げん)” の例文
こゝに享保年間下總國しもふさのくに古河こがの城下に穀物屋吉右衞門こくものやきちゑもん云者いふものあり所にならびなき豪家がうかにて江戸表えどおもてにも出店でみせ十三げんありて何れも地面ぢめん土藏共どざうども十三ヶ所を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
末と云ふ女中はお照の事を奥様と云つて居る。畑尾は先刻さつき頼まれて帰つた事の挨拶に二三げんうちへ出掛けて行つたのである。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
左の家並やならびが三げん程に分れて居るがどれも低さの同じ程の二階建の間口の余りない小さい家である。一番奥になつた最も小さいのが料理店である。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
それもお値段ねだんによりけり……川向かはむかうに二三げんある空屋あきやなぞは、一寸ちよつと紙幣さつ一束ひとたばぐらゐなところはひる、とつてた。
月夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
私の子供の頃には、元園町一丁目だけでも長唄の師匠が二、三げん常磐津ときわづの師匠が三、四軒もあったように記憶しているが、今では殆ど一軒もない。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「やあ、床屋とこやが三げんになったぞ。」と、子供こどもたちはをまるくして、あたらしくできた床屋とこやまえとおりました。
五銭のあたま (新字新仮名) / 小川未明(著)
丸次の家で使っている御飯焚ごはんたきの婆の家が、君香のいる家のすぐ二、三げんさきで、一伍一什いちぶしじゅうすっかり種が上っているとは夢にも知らないから、此方こっちはいつもの調子で
あぢさゐ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それを少し離れて、二三げんの瓦屋根があつて、それに朝日がさした。小さい工場こうば烟筒えんとつからは、細い煙が登つてる。向ふの街道には車の通る音が絶えず聞える。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
駅の前には、白く芽立った大きなやなぎの木があった。柳の木の向うに、すすよごれた旅館が二三げんならんでいた。町の上には大きい綿雲が飛んで、看板に魚の絵が多かった。
風琴と魚の町 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
正太しようたくゞりをけて、ばあとひながらかほすに、ひとは二三げんさき軒下のきしたをたどりて、ぽつ/\と後影うしろかげれだれだ、おいお這入はいりよとこゑをかけて、美登利みどり足駄あしだつツかけばきに
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「わしもつてあんせう、自分じぶんはたけのがは一目ひとめりやわかりあんすから」ういつて被害者ひがいしや蜀黍もろこしを二三ぼんつて村落むらもどつた。巡査じゆんさ其處そこ此處ここらと二三げんあるいて勘次かんじにはつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
さてこゝをさりれい細道ほそみちをたどり、たかきにのぼりひくきくだり、よほどのみちをへてやうやく三倉みくら村にいたれり、こゝには人家じんかげんあり、今朝けさ見玉みたま村より用意よういしたる弁当べんたうをひらかばやとあるいへに入りしに
問返とひかへすうちにも、一層いつそうめう夢路ゆめぢ辿たど心持こゝろもちのしたのは、差配さはいふのは、こゝに三げんかなへつて、れいやなぎさかひに、おなじくたゞかき一重ひとへへだつるのみ。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
わたしかんがえますのに、三げんが、おなじく八せんにすれば、やはりおなじことです。わたしは、いままでどおり拾銭じっせんにして、仕事しごとをていねいにして、あぶら香水こうすい上等じょうとう使つかいます。
五銭のあたま (新字新仮名) / 小川未明(著)
少年しょうねんは、このむらの三げん酒倉さかぐらだけにはどくはいっているが、ほかはどくはいっていないとげました。これをいた大将たいしょうかんがえていましたが、やがてみんなに命令めいれいくだして
酒倉 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「みんなは三げん酒倉さかぐらさけめ、そのほかは、どれもどくはいっているぞ。」とさけびました。兵士へいしたちはあらそって、その三げん酒倉さかぐらみました。大将たいしょうもいってさけみました。
酒倉 (新字新仮名) / 小川未明(著)
げんが、おなじく拾銭じっせんであればこそ、こういうように競争きょうそうこるのだけれど、そのうちの一けんやすくすれば、おきゃくは、しぜんやすいほうへくるにちがいないと、一けん主人しゅじんかんがえたのです。
五銭のあたま (新字新仮名) / 小川未明(著)