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持
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じ
ふりがな文庫
“
持
(
じ
)” の例文
この程度に、生活を
持
(
じ
)
していることは、彼としては、かなり自戒を保って、生れ変ったほど、身を修めているつもりなのである。
宮本武蔵:04 火の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
常に一切の事物を自個の標準によって判断し、自個以外に偉人を認めざりし態度を
持
(
じ
)
したるをもって、絶対的傍観の見地に立てりと断ぜんと欲す。
絶対的人格:正岡先生論
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
貧なればよく質素に
甘
(
あまん
)
ずといへども
僅少
(
きんしょう
)
の利を得れば
直
(
ただち
)
に浪費する
癖
(
へき
)
ある事なり。常に中庸を
尚
(
とうと
)
び極端に
馳
(
は
)
する事を恐るる道徳観を
持
(
じ
)
する事なり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
もっとも俳句界の盛時というべき元禄と天明とで比較すると、元禄は
持
(
じ
)
で、天明は京の勝なのですから、全体の上で京の勝というても宜しいのです。
俳句上の京と江戸
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
燕将
張武
(
ちょうぶ
)
悪戦して敵を
却
(
しりぞ
)
くと
雖
(
いえど
)
も、燕軍遂に
克
(
か
)
たず。
是
(
ここ
)
に於て南軍は
橋南
(
きょうなん
)
に
駐
(
とど
)
まり、北軍は橋北に駐まり、
相
(
あい
)
持
(
じ
)
するもの数日、南軍
糧
(
かて
)
尽きて、
蕪
(
ぶ
)
を採って食う。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
(
新聞
(
しんぶん
)
には
講演
(
かうえん
)
の
梗概
(
かうがい
)
が
出
(
で
)
て
居
(
ゐ
)
たが、
余
(
よ
)
は
新聞
(
しんぶん
)
の
記事
(
きじ
)
には、
信用
(
しんよう
)
を
拂
(
はら
)
はぬ一
人
(
にん
)
であるので、
證
(
しよう
)
とせぬ)
余
(
よ
)
は
余
(
よ
)
として、
生意氣
(
なまいき
)
ながら
左
(
さ
)
の
如
(
ごと
)
き
説
(
せつ
)
を
持
(
じ
)
するのである。
探検実記 地中の秘密:29 お穴様の探検
(旧字旧仮名)
/
江見水蔭
(著)
帆村は、お化け鞄については、前章に述べたような見解を
持
(
じ
)
していた。しかし彼は、この鞄の
素性
(
すじょう
)
についてまだ突き留めていないことは、田鍋課長の場合と同じだった。
鞄らしくない鞄
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
それは天性
英雄
(
えいゆう
)
豪傑
(
ごうけつ
)
ならぬものが、英雄豪傑を気取り、
傍若無人
(
ぼうじゃくぶじん
)
を
衒
(
てら
)
い、なに
彼奴
(
きゃつ
)
らがという態度を
持
(
じ
)
することは、あるいはこの方法で成功するものもあるか知らぬが
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
鄙近
(
ひきん
)
にいえば潔癖、突込んで言えばこれが正しい事を好む心と連関している。この性情が自分の貞操を正しく
持
(
じ
)
することの最も大きな理由になっているように考えられる。
私の貞操観
(新字新仮名)
/
与謝野晶子
(著)
又身を
持
(
じ
)
すること謹厳で、倹約を旨とし、大臣の位に六年の間いたけれども、家にあっても、外にあっても、大臣の作法を振舞わず、外出の時は前駆を具して行くことはめったになく
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を
持
(
じ
)
していた。
彼岸過迄
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
卑俗低調の
下司
(
げす
)
趣味が流行して、詩魂のない末流俳句が歓迎された
天明
(
てんめい
)
時代に、独り芭蕉の精神を
持
(
じ
)
して孤独に世から超越した蕪村は、常に
鬱勃
(
うつぼつ
)
たる不満と
寂寥
(
せきりょう
)
に耐えないものがあったろう。
郷愁の詩人 与謝蕪村
(新字新仮名)
/
萩原朔太郎
(著)
恭倹
(
きょうけん
)
己
(
おのれ
)
を
持
(
じ
)
するつもりだ。
山羊髯編輯長
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
円満具足
(
えんまんぐそく
)
の己れを
持
(
じ
)
した
傾ける殿堂
(新字旧仮名)
/
上里春生
(著)
公
(
おおやけ
)
に奉ずること謹慎、王室につくすこと忠誠、身を
持
(
じ
)
すること倹素。——そう三つの自戒を以て終始していたといえよう。
三国志:12 篇外余録
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
慨世の
哭
(
なげき
)
、憂国の涙、二人
相
(
あい
)
持
(
じ
)
して、
泫然
(
げんぜん
)
として泣きしが、
乃
(
すなわ
)
ち酒を
酌
(
く
)
みて
同
(
とも
)
に
盟
(
ちか
)
い、死を以て自ら誓い、
済南
(
せいなん
)
に
趨
(
はし
)
りてこれを守りぬ。景隆は
奔
(
はし
)
りて済南に
依
(
よ
)
りぬ。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
しかし公平に考えて見まするに、やはり無勝負の
持
(
じ
)
というが正当でありましょう。
俳句上の京と江戸
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
後世の男子が
我儘
(
わがまま
)
に
玩弄物
(
がんろうぶつ
)
の如く女子を選ぶよりも、更に数層
甚
(
はなはだ
)
しい強圧即ち暴力を以て女子を
掠奪
(
りゃくだつ
)
したのであるから、当時の女子に純潔を
持
(
じ
)
することの出来なかった事は想像が附く。
私の貞操観
(新字新仮名)
/
与謝野晶子
(著)
「だからいけない!」鴻山はいよいよ説を
持
(
じ
)
した。「それほど、阿波の力が大きいのだ、将軍家でも
怖
(
おそ
)
れているのだ」
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
卑
(
ひく
)
うして以て みづから
持
(
じ
)
す。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
元々、九州九ヵ国の諸豪は
相譲
(
あいゆず
)
らぬ対立を
持
(
じ
)
していたし、またとくに、少弐、大友の二氏は、菊池党とはまったく違う時勢観と利害の上にも立っていた。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、いくばくもなく、南都に遊び洛内に
住
(
じゅう
)
し、いつか
東寺
(
とうじ
)
の
長者
(
ちょうじゃ
)
、醍醐の
座主
(
ざす
)
にまで補せられて、
四曼三密
(
しまんさんみつ
)
の
棟梁
(
とうりょう
)
と、人もゆるし、みずからも
持
(
じ
)
すこの
文観
(
もんかん
)
。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
自ら高く
持
(
じ
)
すのではないが、秀吉の平常の言そのままを以てすれば、半兵衛は左の腕と思うぞ、官兵衛はわが右腕だぞと、
酒興
(
しゅきょう
)
のうちにもいっていた主人である。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
御代
(
みよ
)
を
鎮
(
しず
)
め、世を護りたまわんがために、悪を
掃
(
はら
)
い、魔を追うところの
降魔
(
ごうま
)
の剣であり——また、人の道を
研
(
みが
)
き、人の上に立つ者が自ら
誡
(
いまし
)
め、自ら
持
(
じ
)
するために
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北越にはみずから、北越の鎮をもって任ずる謙信以来の上杉家が、高く
持
(
じ
)
しつつ、しかも独自の経略をもって、この大風雲期を乗り越えてゆかんとする風があった。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
高貞は心の眼をくばって、終始、鎌倉の代官たる自分を
持
(
じ
)
していた、というよりも帝のおことばといい、道誉と清高のあいだなども、仔細に、
猜疑
(
さいぎ
)
していたのだった。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かれは、
忍
(
にん
)
を守って人と
為
(
な
)
り、
忍
(
にん
)
を
持
(
じ
)
して、強国の間に生き、忍に
剋
(
か
)
って今日の位置を築いた。消極的な忍ではなく、積極的な大希望を遠くに期している忍であった。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その情念の上に、理念からも、堂々たる正論を掲げて、
衆判
(
しゅうはん
)
に問うたのであるから、さしも自主
緘黙
(
かんもく
)
を
持
(
じ
)
していた諸将も、秀吉の主張にうごかされたのは当然であった。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも、夫婦共にまだ、どこか以前の気位を
持
(
じ
)
していて、そう
垢
(
あか
)
じみた生活に疲れてもいない。
死んだ千鳥
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
荊州九郡の内、残るは麦城の一
窟
(
くつ
)
のみ、今やことごとく呉軍でないものはありません。しかも内に
糧
(
かて
)
なく、外に救いなき以上、いかに将軍が節を
持
(
じ
)
しても無駄ではありませんか。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いえいえ、
満
(
まん
)
を
持
(
じ
)
してうごかぬようす、敵の気ごみはすさまじゅう見うけられます」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
探題の前でもたかく
持
(
じ
)
してくだらず、正成の幼時に兵学を教授したことはあるが、千早の籠城などには一切関知してないといい、その理由として、自分は元々、北条一族の者である
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さきに
践祚
(
せんそ
)
あらせられた持明院統の天子のお次には、ぜひとも、准后さまのお腹になる
成良
(
なりなが
)
親王を
推
(
お
)
して皇太子におすえ申しあげたいものと、いまからその案などを
持
(
じ
)
しております。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いま天下
信長公
(
のぶながこう
)
の
亡
(
な
)
きのちは、西に
秀吉
(
ひでよし
)
、東に
徳川
(
とくがわ
)
、
北条
(
ほうじょう
)
、
北国
(
ほっこく
)
に
柴田
(
しばた
)
、
滝川
(
たきがわ
)
、
佐々
(
さっさ
)
、前田のともがらあって、たがいに、
中原
(
ちゅうげん
)
を
狙
(
ねら
)
うといえども、いずれも
満
(
まん
)
を
持
(
じ
)
してはなたぬ
今日
(
こんにち
)
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかし
麾下
(
きか
)
の軍団は、幾段、幾十隊か数も知れない。そしてそれぞれ
金甲
(
きんこう
)
鉄鎗
(
てっそう
)
の
燦然
(
さんぜん
)
たる部将のもとに
楯
(
たて
)
をならべ——ござんなれ
烏合
(
うごう
)
の賊——と
弩弓
(
どきゅう
)
の
満
(
まん
)
を
持
(
じ
)
して待ちかまえていた。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
謹厳おのれを
持
(
じ
)
していやしくもせず、日頃はあまり大きな声すら出さない孔明が、断乎、斬れ! と命じたのであるから、人々みな
慄然
(
りつぜん
)
とすくみ立って、どうなることかと思っていた。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いわゆる院政の権をかたく
持
(
じ
)
され、朝廷をすら、意に
介
(
かい
)
し給わぬ御存在です。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
左衛門は、彼らがなお、首尾両端を
持
(
じ
)
し、秀吉方へつこうか、家康方へ組そうか、一城の方向としてよりも、自分自分の方途として、心のうちで迷っているらしいものを見のがせなかった。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、かたく
持
(
じ
)
しているふうであると、さぐりの者は城中へ告げて来ている。
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なども人いちばい意識に
濃
(
こ
)
い彼で、時流の武人どもからいわせれば、
旧
(
ふる
)
い武将型と笑うかもしれないほど名を重んじ、またつねに源家の
嫡流
(
ちゃくりゅう
)
たることを、ほこり高く
持
(
じ
)
している義貞でもある。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
よくこの地方を治めて来たという一事だけでも、彼が尋常一様な凡物でないことは証し得て余りがある。まして麾下百錬の精鋭はなお“滝川衆”の名を
持
(
じ
)
して誇る剛強揃いでもあるにおいては。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仲間の見ている手前もあるが、平常でも、主持ちの士とか、少し身分のある武士に対すと、下風にはつかぬぞ、
諂
(
へつら
)
いはせぬぞ——と殊さらに態度を
持
(
じ
)
して示す——野武士たちの通有性でもあった。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後見の父親房は、あの「神皇正統記」の
著者
(
ちょしゃ
)
でもあった。それでもわかるように身を
持
(
じ
)
すことみずからきびしく、神国、皇室、万世一系を
緯
(
い
)
とする主義のほかには生きがいもないかのような人である。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
満
(
まん
)
を
持
(
じ
)
す——
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
持
常用漢字
小3
部首:⼿
9画
“持”を含む語句
心持
持上
気持
住持
矜持
金持
扶持
持出
癇癪持
家持
兇状持
持合
持来
御扶持
受持
所持
面持
迫持
岡持
維持
...