旗下はたもと)” の例文
新一が狐を殺したことは非常な評判になって、それがため新一は駿河台にあった大きな旗下はたもと邸の小供のお伽に抱えられたのであった。
狐の手帳 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それは/\お気の毒なことだ、貴方あなた以前もとはお旗下はたもとかね。乞「いえ/\。主「ンー……南蛮砂張なんばんすばり建水みづこぼしは、是品これ遠州ゑんしう箱書はこがきではないかえ。 ...
親族の柳生河内、菅原夕菴せきあん譜代ふだいの木村五平太、服部織部介はっとりおりべのすけ、庄田喜兵衛次きへえじ、和田、野々宮、松枝などの老臣旗下はたもとたちは
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その落ちついたありさまが、ひどく家康の気にいって、そいつを旗下はたもとにとり立てて、世々代々風呂番をお命じになった。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
このひとのいふのだからあてにはらないが、いま座敷ざしきうけの新講談しんかうだん評判ひやうばん鳥逕子てうけいしのおとうさんは、千石取せんごくどり旗下はたもとで、攝津守せつつのかみ有鎭いうちんとかいて有鎭ありしづとよむ。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
幕府瓦解の後は旗下はたもと御家人ごけにんというような格の家が急に生計くらしの方法に困っていろいろ苦労をしたものであった。
錦旗きんきを奉じた尾州兵が大手外へ進んだ時は、徳川家の旧旗下はたもとの臣は各礼服着用で、門外まで出迎えたとある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そのうち寛永十四年嶋原征伐しまばらせいばつと相成り候ゆえ松向寺殿に御暇相願い、妙解院殿の御旗下はたもとに加わり、戦場にて一命相果たし申すべき所存しょぞんのところ、御当主の御武運強く
からずむかしをいはば三千ごく末流まつりうなりといふ、さらば旗下はたもと娘御むすめごにや、親御おやごなどもおはさぬか、一人ひとりみとはいたはしきことなりと、はやくもそのひと不憫ふびんになりぬ
たま襻 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
子供心にも不思議に思って、だんだん聞いて見ると、これは市ヶ谷へんに屋敷を構えていた旗下はたもと万騎まんぎ一人いちにんで、維新後思い切って身を落し、こういう稼業かぎょうを始めたのだという。
思い出草 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから前年柳田氏に借りて写し置いた『甲子夜話かっしやわ』一七に、旗下はたもとの一色熊蔵話しとて
それから弟に嫁をとって、私はやはり旗下はたもとの、格式は少し上でしたが小川のうちにまいったのが、二十一の年、あなた方はまだなかなかお生まれでもなかったころでございますよ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
在昔ざいせき、徳川政府勘定所かんじょうどころの例に、旗下はたもとの士が廩米りんまいを受取るとき、米何石何斗と書く米の字は、その竪棒たてぼうを上に通さずして俗様ぞくように※と記すべき法なるを、ある時、林大学頭より出したる受取書に
学問の独立 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
今なら三千円ぐらいは素丁稚すでっちでも造作もなく儲けられるが、小川町や番町ばんちょうあたりの大名屋敷や旗下はたもと屋敷が御殿ぐるみ千坪十円ぐらいで払下はらいさげ出来た時代の三千円は決して容易でなかったので
まずことは内々にはこんで、旗下はたもとの大身やご親藩に、ごく内密の回状をさしだし、じまんの勇士術者をおくりだして、天魔太郎と技をきそわせ、その場にとっておさえるが上策ではござるまいか
幻術天魔太郎 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
それがしは日頃山ずまひのみ致いて居れば、どの殿の旗下はたもとに立つて、合戦をつかまつらうやら、とんと分別を致さうやうもござない。就いては当今天下無双の強者つはものと申すは、いづくの国の大将でござらうぞ。
きりしとほろ上人伝 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
宮野邊源次郎と云って旗下はたもとの次男だが、其奴そいつが悪人で、萩原新三郎さんを恋慕こいしたった娘の親御おやご飯島平左衞門という旗下の奥様づきで来た女中で
この千代田湯の怪人は、そもそも何もの?……あかすり旗下はたもとの名で隠然権勢を張る、非常な学者で、また人格者でした。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
どうっと、転び落ちる土煙とともに、袁紹以下、旗下はたもと達も、声をあわせて、御曹司おんぞうし袁尚の手柄をどっと賞めたたえた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お旗下はたもとの葛西さんか、知ってるとも、私なんかは、あすこのかまうちやぶん中へ入って、きじや、うさぎをとったもんだ」
赤い花 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
とにもかくにもいわゆる旗下はたもと八万騎をげて洋式の陸軍隊を編成し、応募の新兵はフランス人の教官に託し
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
矢島優善やすよしは山田の塾にって、塾頭に推されてから、やや自重するものの如く、病家にも信頼せられて、旗下はたもとの家庭にして、特に矢島の名をして招請するものさえあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
玄関に立った姿はたれが見ても千石以上取る旗下はたもとの次男、ひんと云い愛敬と云い、気高けだかいから取次の安兵衞は驚いて頭を下げ
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
曹操自身すら、その渦中に巻きこまれ、馬は狂いに狂うし、冠のかんざしは飛ばすし、髪はみだれ、旗下はたもとどもは後先になり、いやもうさんざんな態であった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
亀背で小男の愚楽老人ぐらくろうじん、この上様うえさまのお風呂番ふろばんは、あかすり旗下はたもとと呼ばれて、たいへんな学者で、かつ人格者だった。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
従来、数十人ないし百人以上の家臣従僕が列をなして従った大名旗下はたもとの供数も、万石以上ですら従者五人、布衣ほい以下は侍一人に草履取り一人とまで減少された。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
番町に住む旗下はたもとの用人は、主家の費用をこしらえに、下総にある知行所に往っていた。
貧乏神物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
霊岸島川口町れいがんじまかわぐちちょう橋本はしもとこうろうと申して、おやしきへお出入を致して、昔からお大名の旗下はたもとの御用をしたもので、只今でも御用を達す処もござりますが
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
同時に、四たくの岩石が一度になだれ落ちてくるかのように、袁術の旗下はたもとや部下のおびただしい人馬が駆け寄せ
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
花瓶は妻恋坂の旗下はたもと饗庭様のお邸へ、鎧櫃は向島関屋の里の自分の寮へ。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
新三郎は其の数ヶ月ぜん医者坊主いしゃぼうず山本志丈やまもとしじょうといっしょに亀戸かめいどへ梅見に往って、其の帰りに志丈の知っている横川の飯島平左衛門いいじまへいざえもんと云う旗下はたもとの別荘へ寄ったが、其の時平左衛門の一人娘のおつゆを知り
円朝の牡丹灯籠 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
僧「あれは牛込の旗下はたもと飯島平左衞門様の娘で、先達さきだって亡くなりまして、全体法住寺ほうじゅうじへ葬むるはずのところ、当院は末寺まつじじゃから此方こちらへ葬むったので」
うしろに続く旗下はたもとの将士も、途中敵の徐晃や于禁の兵に挟まれて、さんざん討死を遂げてしまった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あれは牛込の旗下はたもとで、飯島平左衛門と云う人の娘と、婢の墓だ」
円朝の牡丹灯籠 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
常は虎も引裂ひっさく程の剛敵なる気性の文治郎ゆえ、捨置きがたき奴、彼を助けて置かば、此の道場へ稽古に来る近所の旗下はたもとの次男三男も此の悪事に染り
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
家康のまわりで、家康の旗下はたもとたちは、つばをのみながら云い合った。浅井長政の下に、浅井家が誇りとする磯野丹波守という好敵手のあることは、つとに武将の間に聞えていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殿「うん、じゃが戦国の世になって戦争の起った時に、し味方の者が追々敗走して敵兵が旗下はたもとまで切込んでまいり、敵兵が予に槍でも向けた時は何う致す」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
伏見、鳥羽、枚方ひらかた方面から敗退して来る会津あいづ兵や、桑名くわなや、幕府の旗下はたもとの侍は、青い泥を塗ったような顔と、血によごれた体を持てあまして、よろよろと、市中にあらわれた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の藩中でもあるいは御家人旗下はたもとのような処へでも養子にって、一廉ひとかどの武士に成れば、貴様も己に向って前々まえ/\御高恩を得たから申上ぐるが、それはお宜しくない
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ゆうべから主君曹操の行方をさがし歩いていた夏侯惇かこうじゅん夏侯淵かこうえんの二将の旗下はたもとたちだった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飯島は真影流の奥儀おうぎきわめた剣術の名人で、旗下はたもと八万騎の其の中に、肩を並ぶるものなき達人の聞えある人に槍を付けられた事だから、源次郎はぎょっとして
「嫡子袁譚えんたんのほかに、約八百ほどの旗下はたもとの将士がついて、北方の沼を逃げ渡られた」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何でも是は大名旗下はたもとうち謀叛むほんれ有る者、お家をくつがえさんとする者が、毒酒を試しに来たに相違ないと云うので、女房に其の武家の顔を知ってるかと尋ねると
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
松下嘉兵衛かへえなどは、義元直参じきさん旗下はたもととはちがい、地侍の被官ひかんだったが、それでも、日吉の知っている清洲きよすや、那古屋なごやや、岡崎あたりの邸とは、比較にならぬ程、どこか豊かだし、客足も多く
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
アレキサンドルにせました人が相州東浦賀新井町の石井山三郎という廻船問屋で、名主役を勤めました人で、此の人は旗下はたもと落胤らくいんということを浦賀で聞きましたが
音にひびいた穴山あなやまぞく、その旗下はたもとには勇士もけっしてすくなくない。天野刑部あまのぎょうぶ佐分利五郎次さぶりごろうじ猪子伴作いのこばんさく足助主水正あすけもんどのしょうなどは、なかでも有名な四天王てんのう、まッさきにやりをそろえておどりたち
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蟠「時に婆ア、手前てめえは始終屋敷がたへ奉公人を入れてるが、大名や旗下はたもとへ女を出すにゃア、髪はどんな風に結うかな、定めしそう云う女中の髪ばかり結う者もあろうな」
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それにしても、これほどなさむらいを、陪臣ばいしんの端くれに埋もれさせておく惜しさよ。……どうじゃ強右衛門、に仕えぬか。この勝頼の旗下はたもととして、もっと大きく、一方の武将となって働かんか。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
へえ、それは感心、あゝ云う巡礼の姿に成って居るが、やっぱり旗下はたもとのお嬢様か何かで、剣術を
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
其の頃は町人と武家ぶげ公事くじに成りますと町奉行は余程むずヶしい事で有りましたが、只今と違いまして旗下はたもとは八万騎、二百六十有余かしらの大名が有って、往来は侍で目をつく様です。
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)