火桶ひおけ)” の例文
夜具は申すまでもなく、絹布けんぷの上、枕頭まくらもと火桶ひおけ湯沸ゆわかしを掛けて、茶盆をそれへ、煙草盆に火を生ける、手当が行届くのでありまする。
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
近所への人づきあいもせずに、夜遅くまで書物かきものをしていた蕪村。冬の寒夜に火桶ひおけを抱えて、人生の寂寥せきりょうと貧困とを悲しんでいた蕪村。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「別段面白い事もないようだ。それをわざわざ報知しらせに来る君の方がよっぽど面白いぜ」と主人は巻煙草まきたばこの灰を火桶ひおけの中へはたき落す。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
小さな火桶ひおけを間にして、さし向いに坐ると、太宰はながいこと黙っていたが、やや暫くして「金はどれほどやったのか」と口を切った。
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「今日よりはお獄舎ひとやへ、夜の灯も、火桶ひおけ(火鉢)も差し上げますゆえ、昼や御寝ぎょしの座までも、充分おしのぎよいように、お用いください」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
木枯こがらしさけぶすがら手摺てずれし火桶ひおけかこみて影もおぼろなる燈火とうかもとに煮る茶のあじわい紅楼こうろう緑酒りょくしゅにのみ酔ふものの知らざる所なり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ことばはしばし絶えぬ。両人ふたりはうっとりとしてただ相笑あいえめるのみ。梅の細々さいさいとして両人ふたり火桶ひおけを擁して相対あいむかえるあたりをめぐる。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
ある時は、朝早くから訪れて午過ひるすぎまで目ざめぬ人を、雪の降る日の玄関わきの小座敷につくねんと、火桶ひおけもなくまちあかしていたこともあった。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
こうなると炉や火桶ひおけをスビツと謂った古語に近くなってくるが、単なる一端の事例だけをもって対比することはできない。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
内庭を前にした美しい小室に、火桶ひおけを右にして暖かげに又安泰に坐り込んでいるのは、五十余りの清らなあから顔の、福々しいふとじしの男、にこやかに
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「なりて」の語をやめて代りに「火桶ひおけ」の形容詞など置くべく、結句は「火桶すわりをる」のごとき句法を用うるか
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
清少納言は、すさまじきものの中に「火おこさぬ火桶ひおけ」を数えているが、夕暮になって火の入らぬ行燈は、それよりも一層、すさまじいものかも知れません。
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
下人は、大きなくさめをして、それから、大儀たいぎそうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶ひおけが欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。
羅生門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
夜はもう火桶ひおけが欲しいほどじゃが、昼はさすがに暖かい。孝行なそなたが夜ごとの清水詣で、止めても止まるまいと思うて、心のままにさせて置くが、これからの夜はだんだん寒くなる。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
若松屋惣七は、火桶ひおけを抱きこんで、ふうむと口を曲げた。考えこんでいるのだ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それからというもの、私はそんな冬の夜の、雪なんぞの降っている晩には極まってその夜の事を思い出し、火桶ひおけなどかかえながらでも、かならず端近くに出ては雪をながめて居ったものでした。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
ところ石町こくちょう鐘撞堂新道かねつきどうしんみち白紙はくしうえに、ぽつんと一てん桃色ももいろらしたように、芝居しばい衣装いしょうをそのままけて、すっきりたたずんだ中村松江なかむらしょうこうほほは、火桶ひおけのほてりに上気じょうきしたのであろう。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
夫人この時は、後毛おくれげのはらはらとかかった、江戸紫の襟に映る、雪のようなうなじ此方こなたに、背向うしろむき火桶ひおけ凭掛よりかかっていたが、かろく振向き
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼はその手紙に行燈の火を移し、立っていって、火桶ひおけの中ですっかり灰にしながら、使いの部屋子を待たせてある座敷へいった。
兄の半兵衛に命じられて、深夜ながら取り急いで、おゆうは小書院に明りをともしたり、火桶ひおけへ火を入れたり、客のしとねをそろえたりし始めた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
冬となりてここにまた何よりも嬉しき心地せらるるは桐の火桶ひおけ置炬燵おきごたつ枕屏風まくらびょうぶなぞ春より冬にかけて久しく見ざりし家具に再び遇ふ事なり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ランプの光はくまなく室のすみずみまでも照らして、火桶ひおけの炭火は緑の絨氈じゅうたんの上に紫がかりしくれないほのおを吐きぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
道也先生は火桶ひおけのなかの炭団たどん火箸ひばしの先でつっつきながら「御前から見れば馬鹿馬鹿しいのさ」と云った。妻君はだまってしまう。ひゅうひゅうと木枯こがらしが吹く。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それを見た舎人は立ちあがって、部屋の隅から火桶ひおけを持って来た。甲斐は火桶の中で注意ぶかく燃してから、火箸ひばしできれいに灰をならした。
勿論もちろん俳味をもっぱらとする処から大きな屏風びょうぶや大名道具にはふだを入れなかったが金燈籠きんどうろう膳椀ぜんわん火桶ひおけ手洗鉢ちょうずばち敷瓦しきがわら更紗さらさ
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
さて手を取つて、其のまゝなやし/\、お表出入口の方へ、廊下の正面を右に取つて、一曲ひとまがり曲つて出ると、杉戸すぎといて居て、たたみの真中に火桶ひおけがある。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「寒中の獄へ、火桶ひおけをまいらせたり、三名の典侍を、おそばにおく計らいをしたなども、みな彼だとか」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐伯さえきの叔母の尋ねて来たのは、土曜の午後の二時過であった。その日は例になく朝から雲が出て、突然と風が北に変ったように寒かった。叔母は竹で編んだ丸い火桶ひおけの上へ手をかざして
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
小さな火桶ひおけを抱えたまま、ふなばたを打つ川波の、ひそかな音を、聞くともなく聞いていたが、ふと、岸のほうで人の声がし
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
我ながら相応そぐはない事を云つて、火桶ひおけ此方こなたへ坐つた時、違棚ちがいだなの背皮の文字が、稲妻いなずまの如く沢のひとみた、ほかには何もない、机の上なるも其の中の一冊である。
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「今もまた、仲時召さるというので、何事かと参ってみると、侍側の者から、ご幽所ゆうしょに火のも無うては、夜の御寝ぎょしもおこごえでいらせられる、火桶ひおけをそなえよ、という申しつけだ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
火桶ひおけを中に浩さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の浅黒いひげの濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乗った話をするときは、相手の頭の中には浩さんのほか何もない。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
不揃ふぞろいな絵の道具、いじけたような安物の木机、角の欠けた茶箪笥ちゃだんす火桶ひおけ、炭取り——家具といえるのはそれで全部だ。
おれの女房 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
その耳をじっと澄ますようにして、目をうっとりと空をながめて、火桶ひおけにちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそうつぶやいたことを覚えている。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なおそのあいだに新朝廷の補佐ほさたちへも、それとなく諒解をえておきますれば、板屋の御座ぎょざへ、火桶ひおけを入れることや、朝暮ちょうぼのお給仕をもっと良くするぐらいなこと、計らえぬはずはありますまい
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
良左衛門は冷えきった朝寒から赤児をまもるように、布子を頭のまわりにき寄せながら、しずかに火桶ひおけの側を立った。
初蕾 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこに燭台をかたわらにして、火桶ひおけに手を懸け、怪訝けげんな顔して
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
火桶ひおけもないが、障子越しの春の日が程よく暖かい。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は役所の事務を机の上にひろげながら、しきりに火桶ひおけの炭火を吹いていた、みちは従兄の髪毛に付いている灰を払い、火桶を自分のほうへ引寄せた。
山椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
火桶ひおけおもてそむけると、机に降込ふりこんだ霞があった。
霰ふる (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それから窓のほうを向いたまま、両手の指を組んで火桶ひおけの上へかざし、囁くような低い声で、独り言のように云った。
めおと蝶 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
甲斐はその手紙をすぐ火桶ひおけにくべながら、湯島へ寄るのがどうして危険なのかと、不審に思いながら、喜兵衛を見た。
おみやが立ってゆくと、濡縁に火桶ひおけが置いてあり、娘の姿はもう見えなかったが、おみやが火桶を持って戻ると、すぐにまた茶の道具をはこんで来た。
周防すおうの来たのは十時すぎであった。おくみの狭い寝間に屏風びょうぶをまわし、灯をくらくして、火桶ひおけを中に二人は坐った。
里見十左衛門と共にはいって来たのは、小野の館の家従で、鷺坂靱負さぎさかゆきえという老人であった。ふじこはすぐに二人の席を設け、かれらに火桶ひおけを持って来た。
惣左衛門はにおちない顔をした。甲斐は密書を読み、それをすぐ、火桶ひおけの火にくべながら、ふと太息といきをついた。
きれいに晴れた日で、あけてある窓からいっぱいに陽がさしこみ、火桶ひおけもいらないくらい客間は暖たかかった。
いさましい話 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
すぐ脇に、ぬぎすてたはかまがつくねてあり、脇差も投げだしたままで、正月の寒さにもかかわらず、火桶ひおけを遠くへ押しやり、着物のえりをはだけて飲んでいた。
手が凍えてきたので、筆をき、火桶ひおけで手指を暖めていると、声をかけて、同僚の岡田朔太郎さくたろうがはいって来た。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
おみやは黒田玄四郎を見ると、微笑しながら、ぽっと頬を赤らめ、火桶ひおけをずらせて、彼のために席を設けた。