じっ)” の例文
茫然ぼうぜんとしたさまして、運転手が、汚れた手袋の指の破れたのをじっている。——掌に、銀貨が五六枚、キラキラと光ったのであった。
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あたかも戸外の天気の様に、それが静かにじっと働らいていた。が、その底には微塵みじんごとき本体の分らぬものが無数に押し合っていた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
男は少しく眉をひそめて、お杉の死顔をじっと眺めていた。市郎は念の為に脈を取って見たが、これも手当を施すべき依頼たのみは切れていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私は其面そのかおじっと視ていた。すると、何時いつの間にか母がそばへ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
目をじっと据え、癖のある嘲弄的な口元で、しつこく繰返した。押し問答の後、その特高は書類鞄の口をあけ、数枚の写真をとり出した。
一九三二年の春 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
乳母は、伏目にじっと赤児の顔を見ていた。頭がぼうとしているらしくわりの悪いところがあったので、疲れている、と、思った。
童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
嬉々として、梅作が小さいをひらいている、——淋しげではあるが、お咲の顔も、自分をゆるすかのようなで、じっと見ている。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
額は血がのぼって熱し、眼も赤く充血したらしい? ここに倒れても詩の大和路だママよとじっと私は、目をつむってしばらく土に突っ立っていた。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
女はたもとを払って、サッと平手の目隠し、平次はわずかにそれを目の前で押えて、夕闇にすかしてじっと見ましたが、何を考えたか
人生のこと、恋愛のこと、お天気のこと、文学のこと、女は何でもとり混ぜて喋り、それからじっと遠方をながめる顔つきをする。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
それこそじっとしてはおりませんはずですのに、一向表面にあらわれて来ない処をみると、事によったらもう死んじまっているかも知れません
情鬼 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
沈黙の中でじっと虚空から見つめているものがある気がして、なにか由々しいおぞましげな力が、ぞくぞくと身の上に襲いかかってくるのを感じた。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
と、洗い髪をそのまま、チョンピンにして、白い大幅のリボンを、額の上へ、大きな蝶のように結んで、紫のはかま胸高むなたか穿いている錦子をじっと見て
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
彼は町から以来と云うものは、全く不安にとざされたままで、ただじっと朝刊に、不安な目を向けているだけであった。
首まで浸ってじっとしていると、体の表面からぎらぎらした油汗の固りが、蝶の鱗粉のように浮いて流れて行く。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
やがてその唇をじっと噛んで、美少女の寝顔を見下しますと、ワナワナと震える指をさし上げて、頭の上の電燈のスイッチを一ツ……二ツ……三ツ……と切って
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
お銀様を片手に抱えた竜之助は、その蝶の行方ゆくえじっと見ていました。雄蝶と雌蝶とは上になり下になって長持の中から舞い出でました。やや上ってまた下りました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
然し想像した新聞社というものは、目の回る程忙しい活気の満ち満ちたものだと思って居りましたにも係わらず、毎日じっとしているので、苦痛で苦痛で堪えられません。
職業の苦痛 (新字新仮名) / 若杉鳥子(著)
彼は其処そこにつッ立って自分の方をじっと見て居るそのつきを見て自分は更に驚きつ怪しんだ。かたきを見るいかりの眼か、それにしては力薄し。人を疑う猜忌さいぎの眼か、それにしては光鈍し。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
もっともこのたまかたちは、じっとおしずまりあそばしたとき本来ほんらいのお姿すがたでございまして、一たんおはたらきかけあそばしました瞬間しゅんかんには、それぞれことなった、にも神々こうごうしい御姿おすがたにおかわあそばします。
もちろんチベット人はその像に瞳をえ遠慮なくじっと見るということはしない。まずきた仏のようであるから余りに見詰めると自分の眼が潰れるというような馬鹿な考えを持って居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
怪量はじっ対手あいての顔を見た。
轆轤首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それでも着いた時は、とこの上に胡坐あぐらをかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこうじっとしている。なにもう起きてもいのさ」
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
繰拡くりひろげたペイジをじっ読入よみいつたのが、態度ようす経文きょうもんじゅするとは思へぬけれども、神々こうごうしく、なまめかしく、しか婀娜あだめいて見えたのである。
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
無駄を言いながら、何やらささやく二人、それを奥の一と間から、じっと耳を済まして聴いて居る旅の雲水のあることには気が付きませんでした。
大江戸黄金狂 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
あいを落したような縁先の夕闇に、何者か、じっと、飛びすがらないばかりな二つの眼をもって、大地に手をついているのであった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「若旦那を呼び出しに……。もしや柳屋の……。」と、冬子は眼を輝かしてお葉をじった。お葉は落葉の上に倒れていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いよいよくるまが出ようとする時、母は悲しそうにじっと私のかおを視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、あとが言えないで、涙になった。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
ある日、あたしは母の父の顔を穴のあくほどじっと見た。この老爺おじいさんは寺院おてらで見る大木魚おおもくぎょのような顔をしていた。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
無言のまま私の顔をじっと見ていましたが、急に気がついたように愛想のない挨拶をして、そのまま踵を返してゆっくりと向うの方へ行ってしまいました。
消えた霊媒女 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
図書館の窓からこちらへ流れてくる気流なのだが、じっと頬をその風にあてていると、魂は魅せられたように彼は何を考えるともなく思いふけっているのだった。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
かれらのこういう噂を耳にしては持彦もじっとしていられなかったが、夜がくれば花桐の顔がかがやくように匂い、宿直していても一人寝の枕にしたしめなかった。
花桐 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
岩頭から横にのり出した木の枝には魚狗かわせみが一羽、じっと斜に構えて動きそうにもなかったが、突然弦を離れた翡翠ひすいの矢のように、水を掠めて一文字に飛んで行った。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
じっと考えて見ると、私の興奮したものは、紙切れに印刷された言葉ではない。事件ではない。その言葉と言葉との間に、〔二字分空白〕として立ち迷って居る響の影である。
無題 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
若侍は一瞬間キッとなったがやがて又ヒッソリと低頭うなだれた。じっと考えている気配である。
斬られたさに (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そして、全く明け切られたとき、一同の眼は暗さに馴れるまで、じっと大きく見開かれていた。すると、その薄闇の中から次第に輪廓を現わして、やがて一同の眼に、飛び付いて来たものがあった。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
うつつから続いているようなその声は、急に八釜やかましく耳の底をき乱した。私はじっとそれを聞きながら、時に悲しい思いを胸にいだいた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
が、じっみつめて立つと、きぬの模様の白い花、撫子のおもかげも、一目の時より際立って、伏隠ふしかくれたはだの色の、小草おぐさからんで乱れた有様。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「ハッハッハッ、物を理詰めに考えただけの事さ。五日四晩お前が駆けずり廻るあいだ、俺はじっとして自分のへそと相談をした」
上ずった声が、方々から激発げきはつして、中には、主君の御無念さを思うと、じっとしていられない、慟哭どうこくして、人影に沈んで嗚咽おえつする者もあった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうしても郷里くにじっとしていられない気持ち——無論美妙斎からの手紙もある。それよりも彼女が出たいのだ。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
お杉は窪んだ眼を異様に輝かして、対手あいての顔を穴の明くほどじっと見詰めると、お葉は少しくぼうとなって来た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
お嬢さんはお父さんの話を黙って聞きながら、私の心を掻き乱すようなその美しい眼に、淋しいえみを見せて、私をじっと見詰めていた。私は身内からだすくむように思った。
妖影 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
明日あすの朝二番か三番で是非たなきゃならんがと、当惑のまなこを閉じて床の中でじっと考えていると、スウと音をぬすんで障子を明ける者が有るから、眼をいて見ると
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
大きな二つの眼で自分をじっと見詰めたまま、「真個に貴女だってそうお思いに成るでしょう」
いとこ同志 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
疲れた体や手足を伸してじっと湯に浸っていると、心地よいぬくもりが皮膚を撫でて体内にしみこんでゆく、うつらうつらと眠くなった耳へ遠い谷の空で鳴く杜鵑ほととぎすの声が二声三声
白馬岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ほんの些細ささい刺戟しげきも彼女の容態に響くのだが、そうしていま彼女のいる地上はあまりにも無惨に罅割ひびわれているのだったが、それらをじっと耐え忍んでゆくことが彼女の日課であった。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
それをじっと感じていると、ときには、わだつみの波のようにもおぼえられまいります。
花桐 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
彼はこの気掛が、自分を駆って、じっと落ち付かれない様に、東西を引張ひっぱり回した揚句、ついに三千代の方に吹き付けるのだと解釈した。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
じっと夫人を抱き起し、その腰の下へ四這よつばいに入る背に、夫人おのずから腰を掛けつ、なお倒れんとする手を、画家たすけ支う。
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)