懸念けねん)” の例文
そして、若しその峠へ人でも通り合せてはといふ懸念けねんから路を離れて一二町右手の金時山の方に登つて、枯芒の眞深い中に腰を下した。
のみならずこれからやる中味と形式という問題が今申した通りあまり乾燥して光沢気つやけの乏しいみだしなのでことさら懸念けねんをいたします。
中味と形式 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
女学校から英文専修科までを優秀な成績で卒業した雪子としては、さきざきその人を尊敬することが出来そうもない懸念けねんがあった。
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
勘次かんじはおしな病氣びやうきかゝつたのだといふのをいて萬一もしかといふ懸念けねんがぎつくりむねにこたへた。さうして反覆くりかへしてどんな鹽梅あんばいだといた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
そして突然彼女は彼に近寄って、召使どもに聞かれはすまいかという懸念けねんから、また自分自身の心痛のあまりに、声をひそめて言った。
何しろいつ敵に包囲されて、自分らも、そこらに転がっている死骸と同じ姿になろうやも知れない、そうも思う懸念けねんのほうが強かった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松島さんは、まだ年が若いので、自分ひとりで縁談の掛合いなどに来ては信用が薄いという懸念けねんから、お母さん同道で来たらしいのです。
鰻に呪われた男 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
長吉ちやうきちは月のに連れられて来た路地口ろぢぐちをば、これはまた一層の苦心、一層の懸念けねん、一層の疲労をつて、やつとの事で見出みいだし得たのである。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
藤堂と沖田とはかおを見合せて、土方と近藤との方に眼を向ける。助けようか殺そうかとの懸念けねん。近藤勇は首を縦に振らなかった。
その懸念けねんが先に立って、過ぐる慶応三年は白粥しらかゆまでたいて村民に振る舞ったほどの凶年であったことなぞが、旅の行く先に思い出された。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
話が進むにつれて、彼の顏は單なる驚愕以上に深い懸念けねんを表はした。私が話し終へても、彼は直ぐに口を開かうとはしなかつた。
「家鴨馴知灘勢急、相喚相呼不離湾」何処どこぞへ往ってしまいたいと口癖くちぐせの様に云う二番目息子の稲公いねこうを、阿母おふくろ懸念けねんするのも無理は無い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「わしもこの家は、借りておる。もしそうなれば、一軒借りて移っていってもいい。そうするなら懸念けねんもなくなる道理じゃ。」
阿繊 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
そのことを始めから誰よりも大きく懸念けねんしていたのは貞子であったかもしれぬが貞子は遠慮で、十分のことを言葉に出せなかったのだろう。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
それは母か姉のような気持だった。こうしているうちに一つの懸念けねんがお蘭の心にうかんだ。あるとき彼女は四郎にこういた。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
岡は生活に対して懸念けねんなどする必要はないし、事業というようなものはてんで持ってはいない。木村とはなんといっても立場が違ってはいる。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その超人的論理に魅了されて、検事も熊城も、しびれたような顔になり、容易に言葉さえ出ないのだった。勿論そこには、一つの懸念けねんがあった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
散逸してしまうかもしれぬ懸念けねんがあるので、やはり最初の計画の通り、重複せぬかぎりは皆これを付載することにした。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
その無鉄砲とも無茶苦茶とも形容の出来ない一種の虚構うその天才である彼女が、貴下の御懸念けねんになっている彼女であり
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
といいますと根が善人おとなしい人ですから「それもそうです」というてんでしまったものの余程懸念けねんして居られました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
むしろ封建制度其のものに必随し来たる一種の現象と言ふの当たれるにはあらざるか、更に国家の運命を懸念けねんするを以て日本国民の特質なりと言はんか
国民性と文学 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)
母は大方かかる事と今朝けさよりの懸念けねんうたがひなく、幾金いくらとねだるか、ぬるき旦那どのの処置はがゆしと思へど、我れも口にては勝がたき石之助の弁に
大つごもり (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
貫一もそれをこそ懸念けねんせしが、果して鰐淵わにぶちは彼と満枝との間を疑ひ初めき。彼は又鰐淵の疑へるに由りて、その人と満枝との間をもほぼすいし得たるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
惣助はそのあくびの大きすぎるのを気に病み、祝辞を述べにやって来る親戚しんせきの者たちへ肩身のせまい思いをした。惣助の懸念けねんはそろそろと的中しはじめた。
ロマネスク (新字新仮名) / 太宰治(著)
だが、わたしは、この老紳士があまりに頑迷に自分の信条を守りすぎるのではないかという懸念けねんの意を表した。
寢顏ねがほ電燈でんとういとつたものであらう。嬰兒あかんぼかほえなかつた、だけそれだけ、懸念けねんへば懸念けねんなので、工學士こうがくしが——こひすつぽんか、とつたのはこれであるが……
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
こう云いかけた野村の眼には、また冷評ひやかされはしないかと云う懸念けねんがあった。が、俊助は案外真面目まじめな調子で
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして私の知らない間に互に親しくなりだしているのではないかと云うような懸念けねんさえ私は持ちはじめていた。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
足下そっかは在獄なればせん方なし。僕においては苦しからざる事には候えども、諸友の踈濶そかつは志の薄き故かと大いに懸念けねん致し候。この事兄出牢せば一論あるべし。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
彼は私のこの懸念けねんをさとったらしく、わたしを安心させようとして殊更ことさらに快活をよそおい、ほんのつまらない冗談にも、わざとからからと笑ったりしてみせた。
それでもまだ艶子が動かぬので、増長した指共は、懸念けねんと安心と半々の足どりで、遂に艶子のえくぼの入った手先まで伸び、アッと思うまに、それを握り締めた。
幼時の思い出にはさすがにちがたいものがあり、ことに二人とももう八十に近い高齢こうれいなので、遠くへだたったらいつまた会えるかわからないという懸念けねんもあった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
しかし野田の方では、その飯島が、食後の休息に隣の部屋に来てゐはしまいかといふ懸念けねんを持つてゐた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
醤油壜しやうゆびんに小便をめて置きこつそり捨てることなど嗅ぎ知つて、押入を調べはすまいかを懸念けねんした。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
もしやという懸念けねんから、だしぬけに家へ電話をかけて、不意打ちを食わせたが、いちども留守だったことはなく、夕方、玄関へ出迎えるのは、いつも柚子で、そのうちに
春雪 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
女の子をその人が生みました時に、宮様がそんなことが起こるかもしれぬという懸念けねんを持っておいでになったものですから、それ以後の御態度がすっかりと変わりまして
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
米國經濟界べいこくけいざいかい全般ぜんぱんには何等なんら懸念けねんすべき状態じやうたいみとめざるも、人氣にんき中心ちうしんたる證劵市場しようけんしぢやう大變動だいへんどうきたしたことであるからいきほ生糸相場きいとさうばにも波及はきふして十ぐわつ初旬しよじゆんより低下ていか趨勢すうせいとなり
金解禁前後の経済事情 (旧字旧仮名) / 井上準之助(著)
実際そんなことを懸念けねんする理由は少しもなかったのですから。ところが、たちまち、ヘルゼッゲンの峰越しに吹きおろす風のために、船は裏帆(10)になってしまいました。
だが、何にせよ、その樫田武平の身柄を捜査してみなければ、或は現場不在証明アリバイなどの懸念けねんもあるので、色めき立った刑事連は、赤羽主任の命を待つものの様にその面をあおいだ。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
物悲ものがなしく寂しくてたまらなくなった、二三日寝汗をかいたことを思い出し、人々の希望にそむくようになりゃしないかという懸念けねんが、むらむらと胸先へたぎりきて涙がぼろぼろと落ちた。
廃める (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
こうした懸念けねんのうちには、下僚の身分であること、労働者であることの、恐れていたような結果をはっきり示しているのだ、そして、そうした結果がはっきりと表われてきているここで
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
カピ妻 かたき一定きっとってやります。懸念けねんにはおよばぬ。すれば、最早もうきゃんな。
刑死けいしするおのれの姿なら想像してみることもできるし、武帝の気に逆らって李陵りりょうめ上げたときもまかりまちがえば死を賜うようなことになるかもしれぬくらいの懸念けねんは自分にもあったのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
御馳走ごちそう美味おいしきに大原はツイうかうかと時間を過ごして懸念けねんする所あり
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
それが懸念けねんで、さぐりを入れて見ると、こないだの芝居見物以来、何とないブラブラやまい、それで、御本人が、のびのびと、おうちで保養をしたら、すぐによくなろうと、いい出されたとかでな。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
太夫たゆう。つまらないつらあてでいうわけじゃないが、おまえさんは、いいおかみさんをちなすって、仕合しあわせだの。——おびはたしかにわたしのから、おせんのとこへかえそうから、すこしも懸念けねんには、およばねえわな
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
幻覚なのかも知れないという懸念けねんもあった。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
もうめるかと思ったら最後にぽんとうしろへげてその上へっさりと尻餅を突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸念けねんらしい顔をする。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
長吉は月のに連れられて来た路地口ろじぐちをば、これはまた一層の苦心、一層の懸念けねん、一層の疲労を以って、やっとの事で見出みいだし得たのである。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しな病氣びやうきあんずるほかかれこゝろにはなにもなかつた。その當時たうじには卯平うへい不平ふへいをいはれやうといふやうな懸念けねん寸毫すこしあたまおこらなかつたのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)