“狩野派”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
かのうは | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
その時、茂太郎は持って来た行燈を片隅に置くと、そこは本堂の一部の細長い部屋で、壁には狩野派の山水がいっぱいに描かれてある。
“狩野派”の解説
狩野派(かのうは)は、日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。
室町幕府の御用絵師となった狩野正信(狩野氏の祖・藤原南家工藤茂光の子の狩野宗茂の子孫)を始祖とし、その子孫は室町幕府崩壊後は織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家などに絵師として仕え、その時々の権力者と結び付いて常に画壇の中心を占め、内裏、城郭、大寺院などの障壁画から扇面などの小画面に至るまで、あらゆる分野の絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼした。
(出典:Wikipedia)
室町幕府の御用絵師となった狩野正信(狩野氏の祖・藤原南家工藤茂光の子の狩野宗茂の子孫)を始祖とし、その子孫は室町幕府崩壊後は織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家などに絵師として仕え、その時々の権力者と結び付いて常に画壇の中心を占め、内裏、城郭、大寺院などの障壁画から扇面などの小画面に至るまで、あらゆる分野の絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼした。
(出典:Wikipedia)