しずか)” の例文
此方こなたは愈大得意にて、ことさらしずかに歩めば、二人は遂に堪へ兼ねて、言葉をかけ、予の成功を祝せし後、「何処にて釣り候ぞ」と問へり。
釣好隠居の懺悔 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
しかし考えて御覧なさいまし。お思い当りあそばす事がありは致しませんか。(画家こうべを垂る。令嬢はしずかに画家のかたわらより離れ去る。)
さいの出た跡で、更に酒を呼んだ宗右衛門は、気味の悪い笑顔えがおをして五百を迎える。五百はしずか詫言わびごとを言う。主人はなかなかかない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「お葉さん、寒いだろう。此方こっちへ来てお当りな。」と、お杉はしずかに焚火のそばへ寄った。お葉は岩に腰をかけたままで、返事もなかった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
アンドレイ、エヒミチはこのせつなる同情どうじょうことばと、そのうえなみだをさえほおらしている郵便局長ゆうびんきょくちょうかおとをて、ひど感動かんどうしてしずかくちひらいた。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
麓へ着くと怪物は張をおろして、己の胸のあたりの毛を一掴み抜いてそれを張の手に握らししずかに山の上へ帰って往きました。
人蔘の精 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
中川よりもお登和嬢が如何いかばかり嬉しく感じけんニッコと笑いてしずかに坐を立ち「兄さん、何かこしらえて晩の御飯を小山さんに差上げましょうか」
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
元は、何とか云うまち屠者としゃだったが、偶々たまたま呂祖ろそに遇って、道を学んだと云うのである。それがすむと、道士は、しずかに立って、廟の中へはいった。
仙人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
道衍の峻機しゅんき険鋒けんぼうを以て、しずかに幾百年前の故紙こしに対す、縦説横説、はなはれ容易なり。是れ其のる可き無き所以ゆえんなり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
媒妁夫妻は心嬉しく、主人は綿絽めんろの紋付羽織に木綿茶縞の袴、妻は紋服もんぷくは御所持なしで透綾すきやの縞の単衣にあらためて、しずかに新郎新婦の到着を待った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その間に鶴が幾羽かしずかに歩みながら誠に高い清い声を放って居るです。その光景に寒さも忘れて幾つかの歌が出来ました。二つばかり申しましょう。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
KはBの体を、白い床の上にしずかに横たわらせた。赤いネクタイが、窓から洩るる鈍色にびいろ光線ひかりに黒ずんで見えた。背の高い黒い姿が夜の色より黒かった。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
しずかに進み寄って美留藻の似せ紅矢に敬礼をしまして、それから先ず脈を見ましたが何ともないので、これならば死ぬような事はあるまいと安心をしました。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
おせんはかかえた人形にんぎょうを、ひがしけて座敷ざしきのまんなかてると、薄月うすづきひかりを、まともにけさせようがためであろう。おとせぬほどに、まど障子しょうじしずかはじめた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
この間に、早瀬、ベンチを立つ、お蔦縋るようにあとにつき、双方涙の目に月を仰ぎながらしずかにベンチを一周す。お蔦さきに腰を落し、立てる早瀬のたもとを控う。
湯島の境内 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しずかに身を起す。)譬えば下手な俳優があるきっかけで舞台に出て受持うけもちだけのせりふ饒舌しゃべり、周匝まわりの役者に構わずにうぬが声をうぬが聞いて何にも胸に感ぜずに楽屋に帰ってしまうように
「あなた。ほんとウ。」と君江はたくみに睫毛の長い眼の中をうるませてしずか俯向うつむいた。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
(画家しずかに娘の前にひざまずき、娘を見上ぐ。娘両手にて画家の目をふさぎ、顔次第に晴やかになりて微笑み、少し苦情らしき調子にて。)
講じおわったのち、貞固はしばら瞑目めいもく沈思していたが、しずかって仏壇の前に往って、祖先の位牌の前にぬかずいた。そしてはっきりした声でいった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
漁史は、しずかに身を起し、両腕こまねきてかうべを垂れしまま、前に輪を為せる綸を埋めんともせず、小ランプに半面を照されて、唯深く思いに沈むのみなり。
大利根の大物釣 (新字新仮名) / 石井研堂(著)
お杉は痩せた手をあげて差招さしまねくと、お葉はさながら死神のむかいを受けた人のように、ただふらふらと門口かどぐちへ迷い出た。お清もつづいて追って出ると、ばばあしずかみかえって
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かれ書見しょけんは、イワン、デミトリチのように神経的しんけいてきに、迅速じんそくむのではなく、しずかとおして、ったところ了解りょうかいところは、とどまとどまりしながらんでく。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
そこでつぼめて、逆上のぼせるばかりの日射ひざしけつつ、袖屏風そでびょうぶするごとく、あやしいと見た羽目の方へ、袱紗ふくさづつみを頬にかざして、しずかに通る褄はずれ、末濃すそごに藤の咲くかと見えつつ。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それと引違えてしずかに現れたのは、むらさきの糸のたくさんあるごくあらしま銘仙めいせんの着物に紅気べにっけのかなりある唐縮緬とうちりめんの帯をめた、源三と同年おないどしか一つも上であろうかという可愛かわいらしい小娘である。
雁坂越 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
(右手扉の方へかんとする時、死あらわれ、しずか垂布たれぎぬうしろにはねて戸口に立ちおる。ヴァイオリンは腰に下げ、弓を手に持ちいる。驚きてたじたじとさがる主人を、死はしずかに見やりいる。)
ある時、高等小学の修身科で彼は熱心に忍耐を説いて居たら、生徒の一人がつか/\立って来て、教師用の指杖さしづえを取ると、突然いきなりはげしく先生たる彼のせなかなぐった。彼はしずかに顧みて何をると問うた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
(娘をいだく。)己が悪かった。勘忍してくれい。(娘は顔を画家の胸に押付く。画家はしずかに娘の髪を撫づ。娘忽ち欷歔ききょす。画家小声にて。)
やがて落葉を踏む音して、お杉ばばあ諷然ひょうぜんと帰って来た。男は黙って鳥をかじっていた。二人共に暫時しばしは何のことばをも交さなかったが、お杉の方からしずかに口を切った。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お時婆あさんも春も兵卒ほど飯を食いそうにはない。石田はすぐにお時婆あさんの風炉敷包の事を思い出した。そしてしずかにノオトブックを将校行李のうちへしまった。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
(首を振りつつしずかに去る。)思えば人というものは、不思議なものじゃ。
彼奴きゃつの力に応じて、右に左にあしらツて、腹を横にしても、尚時々暴れるのを、だまして水面をしずかにすーツと引いて来て、手元に寄せる、其の間の楽みといふたら、とてもお話しにならんですな。
元日の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
彼が千歳村に引越したあくる月、M君は雑誌に書くりょうに彼の新生活を見に来た。丁度ちょうど樫苗かしなえを植えて居たので、ろく/\火の気の無い室に二時間も君を待たせた。君はいかる容子もなくしずかに待って居た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
になるとかれしずか厨房くりやちかづいて咳払せきばらいをしてう。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
手をもって涙をぬぐいつつしずかに謙三郎を顧みたり。
琵琶伝 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一体これはどうした次第と、いひながら取り出すは古代木綿の烟草入、しずかに一服吸ひ付くるをぢつと見つめて募るは恋、おや清さんの烟管キセルも伊勢新なのねえ、ええこれはといひ掛けしが
そめちがへ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかし成善は今はしずかにこれを待つことが出来なくなったのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)