ぬる)” の例文
水がぬるみ、草がえるころになった。あすからは外の為事が始まるという日に、二郎が邸を見廻るついでに、三の木戸の小屋に来た。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ぬるい、いや熱くさえある血潮が彼の二ノ腕までまみれさせ、彼は蒼白となったおもてに、その双眼を、じっと、ふさいだままにしていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
不規則なる春の雑樹ぞうきを左右に、桜の枝を上に、ぬるむ水に根をぬきんでてい上がるはすの浮葉を下に、——二人の活人画は包まれて立つ。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
俳句ではこれを水ぬるむと申します。水温むということも時候の変化につれて起ってきた現象の一つであります。……地理上の現象
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そこから上は水がまつたく涸れてゐるぬる川の谷伝ひに、みちらしい径もない熊笹の生ひ茂つた斜面を、右へ左へ分け登つて行く一人の男がゐた。
(新字旧仮名) / 岸田国士(著)
ガラッ八はそう言いながらも、悪い心持がしないらしく、縁台に腰をおろして、お町がくんでくれたぬるい茶をすすりました。
政「ぬるいからおあがり、お夜食は未だゞろうね、大澤おおさわさんから戴いたぶりが味噌漬にしてあるから、それで一膳おたべよ」
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
湯はふねの四方にあぶれおつ、こゝをもつて此ぬるからずあつからず、天こうくわつくる時なければ人作じんさくの湯もつくなし、見るにも清潔せいけつなる事いふべからず。
何しろ折からの水がぬるんで、桜の花も流れようと云う加茂川へ、大太刀をいてかしこまった侍と、あの十文字の護符を捧げている異形いぎょうな沙門とが影を落して
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
裏日本の川の方が早く水がぬるみ、そして盛夏の候には表日本の川より水温が高くなることを経験したのである。
水と骨 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
湯はぬるかつたが後はポカ/\した。晝飯ひるには鷄を一羽ツブして貰つた。肉は獸のやうにこはかつた。骨は叩きやうが荒くて皆な齒を傷めた。しかし甘かつた。
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
肝臓ヂストマの中次豆田螺なかつぎまめたにしは、右巻の尖つた屋根を横倒しに、小菴の扉をかたく閉したまま、身動き一つせず、たまに午過の暖い日ざしに水がぬるみかけると
独楽園 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
しかし地の上にはまだまだ長い冬が残っていて、水ぬるむ春がいつ来るかもしれないというふうにみえた。
荒野の冬 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
「猪のはん、藥鑵はぬるいやろか、勝手に漬けてやりなはれ。」と、猪之介の尖つた鼻ツ先きに置いた。
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
弁当には玉子焼きとものとが入れられてあった。小使は出流でながれのぬるい茶をついでくれた。やがてじじいはわきに行って、内職のわらを打ち始めた。夜はしんとしている。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ひとしきり水の中に素早いさざ波を立てて沈むすずめほどの小さい水鳥は、春のぬるんだ水の面にうかんでいるあいだは、またたきするくらいのはやい一瞬のうちであった。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
これでは今日も、一日頭痛。まどしやまどしやの、難題も、それだけならば済ましもせう。まだその後で、手水の湯が、ぬるいの熱いの、大小言。かなぎり声で、金盥。
したゆく水 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
搖起ゆりおこし是十兵衞最早もはや今のは寅刻なゝつかねことに此鐘は何時も少しおそき故夜の明るに間も有まい眼をさまして支度せよ鐵瓶てつびんの湯もぬるんで有と聞て十兵衞は起上りかほあらはず支度を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
畑の麦の穂は黄色く干乾び、稲田の水はどんよりとぬるみ、小川には小魚こうおが藻草の影に潜んだ。
土地 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
温泉はこゝまで引かれる途中でぬるくなるらしかつたが、石炭を少したけば可い程度であつた。
芭蕉と歯朶 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
真暗に曇った晩で海岸の方からすこし風が吹いていたが生ぬるい気もちの悪い風でした。それにビールをたくさん飲んでいるからすこし歩くと汗がだくだく出て困ったのです。
提灯 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
土橋を潜る水はぬるみて夢ばかりなる水蒸気は白くふるえ、岸を蔽えるクローバーは柔らかに足裏の触覚をくすぐりて、いかにわれをして試みんとする春の旅の楽しきを思わしめしよ。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
やれ懐かしかったと喜び、水はぬるみ下草はえた、たかはまだ出ぬか、雉子きじはどうだと、つい若鮎わかあゆうわさにまで先走りて若い者はこまと共に元気づきて来る中に、さりとてはあるまじきふさよう
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
で、あががまちに腰掛けたまゝ、暫く戸惑ひの形でもぢ/\してゐると、お信さんは遠慮でもしてゐると思つたか、折角冷えてゐるのだから、ぬるくならぬうちに早く飲めとしきりに勧めるのだつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
女房がすぐに持ち出して来た煙草盆と駄菓子の盆とを前に置いて、長次郎はぬるい番茶を一杯のんだ。店の前には大きいえのきが目じるしのように突っ立って、おあつらえ向きの日よけになっていた。
半七捕物帳:24 小女郎狐 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
俳句の季題に「水ぬるむ」というのはあるが、「金温む」というのはない。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
火にかけると、初めはぬるまつて来て、次ぎに空中に飛んで行く水蒸気を
ぬるむといいたげないろをめっきり川面へただよわせてきているすみだ川の景色もきょうばかりは曇り日のよう暗く見えた。ホンノリとした青空さえが、果てしらぬ灰いろのとばりかと感じられた。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
みづぬるき運河のうへ七日なのか七夜なゝよを舟にて行くを思はしむ。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
ぬる加減もまず上等、いざおためしくださいますよう」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
白楊はくやうぬる吐息といきにくわとばかり
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ぬるかすみまとふらむ。
騎士と姫 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
ぬるい、むずかゆい、虫のように生きてる液体が、どこからともなく噴き出して、彼女の手に、膝に、ふとんに、気の遠くなるほど溢れた。
治郎吉格子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぬる川の谿谷は奇ならずと雖も閑寂、樹々は五分の芽立ちで、桜は散りそめ、山吹は盛り、つゝじも、早咲きが見頃である。
旅の苦労 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
ガラツ八はさう言ひながらも、惡い心持がしないらしく、縁臺に腰をおろして、お町がくんでくれたぬるい茶をすゝります。
湯はふねの四方にあぶれおつ、こゝをもつて此ぬるからずあつからず、天こうくわつくる時なければ人作じんさくの湯もつくなし、見るにも清潔せいけつなる事いふべからず。
が、池はもうぬるんだらしい底光りのする水のおもてに、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色けしきもございません。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
薄濁うすにごりのする水に、泥は沈んで、上皮だけは軽くぬるむ底から、朦朧もうろうあかい影が静かな土を動かして、浮いて来る。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
久「へい/\恐入ります、惜しい事に周囲まわりがポツ/\げて居りますナ、とお茶がおぬるいようでございます」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
こういう時にいつでも思い出される「水ぬるむ」という季題のことを私はまた考えずにはいられませんでした。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
修善寺の湯は熱過ぎたし、湯が島ではぬる過ぎたし、湯が野も惡くはなかつたが、入り心地の好いのは是處だ。
伊豆の旅 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
三十度近くなると、もう日向ひなた水と同じなぬるさを持ってくるのである。鮎でも、鮒でも入れればすぐ死にそうな、こうした温かい川で鮎は盛んに水垢を食っている。
水と骨 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「すこしおぬるいかも知れません、お温ければなおします、如何いかがでございます」
港の妖婦 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
博士はつと立つて、南側の障子をけて庭を見てゐる。木瓜ぼけ杜鵑花さつきつつじとの花が真赤に咲いて、どこか底にぬるみを持つた風が額に当る。細君の部屋では又こと/\音がする。着更をするのであらう。
魔睡 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ぬるいから駄目でさ。これが、本当の湯なら、それは大変ですがな』
田舎からの手紙 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
有情うじやうぬるみの春の夜の
騎士と姫 (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
けものぬるはだ
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
血汐ちしおである、血煙ちけむりである。夕闇なのと、深い霧で、よくは分らないが、ぬるい血液のかたまりが、ぱッと、側の者へねかかった。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お小夜も、お冬もそれにならひました。お茶は少しぬるくなりましたが、宇治の玉露は、大して味を失つては居りません。
落ちついた調子のうちに、何となくぬる暖味あたたかみがあった。すべての枝を緑に返す用意のために、びたる中を人知れず通う春の脈は、甲野さんの同情である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)