トップ
>
朋友
>
ほういう
ふりがな文庫
“
朋友
(
ほういう
)” の例文
君
(
きみ
)
ばかりでない、
僕
(
ぼく
)
の
朋友
(
ほういう
)
の
中
(
うち
)
、
何人
(
なんぴと
)
も
未
(
いま
)
だ
此名
(
このな
)
が
如何
(
いか
)
に
僕
(
ぼく
)
の
心
(
こゝろ
)
に
深
(
ふか
)
い、
優
(
やさ
)
しい、
穩
(
おだや
)
かな
響
(
ひゞき
)
を
傳
(
つた
)
へるかの
消息
(
せうそく
)
を
知
(
し
)
らないのである。
湯ヶ原より
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
夫
(
そ
)
れがその
交際
(
つきあい
)
、
朋友
(
ほういう
)
互に交って遊ぶ
小供遊
(
こどもあそび
)
の
間
(
あいだ
)
にも、ちゃんと門閥と云うものを
持
(
もっ
)
て
横風
(
おうふう
)
至極
(
しごく
)
だから、小供心に腹が
立
(
たっ
)
て堪らぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
国民の
膏血
(
かうけつ
)
を分けて貰つて、不義の
栄耀
(
ええう
)
に
耽
(
ふけ
)
り、其手先となつて
昔日
(
むかし
)
の
朋友
(
ほういう
)
の買収運動をさへなさるとは、姉さん、まア、何と云ふ堕落でせうか
火の柱
(新字旧仮名)
/
木下尚江
(著)
続いて
朋友
(
ほういう
)
、門人の銘々が赤彦君の
脣
(
くらびる
)
を霑した。その時僕等は、病弱のゆゑに、師の臨終に参ずることの出来ない
土田耕平
(
つちだかうへい
)
君をおもはざることを得なかつた。
島木赤彦臨終記
(新字旧仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
媒妁人
(
なかうど
)
先
(
ま
)
づいふめでたしと、
舅姑
(
きうこ
)
またいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、
知己
(
ちき
)
朋友
(
ほういう
)
皆いふめでたしと、
渠等
(
かれら
)
は
欣々然
(
きん/\ぜん
)
として新夫婦の婚姻を祝す、婚礼果してめでたきか。
愛と婚姻
(新字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
▼ もっと見る
中々
(
なか/\
)
大人
(
たいじん
)
は知らん
処
(
ところ
)
へ
御来臨
(
ごらいりん
)
のない事は
存
(
ぞん
)
じて
居
(
を
)
りましたが、一
度
(
ど
)
にても先生の
御入来
(
おいで
)
がないと
朋友
(
ほういう
)
の
前
(
まへ
)
も
実
(
じつ
)
に
外聞
(
ぐわいぶん
)
悪
(
わる
)
く思ひます所から、
御無礼
(
ごぶれい
)
を
顧
(
かへり
)
みず
再度
(
さいど
)
書面
(
しよめん
)
を
差上
(
さしあ
)
げましたが
にゆう
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
彼は都会から、生活から、
朋友
(
ほういう
)
から、あらゆる色彩、あらゆる音楽、その種のすべてから
執拗
(
しつあう
)
に自己を封じて、ぢつと自分の小さな世界に黙想してるやうな冷たい暗い詩人なのであつた。
哀しき父
(新字旧仮名)
/
葛西善蔵
(著)
習
(
なら
)
はせんと京都へ
登
(
のぼ
)
せ
堂上方
(
だうじやうかた
)
へ
宮仕
(
みやづかへ
)
させしに同家の
女中
(
ぢよちう
)
お竹と云ふに
密通
(
みつつう
)
なし
末々
(
すゑ/″\
)
の
約束迄
(
やくそくまで
)
して居たりしを
朋友
(
ほういう
)
の中にも其女に心を
懸
(
かけ
)
色々と
云寄
(
いひより
)
しが
早晩
(
いつしか
)
大森右膳
(
おほもりうぜん
)
と深き中になり居ると云ふ事を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
『いや
私
(
わたくし
)
は
貴方
(
あなた
)
の
朋友
(
ほういう
)
ぢや
無
(
な
)
いです。』と、イワン、デミトリチは
枕
(
まくら
)
の
中
(
うち
)
へ
顏
(
かほ
)
を
愈〻
(
いよ/\
)
埋
(
うづ
)
めて
云
(
い
)
ふた。『
又
(
また
)
甚麼
(
どんな
)
に
貴方
(
あなた
)
は
盡力
(
じんりよく
)
仕
(
し
)
やうが
駄目
(
だめ
)
です、もう一
言
(
ごん
)
だつて
私
(
わたくし
)
に
口
(
くち
)
を
開
(
ひら
)
かせる
事
(
こと
)
は
出來
(
でき
)
ません。』
六号室
(旧字旧仮名)
/
アントン・チェーホフ
(著)
何人
(
なんびと
)
が
何用
(
なによう
)
ありて
逢
(
あ
)
ひたしといふにや
親戚
(
しんせき
)
朋友
(
ほういう
)
の
間柄
(
あひだがら
)
にてさへ
面
(
おもて
)
背
(
そむ
)
ける
我
(
われ
)
に
對
(
たい
)
して
一面
(
いちめん
)
の
識
(
しき
)
なく
一語
(
いちご
)
の
交
(
まじ
)
はりなき
然
(
し
)
かも
婦人
(
ふじん
)
が
所用
(
しよよう
)
とは
何事
(
なにごと
)
逢
(
あひ
)
たしとは
何故
(
なにゆゑ
)
人違
(
ひとちが
)
ひと
思
(
おも
)
へば
譯
(
わけ
)
もなければ
彼處
(
かしこ
)
といひ
此處
(
こゝ
)
といひ
乘
(
の
)
り
廻
(
まは
)
りし
方角
(
はうがく
)
の
不審
(
いぶか
)
しさそれすら
事
(
こと
)
の
不思議
(
ふしぎ
)
なるに
頼
(
たの
)
みたきことあり
足
(
あし
)
を
別れ霜
(旧字旧仮名)
/
樋口一葉
(著)
銀之助は
静
(
しづ
)
と結婚する
積
(
つも
)
りであつたけれど教育が無いとか身分が
卑
(
いや
)
しいとかいふ非難が親族や
朋友
(
ほういう
)
の間に
起
(
おこ
)
り
節操
(新字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
アー
僕
(
ぼく
)
はね
開成学校
(
かいせいがくこう
)
の
書生
(
しよせい
)
ぢやがね、
朋友
(
ほういう
)
共
(
ども
)
の
勧
(
すゝ
)
めに
依
(
よ
)
れば
何
(
ど
)
うも
君
(
きみ
)
は
世辞
(
せじ
)
が
無
(
な
)
うて
不可
(
いか
)
ぬ、
些
(
ち
)
と
世辞
(
せじ
)
を
買
(
か
)
うたら
宜
(
よ
)
からうちうから、ナニ
書生輩
(
しよせいはい
)
に
世辞
(
せじ
)
は
要
(
い
)
らぬ
事
(
こと
)
ではないかと
申
(
まう
)
したら
世辞屋
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
それから
二人
(
ふたり
)
は
連立
(
つれだ
)
つて
學校
(
がくかう
)
へ
行
(
い
)
つた。
此以後
(
このいご
)
自分
(
じぶん
)
と
志村
(
しむら
)
は
全
(
まつた
)
く
仲
(
なか
)
が
善
(
よ
)
くなり、
自分
(
じぶん
)
は
心
(
こゝろ
)
から
志村
(
しむら
)
の
天才
(
てんさい
)
に
服
(
ふく
)
し、
志村
(
しむら
)
もまた
元來
(
ぐわんらい
)
が
温順
(
おとな
)
しい
少年
(
せうねん
)
であるから、
自分
(
じぶん
)
を
又無
(
またな
)
き
朋友
(
ほういう
)
として
親
(
した
)
しんで
呉
(
く
)
れた。
画の悲み
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
お
断
(
ことわ
)
りのみにて
今日
(
けふ
)
も
御入来
(
おいで
)
は
有
(
あ
)
るまいと
存
(
ぞん
)
じましたが、
図
(
はか
)
らざる
所
(
ところ
)
の
御尊来
(
ごそんらい
)
、
朋友
(
ほういう
)
の
者
(
もの
)
に
外聞
(
ぐわいぶん
)
旁
(
かた/″\
)
誠に
有難
(
ありがた
)
い事で
恐入
(
おそれい
)
ります……
何
(
ど
)
うもお
身装
(
みなり
)
の
工合
(
ぐあひ
)
、お
袴
(
はかま
)
の
穿
(
はき
)
やうから
更
(
さら
)
にお
飾
(
かざ
)
りなさらん所と
云
(
い
)
ひ
にゆう
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
ギシリ/\とやつて
参
(
まゐ
)
りハタと
朋友
(
ほういう
)
に
行逢
(
ゆきあ
)
ひまして、甲
七福神詣
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
“朋友(ポンユー)”の解説
ポンユー(朋友、péngyou)は日本では外来語に分類できる語で、「友人・友達」を意味する中国語が語源である。「ポン友」(ポンゆう)とも表記される。昭和期前半頃まで会話で「あいつは俺のポンユーだ」等とよく使われた語である。しかし近年は高齢者にしか通じない。
(出典:Wikipedia)
朋
漢検準1級
部首:⽉
8画
友
常用漢字
小2
部首:⼜
4画
“朋友”で始まる語句
朋友間