庖丁ほうちょう)” の例文
十五日の中元には荷葉飯かようめしを炊き、刺しさばを付けるのが習わしである、おせんも久しぶりに庖丁ほうちょうを持って鯖を作り、膳には酒をつけた。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
右手にとぎすました庖丁ほうちょうをもって、私をまな板の上にのせ、すんでのことに切ろうとしたとき、私はあまりの苦しさに大声をあげて
なまのままの肉やロースにしたのや、さまざまの獣肉じゅうにく店頭みせさきつるした処には、二人のわかい男がいて庖丁ほうちょうで何かちょきちょきと刻んでいた。
港の妖婦 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それ御前の御機嫌ごきげんがわるいといえば、台所のねずみまでひっそりとして、迅雷じんらい一声奥より響いて耳の太き下女手に持つ庖丁ほうちょう取り落とし
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
先ず庖丁ほうちょうって背の方の首の処をちょいとりまして中へ指を入れて鶏の前胃ぜんい抽出ひきだしました。あの通りスルスルと楽に出ます。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
彼はむしろ生死を界する天地の法則に怒りを含んで再び老の手に庖丁ほうちょうを取り上げた。ルンヌスの田舎街に新らしい小さな料理場が出来た。
食魔に贈る (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
伯父が、スープにした鶏の骨に庖丁ほうちょうを二、三度入れて、それを池へもって行くと、鯉がみんな浮いて来る。そしてその骨をうのである。
由布院行 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
あの人はなべ庖丁ほうちょうも敷蒲団も置いて行ってしまった。一番なつかしく、一番厭な思い出の残った本郷の酒屋の二階を私は思い出していた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
枕刀まくらがたなにした小さなゾーリンゲンの庖丁ほうちょうをとりあげ、いきなり、ぐさりとかぼちゃの横腹につき立てて、大吉たちをおどろかした。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
お民が家のものを呼び集めて季節がらの真桑瓜まくわうりでも切ろうと言えば皆まで母親には切らせずに自分でも庖丁ほうちょうを執って見たりして
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
まさか亭主が庖丁ほうちょうを持つのを見てゐる訳に行かないから、結局自分がその二杯酢を拵へて、いや/\ながら一緒にたべることになつてしまふ。
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
おんな亭主ていしゅも、おじいさんも、叔母おばさんも、それがいいといったので、おんなは、さっそく庖丁ほうちょうってきて、っ二つにすいかをってみました。
初夏の不思議 (新字新仮名) / 小川未明(著)
運び出づる杯盤の料理は善四郎が念入りの庖丁ほうちょう、献酬いまだ半ばならず早くも笑いさざめく声々を、よそに聞きて光代は口惜しげに涙ぐみぬ。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
のこぎりとか庖丁ほうちょうとかいうものを知って居りますが、まだ見たことがありません。そうすると、吉ちゃんが、喰いついて切ろうと申しました。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「おせい様、わたしは久助の庖丁ほうちょうが大好きなのです。ねえ、おせい様、あいつを磯屋の料理人いたばによこしてくれませんかねえ」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
彼はただ頭ばかり大きい、無気味なほどせた少年だった。のみならずはにかみ易い上にも、ぎ澄ました肉屋の庖丁ほうちょうにさえ動悸どうきの高まる少年だった。
暁方あけがた近く屠者はでっかい庖丁ほうちょうぎ、北のかた同道でやって来て箱の戸を明け、「灰色の坊様出てきやれ、今日こそお前の腸を舌鼓打って賞翫しょう」
幸に鮓久すしきゅう庖丁ほうちょうは評判がかったので、十ばかり年のわかい妻を迎えて、天保六年にせがれ豊吉とよきちをもうけた。享和三年うまれの久次郎は当時三十三歳であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大台所は、かみしもの武士と、のりの硬い法被を着た小者たちで、戦場のように、庖丁ほうちょうが光った。賄所まかないじょの裏門からは、何度となく、馬が駈け、馬が帰ってくる。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
台所では皿鉢さらばちのふれ合う音、庖丁ほうちょうの音、料理人や下女らの無作法な話し声などで一通り騒がしい上に、ねこ、犬
竜舌蘭 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ず時間前は、当日も六人の畜養員が、庖丁ほうちょういだり、籠を明けたり、これでなかなか忙しく立ち働きました。
爬虫館事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その道具というのは、一束の細引と、鉄製のかんと、大小幾通りの庖丁ほうちょうと、小刀と、小さなのこぎりなどのたぐいであります。
よく切れるいい庖丁ほうちょう、大根おろし、わけてもかつおぶしを削るかんなのごとき、どれも清潔で、おのおの充分の用に耐えるべき品が用意されていないように思う。
味覚馬鹿 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
そこでおばあさんは、台所だいどころから庖丁ほうちょうってて、うりを二つにろうとしますと、うりはひとりでに中からぽんとれて、かわいらしい女の子がとびしました。
瓜子姫子 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
身を起して背向うしろむきになったが、庖丁ほうちょうを取出すでもなく、縁台の彼方あなたの三畳ばかりの住居すまいへ戻って、薄い座蒲団ざぶとんかたわらに、ちらばったように差置いた、煙草たばこの箱と長煙管ながぎせる
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「私は東京へ来て、商業これに取り着くまでには、田町で大道に立って、庖丁ほうちょうを売ったこともあるぞえ。」
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
頭がしぜん台のほうへ垂れさがって、ジャガイモが眼のなかでちらつき、庖丁ほうちょうが手からずり落ちる。
ねむい (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
藤木さんがそんな戯談じょうだんをいった時に、唐茄子の中にははいっていたものがあったのだった。あんまり大きくなるが様子が変だからと、庖丁ほうちょうを入れたら小蛇がれて出た。
わしはあわてて、その鶏を捕まえて、今度は鶏の首を打ち切ろうと思って地べたに踏みつけて庖丁ほうちょうを持って今にも切ろうとしたのだよ。鶏は変な目つきをしてわしを見た。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
山路愛山やまじあいざん氏が何かの雑誌に蕎麦のことを書いて、われわれの子供などは蕎麦は庖丁ほうちょうで切るものであると云うことを知らず、機械で切るものと心得て食っているとか云ったが
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
庖丁ほうちょうがよく切れるかどうかをあらためる。彼はもう地べたの上にわらをひろげてしまった。女ども、お神さんと隣の神さんが、あわてふためいているのに、彼は儼然げんぜんとしている。
教養人は、スプーンで、林檎りんごを割る。それにはなにも意味がないのだ。比喩ひゆでもないのだ。ある武士的な文豪は、台所の庖丁ほうちょうでスパリと林檎を割って、そうして、得意のようである。
細君は焜炉しちりんあおいだり、庖丁ほうちょうの音をさせたり、いそがしげに台所をゴトツカせている。
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
こういう人たちは、氷店に寄ったり、瓜店うりみせの前で庖丁ほうちょうで皮をむいてもらって立ち食いをしたり、よせ切れの集まった呉服屋の前に長い間立ってあれのこれのといじくり回したりした。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
スケソウだらである。凍ってコチコチになっているから、まだ庖丁ほうちょうが立たないのだ。
黄色い日日 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
定子はすっかり喜んでしまって、小さな手足をまめまめしく働かしながら、「はいはい」といって庖丁ほうちょうをあっちに運んだり、さらをこっちに運んだりした。三人は楽しく昼飯の卓についた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そこで料理人は転手古舞てんてこまいで、材料の吟味はもとより、ろくろく庖丁ほうちょうも研ぐひまがないという景気になる。つまり濫訳らんやくの弊が生じるわけだ。もっともこれは、何も飜訳文芸に限った話ではない。
翻訳のむずかしさ (新字新仮名) / 神西清(著)
それでも七輪や鍋、薬鑵やかん庖丁ほうちょう俎板まないた、茶碗などが揃ったのはつい最近のことである。そしてどうやらいまのところはこの生活を維持している。けれども僕の不安定な生活も久しいものである。
落穂拾い (新字新仮名) / 小山清(著)
郭公は姉なるがある時いもを掘りて焼き、そのまわりのかたきところを自ら食い、中のやわらかなるところを妹に与えたりしを、妹は姉の食うぶんは一層うまかるべしと想いて、庖丁ほうちょうにてその姉を殺せしに
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一丁の豆腐ぐらいな大きさの金玉糖きんぎょくとうの中に、金魚が二疋いて見えるのを、そのまま庖丁ほうちょうの刃を入れて、元の形をくずさずに、皿に移したものであった。宗助は一目見て、ただ珍らしいと感じた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼の手は将軍内廷の小刀庖丁ほうちょうより、幕閣日用の紙にまで、妖僧の品行より俳優の贅沢ぜいたくにまで、婦女子の髪飾より、食膳の野菜にまで、小童のたこの彩色より、雲助くもすけ花繍かしゅうまで、およそ社会生活の事
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「それに、商売柄、縄にも庖丁ほうちょうにも不自由があるわけはねえ」
げと出されし庖丁ほうちょう大きけれ
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
お高はつい今しがたまでの浮き浮きした気持が、かなしいほど重たく沈んでゆくのを感じながら、庖丁ほうちょうを取って魚を作りはじめた。
日本婦道記:糸車 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
庖丁ほうちょうやナイフで手をった時塩を塗っておく代りにお砂糖の固まりを押付けて疵口きずぐちへよく浸み込ませておけばむような事はありません。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
まさか亭主が庖丁ほうちょうを持つのを見てゐる訳に行かないから、結局自分がその二杯酢を拵へて、いや/\ながら一緒にたべることになつてしまふ。
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
私は塩たれたメリンスの帯の結びめに、庖丁ほうちょう金火箸かなひばしや、大根り、露杓子つゆじゃくしのような、非遊離的ひゆうりてきな諸道具の一切いっさいはさんだ。
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
幾度か庖丁ほうちょう宛行あてがって、当惑したという顔付で、しまいには口を「ホウ、ホウ」言わせた。復た、お仙は庖丁を取直した。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
庖丁ほうちょう砥石といしでしかとげないと思っていた茂緒に、茶碗のいとじりで庖丁がとげることを教えてくれたのも扶佐子だった。即席の漬物つけもののつけかたも彼女に教わった。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
ははは、勝手に道楽で忙しいんでしてな、ついひまでもございまするしね、なまけ仕事に板前いたまえ庖丁ほうちょうの腕前を
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)