ろう)” の例文
お光さんは、わざと火のついている煙草はそのまま指に置いて、ポケットから、香港ホンコン出来のろうマッチを探って、黙って貸してやる。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのろうのように艶のある顔は、いくぶん青褪めてはいたけれど、形のいい弾力のある唇は、まるで薔薇の花片はなびらを置いたようにあかかった。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ろうのような頬を恐怖に痙攣ひきつらせて、眼ばかり異様に輝やく娘は、精も根も尽き果てたように、千種十次郎の胸にすがり付きます。
悪魔の顔 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
近く寄るとあの蒼白あおじろい顔の色がろうのように冷たくなっている、けれども、蝋よりも滑らかになっているのに、あの唇からは火のような毒。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
姉の優しい眉がりんとなって、顔の色がろうのように、人形と並んで蒼みを帯びた。余りの事に、気が違ったんじゃないかと思った。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それが色の着いたろうを薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋のしわ一分いちぶたるみも余していなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あけみは魂のないろう人形のように見えた。ほしかたまったように立っていた。ほしかたまったまま、スーッと横に倒れて行きそうであった。
月と手袋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「夜帰って来て、幾階もある階段を昇るのに、長いろうマッチに火を附けて持ちます。それが消える頃には部屋の前にきます」
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
苦しみもない代わりには、普通の生きもののつ楽しみもない。無味、無色。まこと味気あじけないことろうのごとく砂のごとしじゃ。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
次にはろう、オリーブ油、木、牛肉(新鮮のものおよび乾いたもの)、血。いずれもみな反磁性を示し、ことにビスマスは反磁性を強く示した。
うそをつけ。つらあらったやつが、そんな粗相そそうをするはずァなかろう。ここへて、よく人形にんぎょうあしねえ。こうに、こんなにろうれているじゃねえか
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
写しを取るにはろうまたは鉛の筒あるいは複写紙を巻いたものを廻転軸にはめ、その表面に前述のペンが乗っかっている。
写真電送の新法 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
かねて欲しいと思っていたろうしんこというものを買ってもらい、自分の指の力ではそれを柔くすることが出来ないので
生い立ちの記 (新字新仮名) / 小山清(著)
死んだ少女おとめの黒髪は房々ふさふさとして、額をおおって、両眼はすやすやと眠るように閉じている。顔色は、ろうのように白かった。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
レニンの顔は白くろう人形のように光っていたが、我が母も同じように光った死顔で、私は世界中の人に母の死顔を拝ませて恥かしくないと思うた。
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
ひげになる生毛うぶげの最初の兆しもなく、ろうのように青白くなめらかなげたほおに、唇だけが染めたように赤く分厚いのだ。
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
ワグナーの頑固がんこ頭を飾りにした一組の食器の前や、ろう細工の頭が傲然ごうぜんと控えてる理髪店の前で、彼女は大笑いをした。
霧がけたのでした。太陽たいようみがきたての藍銅鉱らんどうこうのそらに液体えきたいのようにゆらめいてかかりけのこりの霧はまぶしくろうのように谷のあちこちによどみます。
マグノリアの木 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
紀久子はそう言って、ろうのように白く、かすかにわなわなと顫えている手を差し伸べてその赤酒をぐっと飲み干した。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
見ているうちに、顔の色が、次第にろうのごとく青ざめて、しわだらけのまなじりに、涙が玉になりながら、たまって来る。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一人の気のきいたような小さな男が、ろうを塗ったような髭をしていたが、二輪馬車から敏捷な容子で下り立った。
つぶやいた左膳、そのまま草むらへ投げ捨てた——イヤ、投げ捨てようとして、ふと気がつくと、その竹筒の口に、ろうのかたまりがついているではないか!
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
(そのとき、持っていた杖が倒れて、かたんと高い音がした)老人は痩せていて、皮膚はろうのように白く、仮面のように無表情で、唇がだらんと垂れていた。
ただ三人ながら例のこの世の人とも思われぬろうのような顔色だけが再び意気地なくも私を竦然ぞっとさせたが……
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
通りすがりに、何の気なしに中を覗いて見ると、つい鼻先きの寝台の上に、若い男の、薄い顎髭あごひげを生やした、ろうのような顔が仰向いているのがちらりと見えた。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
キャラコさんの案内で広間へ入って来たチャーミングさんをひと眼見ると、森川夫人はたちまちろうのように真っ白くなり、よろめくように椅子から立ちあがった。
彼女は、身をふるわしながらいた。テーブルの上にかけている白いろうのような手も、烈しい顫えを帯びていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
蒼白いろうのような頬には髪が乱れかかり、その頸には燃えるような真紅の紐が捲きつけてありました。
流転 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
象の面が二つあるのと一つあるのと、それからまた一つの象を家のところから引き出して居るようなろう燐寸もあって、それにはメード・イン・ジャパンと書いてある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
小婢が上って来て、部屋には便利炭のろうが匂った。喬は満足に物が言えず、小婢の降りて行ったあとで、そんなすぐに手の裏返したようになれるかい、と思うのだった。
ある心の風景 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
と、正義は衣兜かくしからろうマッチをだして、火をけるなりその書類のはしに点けた。書類はめらめらと燃えた。正義はその燃えさしを傍の火鉢ひばちの中に入れて夫人の顔を見た。
白っぽい洋服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
たてがみくし、細い尻尾も編む。手で、また声で、機嫌をとる。眼を海綿で洗い、ひづめろうを引く。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
参詣人が来ると殊勝な顔をしてムニャムニャムニャと出放題なお経をしつつおろうを上げ、帰ると直ぐ吹消してしまう本然坊主のケロリとした顔は随分人を喰ったもんだが
青年は血にまみれ、皮膚はろうのように白く、目は閉じ、口は開き、くちびるは青ざめ、帯から上は裸となり、全身まっかな傷でおおわれ、身動きもせず、明るく照らし出されていた。
「ヘエ。どうも済みません。……わっしゃドウモこの吸口のろうの臭いが嫌いなんで……ヘヘ……有難う存じます。只今お釣銭つりを……あ……どうも相済みません。お粗末様で……」
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
これがろうなので、この蝋の表面に極めて微細な線がついてをるのは、これが声のあとであるさうな。これを器械にかけてねぢをかけると、ひとりでにブル/\/\/\といひ出す。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
もう母の顔はろうの色になっていて歯の間から舌の先を出しながらうなっていたそうです。
アド・バルーン (新字新仮名) / 織田作之助(著)
また日本人の黄色に淡い紅色や淡い緑が交っているのも私は白色人のもつ単調なろうのような不気味さよりも、もっと異常のあたたか味と肉臭をさえ、私は感じる事が出来ると思う。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
燭台のろうは音もせずに流れた。あしたの十五夜の用意であろう、小さい床の間にはひとたばのすすきが生けてあって、そのほの白い花のかげには悲しい秋が忍んでいるように思われた。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
あの善人をご存じないとは! あの方はまるでろうのような方でがす……しゅのお顔の前の蝋でがす、まるで蝋のように溶けてしまいなさるので……閣下は一部始終を聞き取りなさると
彼女は父の分と良人のぶんと二インチ四方ほどの黒の絹はんけちを二枚、靴下のもものところからつまみ出して、別々のハンケチで左右の眼から桃色のろうのしたたりのような涙を拭くのである。
踊る地平線:09 Mrs.7 and Mr.23 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
袂からろうマッチを出して、ランプを附けて見れば、婆あさんが気を附けてくれたものと見えて、丁寧に床が取ってあるばかりではない、火鉢に掛けてある湯沸かしには湯が沸いている。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
温かい臥床ふしどに、横にしてやった、浪路、まげも、びんも、崩れに崩れて、ろうのように、透きとおるばかり、血の気を失い、灯かげにそむいて、目をつぶっていたが、どうやら、なるほどもう
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
そして急にパンを切ったり、スキーにろうを塗ったりして山登りの準備にかかる。
ろうマッチ」をてらして辛うじて板の上へ出たが、絶壁にも比すべきところに、突き出された二本の丸太、その上に無造作に置かれた一枚の薄板、尾瀬沼のそれにも増した奇抜な便所に
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
お顔のむくみも、前日あたりからとれていて、ほおろうのようにすべすべして、薄いくちびるが幽かにゆがんで微笑ほほえみを含んでいるようにも見えて、生きているお母さまより、なまめかしかった。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ほとんど肩すれすれまで、むきだしになつてゐる豊かな二の腕が、ろう色に汗ばんで、どうやら胸をはずませてゐるらしい。一二歩、食堂の方へ行きかけたがやめて今度はキッとこつちを見た。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
露国の古話に蛇精が新米寡婦方へその亡夫に化けて来て毎夜ともに食い、同棲して、あさに達し、その寡婦火の前のろうのごとくせ溶け行く、その母これに教えて、かれと同食の際わざとさじおと
今はわずかに一二尺の距離を隔てゝ差し向いになっている河内介は、話しているうちに夫人の長い睫毛まつげの先に幾粒かの露の玉が結ばれて、それがはら/\とろうのような頬を伝わって来るのを見た。
低いうつろな笑い声のようなものが、聞えたと思った。私は思わずふり返った。壕を支えた木組きぐみによりかかって、背の高い吉良兵曹長の顔は、ろうのように血の気を失い、仮面に似た無表情であった。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)