことがない品なのを気附かれるでしょう。
日本民芸館について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
その家の入口に立っておとなうと、今度はいつもとちがった小婢おちょぼが取次ぎに出て、一遍奥に引き返したが、すぐまた出て来て、丁寧に
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
風邪かぜにでも冒された日の枕もとに置いておとなう人もない時の友としてもよし、こんな彼の言葉も継母をよろこばせるのであった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いずれ劣らぬ美しい上品な親娘おやこが、おとなう人も来る人もない淋しい山の中の一軒家で、一体、何をしているのでしょう? そして、形も崩さず
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
庭の山茶花さざんかも散りかけた頃である。震災後家を挙げて阪地に去られた小山内おさない君がぷらとん社の主人を伴い、ともに上京してわたしの家をおとなわれた。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
幕兵とのいくさがあったために、甲府の町に往くこともできなかったが、二三日のうちには、隙を見て妻をおとなおうと心ひそかに喜んでいるところであった。
怪僧 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
銅盥かなだらいに湯を取らせ、綸巻を洗ひかけしに、賀客のおとなふ声あり。其のまゝ片隅に推しやり、手を拭ひながら之を迎へ入る。
元日の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
雪之丞がおとなうと、直ぐに、書斎に通された。武芸者の居間に似合わず、三方は本箱で一杯で、床には、高雅こうが狩野派かのうはの山水なぞが掛けられている。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「ご免」と小声でまずおとない、トントンと二つばかり戸を打った。と、何んたることであろう! その戸がまたも内側へ開き、闇の廊下が現われた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林をおとなうて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
鬼三郎の一念、今こそ思ひ知り給へやと云ひ棄てゝ走り出で、奈美殿の両親の家をおとなひ、驚きて迎へに出で来る継母御を玄関先に引捕へて動かせず。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
久しぶりにある家をおとないて年玉などを贈ったのであるが、二番目の娘の子のまあ背の高いことと驚いたのであります。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
さらさらと筆を走らせて、雁皮薄葉がんぴうすようの何枚かを書きすまして、ホッと一息入れているところへおとなうものがありました。
この篇の稿るや、先生一本を写し、これをふところにして翁を本所ほんじょの宅におとないしに、翁は老病の、視力もおとろえ物をるにすこぶる困難の様子なりしかば
瘠我慢の説:01 序 (新字新仮名) / 石河幹明(著)
彼らは互に離れおりしも、ヨブの災禍を伝え聞きてある時某所に会して相談の結果、共にヨブをおとなうこととなった。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
声のでっかいガラッ八が、精一杯の威儀を作っておとなうと、町内中の新漬しんづけの味に響くようなダミ声で、ドーレと来るべきはずの段取りを、どう間違えたか
独りで寝ることが辛かったので、海端の紅燈家をおとなっておんなと寝た。二十二日には「ヒ」と「タ」とが送別の宴を張ってくれた、その夜「ヒ」の家に泊った。
篠田の寂しき台所の火鉢にりて、首打ち垂れたる兼吉かねきち老母はゝは、いまだ罪も定まらで牢獄に呻吟しんぎんする我が愛児の上をや気遣きづかふらん、折柄誰やらんおとなふ声に
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
奥のかたなる響動どよみはげしきに紛れて、取合はんともせざりければ、二人の車夫は声を合せておとなひつつ、格子戸を連打つづけうちにすれば、やがて急足いそぎあしの音立てて人はぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
丁度一週間ほどおとないも訪われもしないで或る夕方と尋ねると、いつでもきまって飛付く犬がいないので、どうした犬はとくと、潮垂しおたれ返った元気のない声で
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
じかに根岸庵をおとないて華厳の滝壺にて採りたる葉広草、戦塲が原の菖蒲の花など贈る。夜深よふけて家に帰る。
滝見の旅 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
しゅねがわくはおんてんよりたまえ、なんじ右手めてもてたまえるこの葡萄園ぶどうぞの見守みまもらせたまえ、おとなたまえ。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
黄金丸は柴門しばのとに立寄りて、丁々ほとほとおとなへば。中より「ぞ」ト声して、朱目あかめ自ら立出づるに。見れば耳長く毛は真白ましろに、まなこくれないに光ありて、一目みるから尋常よのつねの兎とも覚えぬに。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
いかにも、女中の言うとおり、母の客間サロンおとなう青年の一人に違いないことが美奈子にも、もう明かだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
おとなうことはほとんどないのでこれが鵙屋さんの身内のお方のものであろうとは思わなかったという。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一、二寸に育った鮭の子は、軽い味に人の舌をおとなう。かき揚げの天ぷらが、甚だ結構だ。妻沼橋あたりで釣れる三、四寸に育ったものは、塩焼きがよい。塩蒸しもよい。
魔味洗心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
ひと目下もっかの有様を見聞して、我国文運の命脈はなは覚束おぼつかなしと思い、明治元年のことなり、月日は忘れたり、小川町なる杉田廉卿れんけい氏の宅をおとない、天下騒然た文を語る者なし
蘭学事始再版之序 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
つばめの春を待ってようやく我々をおとなうのに比べて、より以上の忠誠を認めてらねばならぬ、それがこのように有力なる愛鳥者から、新たに忌み嫌われなければならぬというのは
ここをおとなうみちみち私は、深田氏を散歩に誘い出して、一緒にお酒をたくさん呑もう悪い望や、そのほかにも二つ三つ、メフィストのささやきを準備して来た筈であったのに
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
それからミチラ国王ジャナカをおとない、シワ神が持った弓あっていずれの国王もこれをき得ずと聞き、容易たやすくその弓を彎き、その賞として王女私陀(シタ)をめとったところを
毎晩のように老人の許をおとない、彼がやって居る研究の話や、学界がどんな問題を持ってどんな方向へ動いてゆくかなど、老人には至極わかり憎い話をして聞かせるのであったが
仲々死なぬ彼奴 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だが、諸君、先生をおとなうなら、堂々と玄関より訪れたまえ。そして、無事に玄関を通してもらえたら、すなわち諸君の足で廊下を通って主人に会うて、諸君自身の口でしゃべりたまえ。
尋常一様 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
と伊之助がおとないまして、神奈川在からお若と伊之助が尋ねて参ったと申すと、楊枝をくわえておりました勝五郎は恟りいたし、台所へ飛んでまいり両人ふたりの顔をしげ/\とながめましたが
道元は真実の道心のゆえに山門を辞して諸方をおとない、ついに栄西によって法器とされた。が、右にあげた栄西言行の二、三は、道元の実見であるかあるいは伝聞であるか、明らかでない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
いよいよ稽古が始まろうとしたときだった、玄関のほうで人のおとなう声がした。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
これにその奥様も我を隔なきものに思ひたまひてや、また折あらば 遊びに来よといはれしをしほに。日ならず再びおとなひ行しに、方様もさすが我が出入りまではとめ置きたまはざりしと見へて。
葛のうら葉 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
白亜の洋館に行き養魚の有様を見んとおとなえば、ここに偶然にも、僕の旧知、法科大学生福田甚二郎ふくだじんじろう君がいて、種々養魚上の説明をしてくれ、ここの所長をしている谷口利三郎たにぐちりさぶろう氏も出て来られて
われ、一たび相見しことある御方とは知れど、何時何處にての事ともおもひ定め難しといふに、老婦人、我同胞はらから醫師くすしにて拿破里ナポリに居たり、君はボルゲエゼ家の公子と共に弟をおとなひ給ひぬといふ。
町はずれの住んだ家に来て見れば母屋づくりの立派な一棟ひとむねのなかから、しょう吹く音いろがきこえ、おとなうことすらできなかった。近くの家々の人も、網代車あじろぐるま前簾まえすだれの中の生絹の顔を見ることがなかった。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
一匙ひとさじのココアのにほひなつかしくおとなふ身とは知らしたまはじ
桐の花 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
拿翁古戦場拿翁ナポレオンの古戦場をおとなう)
南半球五万哩 (新字新仮名) / 井上円了(著)
なんにもおとなふことのない
さて、近時倉敷市に建てられた倉敷民藝館は、是非おとなわねばならぬ施設で、特に中国の様々な民藝品をここに見られるでしょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そういう彼も旅で集めた書物はいろいろあって、その中の不用なものを売り払いたいと思い立ち、午後から薬研堀をおとなうつもりで多吉の家を出た。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その夜を初めに若衆は、白髯の殿の一行が、館に鳰鳥をおとなうごとに、やはり鳰鳥を訪うて来た。そして彼女に白髯の武士の一挙一動を訊くのであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
待たせておいた車を駆って、いよいよ湖岸西北方、故人が涙をんだ例のマンガン鉱山を、南方の碧空へきくうに仰いだ小山のふもとに、石橋弥七郎氏の墓をおとなう。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
矮鶏ちゃぼが夫婦で連れ添うて餌をあさりに来たことのほかには、いよいよおとなうものなしで、開け放されたいちいちの戸が、おしの如く動かないでいるばかりでした。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)